第4話 放課後

ルクレツィアは深い深い溜め息を一つ吐いた。


はぁー……。


今日は一日が本当に長かった。

公爵令嬢という事もあって雰囲気が変わって注目されるし、クレイの視界に入らないように気を付けないといけないため、かなり神経を使った。


こういう時に限ってクレイとよく遭遇するのよねっ。

廊下でバッタリ、教室の扉でバッタリ……。

その度に隠れなくてはいけない私の身にもなって欲しい。


……まぁ、こんな事クレイにしてきた事に比べれば何でもないけど。


そんな濃厚な一日だったが既に放課後となり、今、教室にいるのはルクレツィアただ1人だ。

図書館へ行った後に忘れ物をした事に気付き、教室へ戻って来ていた。

ルクレツィアは黄昏時の教室で朱色に染まった世界に魅入っていた。


後どれくらいこの景色を見る事が出来るのだろうか……。


どこか哀愁を漂わせるこの夕暮れの世界が、自分と似ている様な気がした。

ルクレツィアはその世界の一部となり溶け込んでしまった様な不思議な感覚を覚えた。


だがその世界を壊す音が微かに聞こえて、ルクレツィアは後ろを振り返った。

そこには王太子のアルシウスが立っている。

ルクレツィアは目を見開いた。

アルシウスは押し黙っていたが、不意に我に返った様にルクレツィアを睨むと口を開いた。

「ここで何をしている。」

黄金色に輝きを放つ髪が今は朱色掛かり、鋭く睨む青い瞳も夕暮れの赤と溶け込んで神秘的な色合いをしていて、とても美しいとルクレツィアは思った。

アルシウスが近づいてくる。

ルクレツィアは逃げ出したい衝動を何とか押し留めると、微笑みを浮かべた。

「忘れ物をしただけです。今、帰るところですから。」

「疑わしいものだな。」

アルシウスは憎まれ口を返す。


至極当然の態度ね。

私はクレイの物を盗んだり、壊しもしたから……。


アルシウスが近づいてきたので、淑女の礼をとった。

それに対しアルシウスは辛辣な言葉を投げかける。

「寝込んで、歪んでいた性格が元にでも戻ったか?それとも新たな歪みが生まれただけか?今日のルクレツィアは別人だな。」

アルシウスが蔑む様に口の端を上げた。

「そうですね……。私は確かに今まで本当にひどい事をしてきたと思います。それをとても後悔しました。アルシウスにも今までご迷惑をお掛けして、申し訳無いと思っております。本当にすみませんでした。」

ルクレツィアは先程の淑女の礼とは違う、貴族の礼儀には当てはまらない深々と頭を下げるという形で謝罪をした。

アルシウスは眉を顰めた。

「……何を企んでる?」

ルクレツィアはゆっくりと顔を上げると、真剣な顔で言った。

「何の企みもございません。クレイにも謝罪させていただきました。もちろん、それで全て帳消しになるなんて都合がいい事は考えておりません。クレイには今後一切近づかない事、なるべく視界に入らない事を約束致しました。」

するとその言葉を聞き、意外そうな声でアルシウスが言った。

「そうか、それで今日のルクレツィアはいつもと違い、あんな態度をとっていたんだな……」


えっ?

クレイは昨日の事、アルシウスに話してないの?

親友のアルシウスには話すかと思っていたのに……。


……本当に優しい人だ。


きっと私の事を気遣ってくれたのだろう。

私を傷付けるために、告白した事や謝罪をアルシウスに話して馬鹿にしてもいいのに。

……まぁ、2人共そんな性格悪くないか。

なにせ攻略対象者なんだから。

でも……言わないでいてくれて少し嬉しい。


そんな風にルクレツィアが思っているとアルシウスが言った。

「だが、なぜ今さら?」

アルシウスが疑わしい瞳を向けてこちらを見ている。


ゔっ。

ですよね……。

前世を思い出したからなんて、言えない。

ここはゲームの世界で自分がもうすぐ死ぬかもしれないからなんて……。



もっと言えないっ!



ルクレツィアは少し困った顔をして言った。

「それは……、やはり寝込んで死に目に合ったからでしょうか。目覚めた時は、神に本当に感謝を致しました。今までの事を悔い改め、これからは善行を重ねると神に誓ったのです。」

「だからって本質が変わるとは思えない。」

アルシウスは鼻で笑った。

「本質が変わったと言ったら?」

「なに?」

ルクレツィアが探る様な目付きでアルシウスを見詰めた。

「私は……幸か不幸か、もう以前のルクレツィアではなくなりました。それはきっと神の思し召しでしょう。なので、これから私は迷惑をかけた人々のためにも、償いをさせて貰いたいと考えております。」

「……何が変わったというんだ。」

アルシウスは言葉の意味を汲み取ろうと問い掛ける。

「それは……。お答えしてもきっと信じて貰えないでしょう。ですが新しいルクレツィアを見ていてください。あなたにも迷惑をかけないと約束します。まずは一番迷惑を掛けたクレイの願いを叶えたいと思っているのです。学園をすぐに出る事は出来ませんが、ある時期が来れば永遠にクレイの視界から消えるとお約束します。」

すると、教室の扉でカタッという音が聞こえてきた。

ルクレツィアとアルシウスが一斉に振り返る。


扉から姿を現したのは――――クレイだった。


「クレイッ」

アルシウスが驚いた声で名を呼んだ。

クレイはゆっくりと2人の元へ歩みを進めた。

「アルシウスが遅いから様子を見に来た。それより……」

クレイがルクレツィアの方を見詰めた。

ルクレツィアは約束を思い出し、慌てて立ち去ろうと背を向ける。

だが、クレイがそれを止めた。

「待て。今は逃げるな。」

「は、はい……」

ルクレツィアは恐る恐るクレイに向き直った。

クレイは怒っているのか分からないが、何かを考えている様な面持ちでルクレツィアを見ていた。

ルクレツィアは少しでもクレイに自分を見せない様にと思い、目を伏せて俯く。

「さっき言った事は本当か?」

クレイがルクレツィアに尋ねる。


さっき?

どれの事だろう……?

善行をすると言った事?

以前のルクレツィアとは違うと言った事?

それとも視界から消えると言った事?

クレイにとって重要なのは視界から消える事だろうから……それを聞いてるのかな。


ルクレツィアが首を傾げながら徐ろに口を開いた。

「それは私が視界から消えると言った事ですか?」

「そうだ。」

クレイが肯定した。

ルクレツィアは頷くと言った。

「ええ。本当です。ある時期を明確には示せませんが、そう遠くない未来に私はこの学園からいなくなります。すみません。その事を早くに伝えるべきでしたね。そうすればクレイの憂いも少しは軽くできましたのに……」

それを聞き、アルシウスが首を捻りながら尋ねる。

「結婚でもするのか?」

その質問が出るのは当然だろう。

ルクレツィアに今婚約者はいない。

従兄妹なのだから結婚するとなれば耳に入ってくるはずだ。

しかもルクレツィアは国王にも可愛がられているのだから、結婚となれば国王が騒ぐに決まっている。

ルクレツィアはその問いに首を横に振って答えた。

「その可能性も否定は出来ませんが、まだその時期が来ないと何とも言えません。」

「その時期とは何だ?」

クレイが疑わし気に尋ねた。

「それは……。お答え出来ません。」

ルクレツィアは困った顔で答えた。



3人に沈黙が落ちる……。



ゔぅ……。

だって仕方ないじゃない。

ヒロインの相手が誰になるかによって死に方が変わるんだから、せめてその死に方が分かるまでは学園にいないと対処しようもない。

無事に生き抜く事が出来たら、私は他国へ嫁ぐ可能性もあるし……。

でもそんな事、口が裂けても言えないっ。

クレイにだけは絶対に言えないっ。


ルクレツィアは縋る様な瞳で、もう一度クレイに言った。

「言えません。」

するとクレイが目を細め、怒りを滲ませた声で言った。

「ほう……。俺に許して欲しいと言いながら、お前は俺の問いに答えられないというのか。」

「そ、それは……」


い、痛い所をつかれたっ。

ゔ、ゔ、どうすればいいの?


ルクレツィアは無意識にゆっくりと後退っていく。

だがクレイが詰め寄って来るので一向に距離は遠退かない。

「お前の謝罪など、所詮その程度のものだと言う事だな。」

「そんな事っ」

ルクレツィアが思わず否定した。

「ならその時期とは何だ?」

クレイが更に詰め寄って来る。

とうとうルクレツィアは壁際まで追い詰められてしまい、逃げ場が無くなった。

「そ、それは……、話せば長く……」

「いい。話せ。」


ち、近いっ!

そういえば、前にも抱きとめられたんだった!

クレイの顔が夕焼けに染まって……。

だめ!美し過ぎるっ。


ルクレツィアの顔が真っ赤に染まっていく。

今が夕暮れ時であって良かったとルクレツィアは思った。

するとアルシウスが心配そうに声を掛けた。

「おい、クレイ……」

だがクレイはそれには答えず、更に言った。

「俺に謝罪の気持ちが少しでもあるなら答えて貰おう。」

「べ、別に大した事では……」

「なら言え。」


な、なんで?!

なぜそんなにも聞きたがるの?

私の事、嫌いなんだよね?

視界に入れるなって言ったのはそっちなのに、むしろ今は私しか映ってないと思いますけどっ!

いいの?

これはありなの?!


「な、なぜそんなに聞きたがるのですか?」

ルクレツィアは動揺しながら尋ねた。

「話を反らすな。」

「で、でも、私の事が嫌いなんでしょう?私がどう消えようとあなたには関係ないのでは?」

クレイはその言葉に一瞬目を見開いたが、すぐに思い直してルクレツィアを睨んだ。

「お前が何か企んでると思ってるからだ。しかもその事を知られるのがどうやら嫌みたいだからな。これはお前への嫌がらせだ。」

「そ、そんなっ」


なんて事!

クレイが仕返しをしてくるとはっ。

想定外だっ!

もう、ダメかも……。

観念するしかない、か……。


ルクレツィアが音を上げようと口を開きかけたその時、急に教室に声が響いた。







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