第12話 ルクレツィアの秘密

あの後、ルクレツィアはどの様にして寮の部屋まで帰って来たのか覚えていない。


ルクレツィアは令嬢である事も忘れて、着替えもせずベッドの上でうつ伏せになり、茫然としていた。

だが、次には顔を真っ赤にさせて体を起こすとクッションを抱きかかえて顔をそれに埋めた。


さっきのあれは何だったの?!

私、私、私……クレイと……。


ルクレツィアは恥ずかしさのあまりその想像を振り払う様に何度もブンブンと首を横に振った。

そして再びクッションに顔を埋めた。

それを先程から何度も繰り返していた。


なんでクレイはあんな事を?

どうしてっ?

私の事が嫌いって……、

顔も見たくない、て言ってたのに……。

これは私への嫌がらせ?

そうなの?


……いや、むしろご褒美ですよね?


そして再びさっきの事を思い出して、ルクレツィアは身悶えた。


しかも、許可なくいなくなるなって……。

なに?クレイは私の事好きなの?

それとも……仕返しをしないままいなくなるなって事?

仕返ししたいから、そんな事を言ったの?


ルクレツィアは考えれば考える程分からなくなって、頭を抱えた。

そうしてしばらくして、何とか気持ちを落ち着けるとルクレツィアは不意にクレイの傷付いた様な顔を思い出した。


あの時……、クレイは悲しそうな顔をしていた。

彼は……やはり昔の頃と同じなのかもしれない……。

昔は完全に2人だけの世界だった。

お互いに依存しあっていた。

私はそれが幸せだった。

都合良く考えれば、彼もその頃と同じ様な感情をまだ私に持ってくれているのかもしれない。

私の場合は完全に恋愛感情だったけど、彼の場合は卵から返った雛鳥の様な感情だったに違いない。

だから私がいなくなるって言った事で、彼は捨てられた様な気持ちになったのかもしれない……。


そういえば、ゲームでもそんな件があった様な気がする。


彼は監禁されていた時期があって、ずっと孤独だった。

それから今の家に引き取られ、孤独から救われたと。

けれど母親の愛情は知らない。

そしてヒロインの愛が彼を救うのだ。

女性からの優しく深い愛情を知ったクレイがようやく心から笑える様になる。

それが彼のゲームの中の物語だった。


そうか……。

彼は私に母親の様な愛情を求めていたのかもしれない。

それを恋愛感情と混同して戸惑っているんだ。


それなら……彼を早くその呪縛から開放してあげなければ。

あの執着心に囚われたままではあまりに可哀そうだ。

だって……既に私にはあの異常な執着心は消えてしまっていたから。

前世の記憶が蘇るのと同時に、その歪んだ心は綺麗に消え去り今のルクレツィアにはただ真っ直ぐな彼への思慕しか残っていなかった。


彼はたった一人であの歪んだ世界に取り残されているんだ……。

何とか解放してあげなければ。


ルクレツィアはそう思い、深く頷くと心を決めた。


クレイにも私の前世の事を話そう。

私はもう過去のルクレツィアではないと知って貰わなくては。

それを信じるかは分からないが、少なくとも頭がいかれたやつだと認識すれば、ルクレツィアの呪縛から目を覚ますはず。


そういう結論に至ったが、更にルクレツィアは思い出した。


そういえば……国王や父親が私の心配をしていたんだわ。

この際だからアルシウスにも聞いて貰うべき?

でも待って……。

頭が変になったと精神病の心配されたら……。

私は屋敷に閉じ込められるかもしれない。

それはマズイ。

そんな事になれば、何も出来ないまま死亡エンドを迎えてしまうかもしれない。


や、やっぱり、まずはクレイに話してからにしよう。

クレイが頭がおかしいと判断したとしても告げ口はしないと思う。

だって監禁のつらさは痛いほど知っているはずだから……。

それにとっておきの秘策も考えてあるし。

だから、いずれにしてもすぐに監禁とはならないはず。

よし。そうと決まれば、クレイに手紙を書いて侍女に渡して貰わなくては。


そうして、ルクレツィアはようやくベッドから立ち上がると、着替えるためベッドの脇に置いてあったベルを鳴らして侍女を呼んだ。






 ◈·・·・·・·◈·・·・·・·◈






────そして次の日の放課後。


ルクレツィアは屋上でイアスとクレイを待っていた。

彼らがどう判断するかは分からないが、ルクレツィアはあまり緊張はしていなかった。

腹を括ったからかもしれない。もう覚悟は出来ていた。

ルクレツィアは突き抜ける様な深い青空を仰ぎ見た。


しばらくして扉が開き、イアスとクレイが同時に姿を現した。

クレイの姿を確認した時、ルクレツィアは昨日の事を思い出して顔が赤くなった。

だが、直ぐにそんな場合ではないと思い直し、ルクレツィアはその感情を振り払うと2人に向き直った。

そして淑女の礼ではなく、ゆっくりと一礼すると2人を出迎えた。

「わざわざ屋上まで来ていただいてありがとうございます。では早速私の身に何が起きたのか、包み隠さずお話させていただきます。」

クレイはそれに対して何も答えず黙っていた。

イアスも黙ってただゆっくりと頷いた。

ルクレツィアは2人を見詰めて頷くと言った。

「これから話す事はとても理解し難い内容だと思います。正直、理解して貰えるとは思っておりません。だから誰にも言えなかったのですから……」

ルクレツィアの表情に悲しみの色が滲む。

「ですが……、その事で身近な方々に心配を掛けてしまうのは私の本意ではありません。ですから全てを打ち明ける決心を致しました。」

そう言うと大きく息を吸い込んだ。



────そうしてルクレツィアは自分の前世を語り始めた。



自分の前世を思い出した事。

この世界の事を前世で知っていた事。

電子ゲームの概念がこの世界にはない為、少し内容を変えて理解しやすい様に話した。


前世でこの世界を知ったのは恋愛ゲームだった事。

その恋愛ゲームとはこの世界にもあるすごろくの様な物だと例えた。

そのゲームではヒロインがいて、ヒロインの選択次第で進み方が変わり、ゴールもいくつかに別れていると説明した。


そのヒロインが学園に入学する事で物語が始まり、何人かの男性と恋の駆け引きをしながら1年後に1人の人と結ばれてハッピーエンドになる。男性の数だけゴールがあるという事を簡単に説明した。


その学園が今私達の通っている学園であり、クレイと自分はヒロインと同じクラスだという事。

自分は悪役令嬢という人物で登場しヒロインを虐めて、恋の駆け引きを邪魔する存在だった事。


そして……その物語の中で自分は死んでしまうという事。


ようやく説明が終わると、辺りは静寂に包まれた。

ルクレツィアは苦笑して言った。

「ね?理解し難いでしょう?」

困った様に首を傾げた。

そしてイアスが口を開いた。

「………そうですね。ちょっと理解するにも時間が掛かる内容ではあります。」

「ええ……。私も上手く説明出来てるのか自信はありません。」

悲しそうな声でルクレツィアは言った。

「私が以前のルクレツィアと変わった原因は、前世の記憶のせいです。前世の私はルクレツィアみたいに自信もプライドも高くなく、虐めは大っ嫌いでしたから。その記憶と現在の記憶が混ざり合ったのです。ですからもう以前のルクレツィアではなくなりました。」

そこで一旦話を止めると息を飲み込んだ。そして呼吸を整えると再び口を開いた。

「……そして私の悩みとは、ゲームの物語の終盤で必ず死んでしまうという事なんです。あのゲームと同じ様に物語が進めば、どの道に進んでも私は必ず死ぬ運命にあります。死に方は全部で5通りで、事故死、病死、そして竜の襲来で死亡、盗賊団の襲撃で死亡、後の一つは分かりません。」

そしてルクレツィアはようやく話し終えると、2人がどう感じているのか探る様に見詰めた。

クレイはルクレツィアが話している間、一言も発する事はなかった。

イアスは何度か質問をしながら、ルクレツィアの話を真剣な表情で最後まで聞いていた。

そしてルクレツィアは苦しそうな声で言った。

「これが私が隠していた事です。私が償いたいと思ったのも、もうすぐ死ぬかもしれないから。だから生きている内に少しでも償いたかったんです。」

イアスは慰める様な優しい声で口を開いた。

「私にはあなたが嘘を付いている様には見えません。……ですが敢えて言わせていただきます。その話が真実だと思い込んでいる可能性はないのですか?」

その言葉にルクレツィアは自嘲気味に答える。

「この感覚は本人にしか分からないでしょうね……。だって確かに何の証拠もないもの。私自信も100%信じていないのかもしれない。だけど前世の記憶も現在の記憶と同じ様な感覚で私の頭の中に確かに存在しているんです。イアス様は自分の過去の記憶を偽物だと疑いますか?」

ルクレツィアが逆に尋ね返した。

それに対してイアスはハッとして目を見開いた。そして首を横に振った。

「いいえ。そうですね……確かに自分の過去の記憶を疑った事はありません。」

「私の前世の記憶もイアス様の過去の記憶と同じ様な存在なんです。私には……」

ルクレツィアは目を伏せて少し悲しげに言った。

「ですが、こんな話を信じて貰えるとも思ってません……」

そしてルクレツィアは再び顔を上げると、意を決して言った。

「なので前世のゲームの記憶で、これから起きる事を一つ当ててみようと思うんです。私自身の確信の為にも。もしそれが起きなければ……ただの妄想で、もうすぐ死ぬ事はないという確証にもなるかと。」

その言葉にイアスも顎に手を当てて考え込む様に言った。

「なるほど……。それで疑う余地のない事象が本当に未来に起これば、ルクレツィア様の記憶が本物だという証明になりますね。……でも、それを納得させるだけの事象がこれから起きるのですか?」

その言葉で、偶然を排除出来ない事象では簡単に納得して貰えないとルクレツィアは感じた。

だがルクレツィアは怯まなかった。

そして頷くと言った。

「はい。実は、今度王都で行われる星夜祭でヒロインが聖女に覚醒します。そのヒロインとはメルファ・フランツェル様の事です。彼女は数少ない光属性の持ち主ですが、まだ聖女としての覚醒はされていませんよね?」

その言葉を聞いたイアスの顔が明らかに狼狽えている。

だがイアスは動揺しながらも、なんとかルクレツィアに同調して言った。

「え、ええ……。もちろん聖女として神殿は認定しておりません。この国で最後に聖女だと認定されたのはもう500年も前の話です。光属性なので星夜祭のパレードに参加する予定ではありますが……」

聖女が覚醒するなど、とても信じられないとイアスの顔が物語っていた。


聖女が覚醒するというのはとても稀な事だ。

いつの時代にも存在している訳ではなく、極稀に誕生する稀有な存在だった。

聖女が覚醒すれば亡くなるまでの間は作物も安定的に収穫でき、かつ大いに国が繁栄すると言われていた。


ルクレツィアは更に言った。

「彼女はそのパレードの最中に覚醒するはずです。そしてたくさんの星の光が彼女の元へと降り注ぎ、人々は青白い光に包まれて覚醒した聖女を大歓声で迎える事となるでしょう。」

ルクレツィアはゲームの画面を思い出しながら、その情景を語った。

「まさか……」

イアスが思わず声を上げた。

「……面白い。」

そう言ったのは、今までずっと黙っていたクレイだった。

ルクレツィアはクレイに向き直ると言った。

「クレイ。どうか星夜祭まで国王やお父様にこの話をするのは待ってもらえませんか?」

ルクレツィアは訴える様な瞳でクレイを見詰めた。

クレイはじっと黙ってルクレツィアを見詰めていたが、やがて頷くと言った。

「いいだろう。だが記憶の真偽に関わらず、星夜祭が終われば速やかに報告をする。」

「えっ」

「なんだ?問題あるか?」

するとルクレツィアは少し躊躇いながら口を開いた。

「え、あの……出来れば私の言った事が本当だったら、お父様達には言わないで欲しいの。」

その言葉にクレイは片眉を上げた。

「なぜ?」

「だって……。証明がされたという事は、私が死ぬという事の証明でもあるわけで……。そんな事がお父様に知られたら、きっと屋敷に閉じ込められて監禁されるに違いないわ!」

ルクレツィアは真剣な眼差しで言った。

するとそれを聞いたクレイは深い溜め息を吐いた。

「お前な……。そんな事を言っている場合か?死ぬよりは監禁の方がいいに決まってるだろ。」

ルクレツィアはクレイがそんな言葉を吐くなんて信じられないという顔で目を見開いた。

そして首を横に振ると声を荒げて言った。

「いい訳ないじゃないっ。まだ私は助かる可能性を捨てた訳じゃないの。監禁されたらそれこそ何も出来ずに、死ぬのをただ待つしかなくなるわ!」

「……助かる可能性があるのか?」

「あるわっ」

「ならその方法を言ってみろ。」

クレイに言われたが、ルクレツィアはツンッと顔を背けた。

「嫌よっ。言うなら言わない。お父様に言わないなら言うわ。」

「お前な……。意地を張ってる場合じゃないだろ。もし本当だったら死ぬかもしれないんだぞっ」

「監禁はいやよ!絶対やだっ!」

「その時は国王ならお前の為に全力を尽くしてくれる。お前だけで何とかできるはずがないっ」

「そ、そんな事ないっ!私が、私が一番ゲームの事よく知ってるんだからっ!」

2人が口々に怒鳴り合っていると、イアスが宥める様に間に入った。

「まぁまぁ、お二人共。落ち着いてください。まだ証明がされた訳でもないですし。証明の日が終わった後に、また改めて話し合う事にしませんか?」

ルクレツィアとクレイがばつが悪そうに押し黙ると、2人は渋々と頷いた。

「……分かった。」

「……分かったわ。」






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