学園で爵位が一番低い僕が、ゴーレム魔法で最高位のヒロインと仲良くなる?
霧
第1話 ビンタされた。
「無礼者!」
鞭がしなるような柔らかい動きで手首が動き、細い腰がねじられる。
アプフェルの空気をも切り裂くように鋭い平手打ちが僕の頬を襲う。
十分なスナップと腰の切れの利いた平手打ちは、十五歳という年齢でも同年齢の男子を脳振盪にする力があった。
僕、ラッテ・フォン・カペルは頬に熱いような痛みを感じ、同時に馬車に引かれた猫のように無様に床に転がり、倒れる。それを見て彼女の周囲の男子たちは笑ったり、罵声を浴びせたりしていた。
「わたくしはイェーガ―家の三女! 侯爵令嬢という高い身分なのよ、なぜあなたのような男爵という最下位の貴族が私と対等に口をきいているの! 恥を知りなさい!」
僕はふらつく視界と頬の痛みに耐え、ゆっくりと立ち上がる。
僕を平手打ちした女子、アプフェル・フォン・イェーガ―は名門イェーガ―家の三女。家柄に加えて引き締まったスタイルや、目を引くばかりに輝くブロンドの髪、エメラルド色の大きな瞳に染み一つない輝くばかりの肌、氷魔法を使った芸術品の創出など、非の打ちどころがない才女だ。
それに加えて以前見た私服の一つにしても、彼女の髪と瞳に合わせるために創造されてきたように感じるほど他の女子とは格が違う。制服でも香水やバレッタなどといった制服以外の箇所でおしゃれしている。しかもそれがよくいるけばけばしい女子と違って、派手にならない絶妙なバランスでまとめられており、センスの良さがうかがえる。
そんなアプフェルの後を友人の男子・女子たちがぞろぞろと付いて行く。東方の貴族には皇帝の元に参上する際、部下を大勢ひきつれる「ダイミョーギョ―レツ」というのがあるらしいが、おそらくあのようなものだろう。
アプフェルの友人もアプフェルに劣らない。
その中の一人、背が高く輝くばかりのブロンド、引き締まった筋肉のローデリヒ・フォン・ギルベルトは伯爵家の生まれで、代々騎士の家柄。過去に十二歳以下限定の騎士の剣術大会で優勝経験がある。
もう一人、やや小柄だけど大人の視線にも臆した様子を見せたことがないスヴェン・フォン・ノイベルトはアプフェルと同じ侯爵家で代々宰相やそれに次ぐ国家の重鎮を務めている。眼鏡を時々治す仕草が知識階級の威厳を醸し出す。
僕は貴族の中でも最下位の男爵家、領地さえない。魔法は人並みの土魔法、趣味は街外れにある小さな屋敷の近くの山登りぐらい。中肉中背で、髪は東方の血が混じっているせいで黒く、金色や赤色がほとんどのこのミュンヘン国立魔法学園では悪い意味で目立っている。アプフェルにも彼女の友人にも釣り合わない。
この学園には男爵位は僕一人しかいない。他にも男爵家はいるけれど、学園に爵位が見合わないという理由で入りたがらないのだ。
そんな僕がこの学園に入ったのは、父上が領地がないためやむなく初めた商売に成功し、高額な入学金と授業料が必要なこの学園に入れてくれたからだ。コネがないために上手くいかない場面に出くわしてきたから、息子の僕にはそんな思いをさせたくないらしい。
コネづくりのためにせっかく入学させてくれた父上には悪いけれど、家柄の違いでハブられる毎日だ。上手く卒業してもコネなんてほとんど役に立たないだろう。
でもアプフェルが自分に対して取る態度もわからなくはない。
貴族社会とは見栄と体面、それに身分差が大きく影響する。同じ侯爵家同士でさえ父親の官職や領地次第で作法や態度が細かく決められているほどなのだ。
最下位の男爵位の息子である僕と、たまたま席替えで同席になっただけで迂闊に話せば悪い噂が立ちかねない。あれくらいに強い態度を取っていた方がいいのだろう。
ミュンヘン国立魔法学園はミュンヘンの町を南北に通る中央通りに沿って建てられており、労働力のゴーレムや馬車、人が中央通りを行き来している。
放課後、僕は学園のある大通りを少し入った所にある店に向かっていた。家々が立ち並ぶこの通りに突き出た高い煙突からは、香ばしい香りのする煙が立ち上っている。
風向き次第では学園にもその煙と香りが届き、僕のお腹を刺激する。
「ケルナ―・ブロート」と書かれた看板のあるレンガ造りの壁の店は、平民が主に利用するパン屋だ。高級じゃないが、知る人ぞ知る名店としてブランドのこだわりがない貴族が屋敷に届けさせることもあるらしい。
それに時々、貧乏貴族が利用しており、僕もその一人だ。
木戸を開けると、店の外とは比べ物にならないほどのパンの香りが漂っている。ローゲンブロート、ワイゼンミッシュブロートといった具のない、切って食べる主食系のパンから、プレッツエルをはじめとする手頃な大きさのパンまでが棚に並べられている。店の奥に供えられたレンガ囲いの竈からは、ちょうど焼き上がったパンのいい香りが僕の鼻をくすぐる。
僕の他にも同じ制服を着た子や近隣の主婦たちが数人、パンを買い求めていた。
「いらっしゃいませー」
白い三角巾を頭に巻き、飾り気のない半袖のブラウスと黒いロングスカートの上から真っ白なエプロンをつけたキルシェ(さくらんぼ)・ケルナ―が挨拶してくる。
三角巾でまとめられた赤みがかったやや癖のある髪を短めのポニーテールにしている。髪と同じ色の眉の下には快活で明るい色の瞳と、名前の通りさくらんぼのように瑞々しい唇があった。アプフェルと同い年のはずなのにその腰も胸も女性として成熟していて、しかもエプロンをつけているから無地の布地に走るしわの具合でその下の形がよりくっきりとわかってしまう。
一瞬だけ目を奪われるが、女子は男子のこういう視線に敏感だ。僕は鋼鉄の意志で視線を反らして、何食わぬ顔で棚からプレッツエルを一つとり、コーヒー注文してトレイに載せると僕はテラス席に向かった。
店の外、静かな通りに面した場所に数個の丸テーブルと鉢植えの花が置かれ、低めの柵で囲いがしてある。天気の良い日はこのテラス席に座って間食を取るのがお気に入りだ。
カリカリに焼いたプレッツエルの触感を味わいつつコーヒーを飲んでいると、いつの間にかキルシェが僕の近くに立っていた。
なぜか僕が座っているとよく近くに来るのだ。
「なんで僕の側に来るの?」
以前、あまりに気になったので周りに僕以外の客がいない時間を見計らってそう聞いてみたことがある。
「ラッテ様は、私たちを物みたいに見ませんから」
平民と違い、一夫多妻が普通の貴族は、妻に加えて妾を囲うのが珍しくない。妾の中には平民出身者も多く、その中には不当な手段で囲われた子も少なくない。
学園の中でも、盛んな男子は歓楽街に繰り出して派手に遊んだりするだけでは飽き足らず、街の中で気に行った子を見つけては手を出している男子もいる。「貴族にあらずんば人にあらず」と豪語している男子もいるくらいだ。
キルシェに褒められるのは嬉しいけれど、それは僕が領地なしの男爵という貴族としても平民としても中途半端な地位にいるから、平民を貴族とは別の生き物として見る習慣が身についていないだけだと思う。
「それに、ラッテ様の近くにいるって噂があれば、嫌な男の貴族が寄ってきにくくなるんですよ。迷惑でしょうが、悪い虫から私を守ってくださいね」
キルシェは舌を小さく出していたずらっぽく笑った。
「いいの? 迷惑じゃない?」
僕はキルシェを貴族とのトラブルから助けたことがあるけど、ただそれだけの関係だ。
家同士が知り合いだとか、幼馴染だとか、そういう間柄じゃない。
キルシェは僕の家がどこにあるかすら、知らない。
「ラッテ様なら迷惑なんかじゃ、ありませんよ……」
キルシェは尻すぼみな声で何か言ったけれど、よく聞き取れない。
僕が聞き返そうとすると、その前にトレイで顔を隠して店の奥へ駆けていった。
あの慌てぶり、ひょっとすると……
おそらく仕事が忙しいのだろう。
パン屋さんも大変だ。
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