第2話 山。
秋のために赤く色づいた広葉樹と、葉の色が変わらない針葉樹。
少し顔をあげると深緑の葉を黄緑に染め上げる木漏れ日が目に優しく、木々のうろには栗鼠や小鳥が巣を作っているのが見える。
「ふう……」
僕は革製の背負い袋から革袋製の水筒を取りだして、口をつけた。
秋口とはいえ長い山歩きで汗ばんだ体に、冷たい水が心地よく喉を潤していく。
僕は休日を利用してミュンヘン近くの山へ山登りに来ていた。山と言っても数時間もあれば往復できるような低い山だけれど、一人になりたいときや町の喧騒に飽きた時はよくこのヴァイスの山に登山している。
大きく息を吸うと、町中とは違った空気と魔力の源のマナが清々しく肺を満たしてくれる。マナの波長は土地ごとに特徴が微妙に違い、魔法によっては特定された場所でしか発動しないものや、逆にマナが無く魔法が全く発動しない土地もあるらしい。
この山は低山ということもありそれほど大きな変化はないが、集中したいときにはいい場所だと思う。
足元を軽く靴で掘ると、こげ茶色の湿った土が薄く積もった木の葉から見られた。この山の土はマナとの親和性が高いのか、僕が初めて土魔法を使えるようになったのもこのヴァイスの山だった。
同級生が次々と杖から魔法を発していくのを見ながら、何一つ魔法が使えなかった僕は周囲から見下されているような気分がして悔しくて仕方がなかった。町にいると周りの目が嫌だったし、家にいても親に申し訳なかったので、この山に入って悶々としていた。
やけくそ気味にこの山で杖を振ると、足元の土が不格好な形に盛り上がったのが僕が初めて魔法を使えた瞬間だった。
僕の脛くらいの高さまでしか盛り上がらず、すぐに形は崩れてしまったけど、初めて魔法という奇跡の力を自分が使えた感動は今でもはっきりと思いだせる。
僕は腰から、杖の材料として一般的な白樫製の魔法杖を抜いた。
魔法杖は各魔法使いによって材質も長さもまちまちだが、僕は白樫の木を材料にした短い片手剣程度の杖を使っている。これくらいなら腰に差しておけるので邪魔にならないし、いざというときは片手に持って剣代わりにも使える。
「アース・ゴーレム」
杖を一振りすると足元の土が盛り上がり、僕の腰くらいまでの高さになる。土くれから不格好な四本の手足が伸び、土まんじゅうのような形の頭部が形成されてこげ茶色の土のゴーレムになった。
作成できるゴーレムのレベルとしてはまだまだランクが低い。
ゴーレムに命じて山道をふさぐ倒木をどかせる。ゴーレムは動きが鈍いが力は強いので、こうした力仕事にはうってつけなのだ。
三十分ほどゴーレムに道の掃除をさせた後、僕はなにかの視線を感じた。
この山で人気を感じることなんてめったにない。
僕は油断なくゴーレムを操作して前方の茂みと僕の間に立たせた。
周囲にはそこ以外に隠れられそうな場所がない。町はすぐそこだし物盗りということはないと思うが、猪などの中型の獣の可能性もある。
奴らは茂みからいきなり出てくるとびっくりして襲ってくる場合があるのだ。
腰を落とし、すぐに動ける体勢を取りつつ万一ゴーレムを抜けて体当たりされても転ばないようにする。
だが警戒していた僕を出迎えたのは、低く太い男の声でも獣の唸りでもなく、高い女子の声だった。
「私ですよ、魔法はやめてくださいー」
道から外れた茂みから灌木をかき分けて現れたのは、キルシェだった。
「なんでこんな山の中に?」
僕は杖を向けてしまったお詫びにキルシェに水筒を手渡して、飲ませていた。
キルシェは普段店で見かける格好ではなく、長袖のブラウスに下は麻のズボンという山を歩きやすい格好で、肩かけの鞄と、背中には柳の木で編んだ大きな籠を背負っていた。
「パンに載せるベリーを取りに来たんですよ。クランベリーやラズベリーなど、甘く煮てパンに載せたりパイに使うこともありますし」
僕はあまり関心がなかったけど、そう言えば色々と色鮮やかなベリーを載せたパンが売られていた気がする。この山で採っていたのか。
確かにミュンヘンからは近いし、日帰りで採ってこられるから採取場としては最適だろう。
「普段は田舎から来る商人から買い付けるんですけど、今年はベリー系のパンの売れ行きが良く、足りなくなって……」
それでこの山に来たわけか。
さて、どうしよう。ここで別れてもいいけれど、ベリーにどんなものがあるのか興味がわいてきた。
「僕も一緒に行っても良い?」
「もちろんです。た・だ・し」
キルシェは右手の人差し指を立てた。
「持って帰るの手伝ってくださいね? 男の子でしょう?」
普段は貴族を恐れるような発言をするキルシェ。
だけど最下層とはいえ僕も貴族の一員なのに、僕に対してはこうして気安くというか、いたずらっぽく接してくれる。
でもそれがイラつくとか、そんなことはなかった。こんな風に気安く接してくれる同年代の子は学園内では僕の周りに存在しないから、こんな風に気の置けない関係が心地よかった。
キルシェから籠の中にもう一つ入っていた籠をもらって背負い、道から外れて少しやぶの中を歩くと、低い木に生った赤い小さなベリーが見えてきた。木と言っても幹から枝が伸びているタイプではなく、根元から細い枝が空に向かって何本も伸びているような格好で枝の所々に緑の葉と小さな粒が集まってできた真っ赤なベリーが実をつけている。
「ラズベリーですね。普段は夏に収穫できるんですけど、この山は少し生育が遅いんです。でも十分熟してますし、採ってしまいましょう」
「小さな身の一粒一粒から、毛が生えてるんだけど…… これ本当のラズベリーだよね?」
ラズベリーについてそんなに凝視したことはないけど、ケルナ―・ブロートに売られているラズベリーのデニッシュにはこんな毛は生えていなかったはずだ。よく似ている毒草とかじゃないだろうか?
「何度も見てるから間違えないです。葉の形と良い実の形と良い、本物ですよ。毛が生えてるのは新鮮な証拠ですから、心配ないですよ。煮詰めたりするととれちゃうだけですから」
キルシェはそう言って、細い指で一粒ラズベリーをつまんで、口に持っていった。数度咀嚼したのち、白い喉が嚥下の音と共に上下する。
「うん、甘くておいしいです。やっぱり一口食べてみるのが美味しいのを見分ける一番の近道ですね。ラッテ様も一口、いかがですか?」
キルシェに言われたとおりラズベリーを口に運んでみる。
口の中で毛が引っかかるようなこともなく、甘い果肉の味が口内いっぱいに広がった。
「甘くて、おいしい…… ベリーってもっと酸っぱいのかと思ってた」
「酸っぱいのもありますけど、ラズベリーは新鮮な物は甘いですから。根元の枝から切り取るようにして、収穫していきます。幹の根元から出ている枝は数本残しておいてくださると来年もまた採れます」
キルシェに言われたとおりに預かった鋏で、枝を切りながら採取していくと、別のベリーを見つけた。
十センチ程度の低木に、小粒の赤紫色の実がたくさん生っている。
「キルシェ、これも店で使うの?」
「クランベリーですね。はい、お願いします」
キルシェはラズベリーを選別する手を休めずに答えた。
僕は一粒色の濃い実をちぎって、一口食べてみた。だが甘いというよりも、
「すっぱ!」
口中を襲う刺激に、僕は頬全体をすぼめて耐えた。
「これってまだ完熟してないの?」
口の中を襲う酸味を水筒の水で洗い流す。
「いえ、クランベリーは完熟しても酸味が強くて生食には向かないんですよ。七面鳥の丸焼きにつけるソースに使われますから、むしろそちらの方がなじみ深いかもしれません。あ、そちらはまだ熟し切っていないのでそのままで」
場所を変えつつ、小一時間ほどラズベリーやクランベリー、ブラックベリーを採取したところでキルシェが言った。
「あまり取りすぎると来年は採れなくなりますから、これくらいにしましょう」
「ごめん、なんだか採るのに熱中しちゃって」
気がつくと、二つの籠には溢れんばかりのベリーが詰まっていた。
「いえ、私も初めのころは採れるのが嬉しくて、ついつい食べられないほど採ってしまったことがありました。その度母に注意されましたけれど」
「それより本当に今日はありがとうございました。これでパイ作りやジャム作りがはかどりそうです」
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