第22話 tanzen(踊る)
それから堰を切ったように喋り始めた。
「あなた、ご自分が何をしたのか自覚がないんですのね。会場整理をしたのはほぼあなたの魔法でしょう? あなたがいなければ、今日の体育魔法祭の進行はもっと遅れたでしょう。地味だとか、華がないとかそんなくだらない考えはおよしなさいな。他者のために役立っているという点で考えるなら、あなたのほうが数段上でしてよ」
「でもアプフェルは、魔法でもダンスでもあんなに称賛されて……」
称賛、と言う言葉を耳にしたアプフェルは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「わたくしは名前も知らない、人となりも知らない他人の称賛など欲しくありませんわ。むしろ今日はまるで道化の気分でしたわよ。すぐに溶ける氷を、あれほどの魔力を用いて創りだす。その前後は教えられた通りに振舞い続けて、挨拶して。日が沈んでも他人を怒らせないように笑顔で接しなくてはならない。侯爵令嬢としての矜持が満たされる時ではあります。しかしわたくしのドレス姿を鼻の下を伸ばして見る学園生、肩や胸元を下卑た視線で見るおじ様がた、一発平手をお見舞いしてあげたいくらいでしたわ」
アプフェルは一気に喋り終えると、バルコニーの白い欄干にもたれて一息つく。
冷え込んできたせいか吐きだした息がわずかに白く染まった。
違う世界、違う人間だと思っていたけれど。
こうして欄干にもたれかかって愚痴をこぼすアプフェルは、どこにでもいる一人の女の子だ。
風に乗って、町の外の山々から微かに緑の匂いが運ばれてくる。
会場からは音楽がかすかに聞こえてきた。
「戻ろうか?」
タキシードの僕と違って、アプフェルは肩も背中もむき出しのドレスだ。
寒いだろうと思いそう呼びかけるけど、アプフェルは首を横に振った。
「これくらいの寒さなら体を動かせばすぐに暖まりましてよ」
アプフェルはそう言ったきり、口を閉ざす。
僕に話しかけて来た時とは違って、目を合わせない。何かを待っているかのようだ。
空気を読めない僕が迂闊に話しかけるより、ここはアプフェルの行動を待とう。
そう思って待つけれど、何も起きない。
「っくしょん」
アプフェルがかわいいくしゃみをしたので、僕は室内にアプフェルを誘う意味で手を差し出す。
それを見てアプフェルは少し逡巡したのち、掌を下にして僕に差し出した。
「……?」
ああ、そういうことか。
僕は一拍子遅れてやっと気がついた。アプフェルの白い手袋に包まれた冷たい手を取る。
「お嬢様。私と一曲、踊っていただけませんか?」
普段の僕なら絶対に言えないような台詞が口をついて出た。パーティーになじめない僕でも、闇夜を通して伝わってくる音楽や熱気といった雰囲気にあてられたのだろうか。
周りに人がいないから、僕を見下してくる他人がいないから、大胆になれたのだろうか。
「喜んで、お受けしますわ」
彼女の頬の筋肉がわずかに緩んだのは、気のせいではないと思いたい。
アプフェルの返事とともに、月が白く染め上げたバルコニーの床にステップを踏み出した。
遠くから聞こえてくる音楽に合わせて、踊る。
会場に比べてわずかな音だけど、このバルコニーには僕とアプフェルの二人だけしかいない静かな空間だからこれで十分だった。
授業で習ったとおりに、女性より少しだけ早く動くような心持ちで、アプフェルを導く。彼女のむき出しになった背中に手をまわしてリードする。
手袋越しとはいえ石膏のように白いアプフェルの背中に触れ、心臓が高鳴る。ダンスを踊り続けている彼女の肌は少し火照って汗ばんでいた。
授業で練習はしたけれどぼっちで男爵の僕とペアを組んでくれる女子はおらず、教師相手ばかりだったから同い年の女子と踊るのはこれが初めてだ。うまく踊れているか不安になる。
「ドレス、大胆すぎない?」
気を紛らわそうとして、変なことを言ってしまった。言った後で激しく後悔する。この場面でこれはない。空気をぶち壊しにするなんてものじゃない、穴があったら入りたい。
「夜会ですし、これくらい普通ですわ。慣れなさい」
だがアプフェルは堂々としたもので、ステップを乱さずダンスを続ける。僕の言葉なんてまるで気にしていない様子だ。
だけど次の瞬間、わずかにステップが乱れるのをつないだ手先で感じ取った。
「あなたが堂々としていないと…… こっちまで恥ずかしくなってきますわよ」
アプフェルは僕の腕の中で、俯いていた。髪をアップにまとめているからうなじが赤くなっているのがはっきりとわかる。
僕は恥ずかしさを紛らわせるようにアプフェルの手をつなぎなおし、気を取り直した。
一生懸命に踊る。ステップを、腕の動きを、指先の一本一本まで意識する。
少しでもアプフェルに楽しんでもらえるように。
僕の技術ではアプフェルにかなわないなんてわかりきっている。だから必死に、アプフェルが踊りやすいように合わせる。
アプフェルの足幅、ステップの癖、踏み出しのタイミング。それを感じ取り、合わせていく。初めはぎこちなかったダンスだけど、アプフェルに合わせるのに慣れてくるとスムーズに踊れるようになってきた。
少しずつ、二人のリズムがかみ合っていく。
こうして踊っているとわかる。
アプフェルは、ローデリヒと踊った時と違う踊り方をしているのがわかる。
僕が彼女に合わせているだけじゃない。彼女も僕に合わせてくれている。
ダンスは一人で踊るものじゃない。二人で創り上げていくものだと感じられる。
今度はアプフェルのほうから囁いてきた。
「自信を持ちなさい。ローデリヒの様な力強さや、スヴェンの様な洗練さはないけれど丁寧に踊ろうとしているのが分かりますわ。パートナーを気遣っていることも」
やがて曲が終わり、お互いに一礼する。
お互いに息が上がり、しっとりと汗ばんでいる。アプフェルのブロンドの髪から汗が滴り、ブロンドの髪は黄金の天の川のように、汗の雫は日を浴びる朝露のように輝いている。
「本日踊った中で、貴方のダンスが一番素敵でしたわ。これはお世辞ではなく、本気ですわよ」
僕の疑心が伝わったのか、彼女は少し口調を強くする。
「なまじ自信がある殿方は皆、ダンスを自分勝手に楽しもうとするか、自分がうまく踊ろうとするばかりでしたが、ダンスを楽しんでもらおうとすることにかけては貴方が一番でした」
それがアプフェルなりのお世辞か、本気かはわからないけど。
息を切らせて汗を滴らせ、余裕のなさそうに息を整えている彼女が言葉を選ぶ余裕はないんじゃないか。
うぬぼれだとは自分でも感じたけど、僕はそう思いたかった。
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