第19話 キルシェ視点2

 あの後、私があの男爵様の女だと噂がたつと、私に言い寄ってくる男性は激減しました。

 貴族様は経験のあるなしに非常に敏感だと聞いていましたがこうなるとよくわかります。 

 しかしその事件の後、男爵様は店に来ていません。

 なんというか、物足りなく感じます。

 私をかばってくれた時、決してスマートとはいえませんでしたが、そこそこは格好よかったと思います。肩を抱いた時も強く抱くのではなく、そっとためらいがちに抱いたところも好感触です。貴族なのに偉そうにふるまったりしないし、下級貴族にありがちな虚勢を張る感じがないのもいいと思います。

 冴えない感じの顔だとは思いましたが、今思い返すと可愛い系と表現できなくもないと思います。

 多少頼りない感じはありましたが…… それ以外は特に問題ありません。

 それに、あの人が来ないと私があの人の女だという噂に信憑性がなくなります、そうしたら困りますしね!

 決して、近頃店に来ないから寂しいとか、そんな風に考えてるはずないんですから! ええ決してまったく断じて考えてませんとも!

「何考えてるの?」

 考え事をしている最中に後ろからお母さんが話しかけてきたので、私は驚いて飛び上がってしまいました。

 赤みがかった髪を私より長めのポニーテルにして三角巾をかぶっています。私は髪の色をはじめ、母親似だとよく言われます。

 時々、胸を見られながら。

お母さんは私より大きく、私もさらに育つだろうと期待されているので正直げんなりです。今でさえ肩が凝って下が見づらくて嫌らしい男性に目を付けられるというのに、これ以上育ったらどうなるのでしょう?

 お母さんはそんな私の心境など知らずか、私の表情をじろじろと楽しそうに眺めています。

 それから唐突に言いました。

「恋、してるの?」

 私は棚に並べていたパンを落としそうになってしまいました。

 動揺して、心臓がバクバク言っています。売り物のパンを床に落としたら大変です。だから動揺したんでしょう。

「してるんだ」

「してないし! なにわかった風に言ってるの! そんなお母さん嫌い!」

 でもお母さんは柔和な笑みをたたえたまま、動じる様子はありません。

「お相手はだれ? 最近店に来た子? でも誰が来ても心ここにあらずって顔をしてるし、最近店に来ていない子かしら」 

「それがどうしたの! 厭らしい眼ばかり使ってくるから、男なんて大嫌いなの!」

 私は焦ったようにまくし立てます。自分でもなんでこんなに焦って苛々するのかわからず、それがさらにイライラをかき立てます。

 そんな私に対しお母さんはたしなめるかのように言いました。

「でもそんな男ばかりじゃないはずよ。だから母さんは父さんと結婚したんだし」

 お父さんにまで悪口を言うわけにもいかず、私は黙ってそっぽを向きました。すると、目の端に見覚えのある姿を捉えました。

 小柄な後姿に国立魔法学園の制服、甲斐性のなさそうな雰囲気。

 間違いない、あの人です。

 でも店に立ち寄らず、通り過ぎてしまいました。

 ここは学園の近くですから、通りかかるのは当たり前で、寄らない日があっても当たり前。友人でも毎日来てくれるわけではないのですから、彼が来ないのはおかしなことではないはずです。

 でも彼の後姿を見た途端、気がつくと私は店を飛び出していました。



「ちょっと!」

 私が呼び止めると、彼ははじかれたようにびくっとしてこちらを振り向きました。

 相変わらずのヘタレで意気地なしですね。

「な、なにかな」

 とまどったような彼の顔を見るといらいらします。

 やっぱり彼に恋してるなんてお母さんの勘違いです。

「何で…… あれから来ないんですか」

 私はそれだけを言いました。

 決してさびしいなんてことはありません、決して断じてありませんが、避けられているのは不愉快です。

 何だかわからないですけど不愉快なのです。

「何でって…… 僕が来ると嫌でしょ? 恋人でもない男子から僕の女だ、って言われたり、あまつさえ肩を…… その、肩を抱かれたりしてさ」

 そこで言い淀むところがヘタレですね、ちっとも変ってないです。

「多少のボディタッチくらいどうでも…… 良くないですけど、良いです」

 そこでふと二人組の男たちに肩を抱かれた時と、目の前の彼に肩を抱かれた時の感触の差を思い出します、乱暴にごつごつした手で肩に触れられたのとは違って、男性なのに柔らかい手でおずおずと優しく肩を抱かれた時の感じが……

 そこまで考えると気恥ずかしくなって、私は慌てて首を振って思考を打ち消します。

「それよりも店に来ない方が迷惑です、ほら、前みたいな人たちが来たら怖いじゃないですか。そのためにも、えーと、」

 そう言えばこの人の名前も聞いてませんでした、私っておバカさんですか?

「ラッテ・フォン・カペル」

 言い淀んでいると、名前を教えてくれました。なんでこんなどうでも良いところで察しが良いんですか? 

「ラッテ様には定期的に来てもらわないと困るんです。ついでに店の売り上げにも貢献していってください」



 それだけ言って、やっとラッテ様は店の方に足を向けてくださいました。

以前と同じようにプレッツエルを買って、テラス席で道を眺めながら食べています。

 ぼっちで、何もしゃべらずに、教科書片手に。

 私は我慢できなくなって、ラッテ様の方に歩いていきます。

「なにやってるんですか」

「なにって…… 邪魔にならないようにしてたんだけど」

「それじゃただの客じゃないですか。ラッテ様の顔を覚えている人もいらっしゃるでしょうし、そんな淡白な態度じゃまたあの人たちが絡んでくるかもしれないじゃないですか」

「少しは私に話しかけてくるとかして下さいよ、それとも私って話しかけることもできないような女なんですか? 親しげに話して、私がラッテ様の女だって噂がホントっぽく聞こえないと困るんです!」

 私が一気呵成にまくしたてると、ラッテ様は戸惑いながらも頷いてくれました。

「ご、ごめん、気をつける。それと、色々指摘してくれてありがとう」

 ラッテ様は人懐っこい笑顔でお礼を言ってきました。

 なんだか…… 不覚にも胸がくすぐったい感じがしました。

 この甲斐性のない可愛い系の男子が、ためらいがちに言うと…… どきどきします。

 無性に庇護欲を刺激されるというか、そんな感じですね、きっとそうでしょう、間違いなく断言できます。

 まあ、変わってほしくはないですけど。

 でもその胸のくすぐったさは、嫌な気持ちにとって代わられました。

 以前私に絡んできたあの二人組が、店の前を歩いているのが見えます。少しくすんだ髪を伸ばし、背の高くて体格のいい二人組。

 常に見下せる誰かを探しているようなあの視線。

 まだ彼らは私を見つけてはいませんが、怖い、です。あの二人を見ているだけで以前肩に手を回されたことを思い出して、震えがきます。

 でもラッテ様は道を歩く彼らの視界に私が入らないよう、さりげない動作で彼らと私の間に入り込んできてくれました。

 そのおかげで彼らと目が合うことなく、やり過ごせました。

「あ、ありがとうございます……」

「気にしないで」

 ラッテ様は自分のことを誇るでもなく、恥ずかしがるでもなく、ただ当然のことのように気負いない感じでした。

 全身が甘酸っぱい感触に満たされたような感じがしました。



 それから、私とラッテ様の関係は続いています。ラッテ様が時々店に来て、私が時々側によって親しげにおしゃべりする、それだけの関係です。

デートに誘ったことも誘われたこともありません。ヘタレですけど、それがラッテ様の良さなんだって思います。

 今は偽の恋人ですけど、いつか本当の恋人になれたらなって思っています。

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