第3話 アプフェル。

 そのまま少し行くと、開けた場所に出た。山の中だけど林が途切れており、背の低い草がまばらに生えている草原だ。平坦な地形が広々と広がっており、大人数で遊ぶのに便利そうだ。

「ここは初めて来たな」

 いつも辿る登山のコースとは外れているため、見たこともない景色だ。このヴァイス山は林ばかり続くと思っていたからこんな風景はすごく新鮮に感じる。

「私もです」

 僕もキルシェも、黄金色の日の光が降り注ぐ眩しさに目を細めた。そのまま二人で草の香りを胸一杯に吸い込む。こんな風景を見ると、草しかないって、つまらなそうな顔をする子も多いけどキルシェはそんなこともなく香りや風を楽しんでいた。

 自然の香りが心を穏やかにしてくれるのか、黙っていてもお互いの空気が気まずくなることもなかった。

 いい雰囲気って、こういうのを言うのだろうか。

 穏やかな風に目を細めるキルシェの横顔は、町でいつも見ているよりもずっと魅力的に見える。

 秋風がキルシェの赤みがかったポニーテールを揺らす。

 どうして長い髪が風になびく姿って、魅力的に見えるんだろうか。

 キルシェの髪と同じ色の瞳と目が合う。

 何か言いたいのに言葉が出てこない。キルシェも同じ感じだ。

 でも彼女の方が男の僕よりも、勇気があった。

「ありがとうございます」

 キルシェは突然お礼を言って、頭を下げた。勢いで頭の後ろのポニーテールが揺れる。

「急にどうしたの?」

「いえ、こうして静かな場所に二人でいると、ラッテ様と出会ったときのことを思い出して」

「ああ……」

 彼女と初めて出会ったのは、ケルナ―・ブロートで貴族に絡まれている彼女を助けた時だ。

「あの時、私すごく怖くて。体が震えて。あの時に限って、周りに誰もいなくて」

「でもあの時の僕、全然格好良くなかったでしょ? おんなじように震えて、焦って。挙句の果てには嘘までついて」

「でもその嘘があったから、あの貴族たちからもう手出しされなくなったんです。感謝してます。だから改めて、ありがとうございます」

 キルシェはもう一度、深々と頭を下げた。

「ありがとう」

 人に感謝されるのは、嬉しい。

 男爵という理由だけで、学園では浮いた存在だから。その言葉は久しぶりに聞いた気がする。

 でもそれ以上は求めてはいけない。

 高望みすると、ろくなことはないんだ。

 僕は麓へ足を向けた。

「戻ろうか?」

 キルシェは呆気にとられたような、僕に文句を言いたそうなそんな顔をした。



 突然大勢の人の声が二人だけの空間を打ち破った。

 軽装の弓を手にした狩り着を着こんだ人たちや、飾り気のなく裾が短い燕尾服を着た貴族がこの平原に入りこんできたのだ。

「なんだろう」

「誰でしょうか?」

だけど疑問に思う間もなく、僕たちの立っていた方からも同じような服装の人たちがやって来ていた。こちら側の人たちは燕尾服を着ておらず、ウール生地の軽装を着こんでいる。

「邪魔だ、どけ!」

そのうちの一人がキルシェを突飛ばし、平原に走り込んでいった。

「あ……」

 この平原は、林との境界線付近で道の両脇が斜面の急な崖になっている。キルシェは今の衝撃で体勢を崩し、まばらに生えた木と岩だけがある急斜面に向かって身体が泳いでいる。

彼女の手は何かをつかもうと、何もない空中で必死に動いていた。

「危ない!」

 僕は咄嗟にキルシェの手を掴む。そのまま力いっぱい握りしめ、不安定な足場だけど腰を落として踏ん張り、彼女を引き寄せた。

ジャムの様に甘い香りのする華奢な体がぼくの腕の中に収まる。はじめて抱きしめた家族以外の女子の体は驚くほど柔らかくて、甘かった。

「あ、有難うございます、ラッテ様」

 キルシェは俯いて、僕の服の裾を握りしめていた。手は崖に落ちかかった恐怖のためか、小刻みに震えている。

「ご、ごめん」

 ぼくはそっと彼女の体を押し返して距離を取る。 好きでもない男子に抱きしめられていたのだ、嫌で当たり前だ。

女子と接した経験がほとんどないから、考えが及ばなかった。

「……」

 でも気をつかったはずなのに、キルシェはますます白い頬を膨らませていた。

なぜそんな表情をしているのか。それすらも経験のない僕にはわからない。

 色々と自己嫌悪に陥っていると、聞きなれた高い声が僕の耳に響いた。

「あら。あなた方、イェーガ―家の狩り場に何のご用ですの?」


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