第12話 及びませんわ

 テラス席だと目立つので、僕とアプフェルは店内にしつらえてあるイートインの席に同席した。アプフェルの顔は壁とヴェールでうまく隠されており、ここなら僕以外からは彼女の顔が見えないので他の客に顔バレして騒ぎになる心配はない。

 こうして静かな店内にアプフェルと向かい合って座っていると、世界に二人っきりになったような感覚になる。

「……」

「……」

 アプフェルがカプチーノをすする際も、口元を隠すように傾けたカップをソーサーに戻す際も全く音がしない。

 さすが侯爵令嬢、食事方法は優雅だ。

 しかし、そのせいで余計に沈黙が際立つ。

 女子に対して、何を話して良いのかわからない。アプフェルの友人たちが話していた内容を思い出したけど、僕では彼らの話題を膨らませることができそうにない。

リア充でもない僕には、アプフェルが分かりそうな話題なんて授業のことくらいしか思い浮かばない。

 かといってこの場で魔法理論について話すのは違うだろう。

 アプフェルは顔色一つ変えずに再びソーサーを傾けた。

 いや、そろそろ苛々してきたようだ。さすがに僕でも空気でわかる。

 話題…… 話題……

 必死に探していると、アプフェルが注文したタルト・タタンが目に入った。

「アプフェル、タルト・タタンが好きなの?」

 僕は欠片一つ落とさずにタルト・タタンを食べるアプフェルに、わらにもすがる思いで話題を振ってみた。

 アプフェルはその言葉を聞くと、遠くの空を眺めて憂いを帯びた瞳で呟いた。

「そうですわ。わたくしの名、アプフェルと同じリンゴを使った菓子ですし。お母様も好んで食べていました」

 いました、か…… 

「思い出のお菓子ですの。わたくしが一番最初に食べた記憶のお菓子が、これですわ」

 タルト・タタンのこげ茶色のリンゴをフォークで切り分ける。

 フォークがカラメルを割って、中のリンゴから果汁が溢れ出てきた。

「お母様が焼いて下さったの。気さくな方で、令嬢自ら腕を振るって。三歳になったわたくしの誕生日に。他にも色々なプレゼントがありましたけど、タルト・タタンが一番のプレゼントでしたわ」

 目を細め、アプフェルは思い出に浸るように語っていた。

 普段は高慢な彼女が、こんな一面を見せる時もあるのか。

 思いもよらない彼女の姿に、僕はプレッツエルをかじる手を止めて見とれていた。

 でも過去形で語ったということは、もうアプフェルの母上は……


「ああ、早く会いたいですわ」


 思わぬセリフに、ずっこけそうになってしまった。

「生きてるの?」

「勝手に殺さないでくださいます?」

「だって、過去形で語ってたし」

「今は他のお菓子も好むから、そう言っただけですわ」

「寂しそうに語っていたのは?」

「ここ数カ月ほど、実家の領地に帰っているだけですわ! 近々お戻りになるから、懐かしく感じただけですのよ!」

「……それと」

 アプフェルは気持ちを切り替えるかのように、カプチーノに口をつけた。

「あなた、貴族と平民の間柄でありながらこのパン屋の娘と恋人だという噂がありますけど」

 虚をつかれて心臓が跳ね上がった。

 確かに、貴族に絡まれていたキルシェを助けるためにあえてそう言う噂が広まるようなことをした覚えはある。

 でもそれはあくまで噂、実際は僕とキルシェが付き合っているわけでもないし告白した仲でもない。

 それなのに、アプフェルに言われると悪いことを見咎められたような気分になった。


「嘘ですわね?」


 何の前置きもなく、ただ核心をつく言葉。

 心臓が跳ね上がるような感覚を覚える。声が上ずりそうになる。

 でも、ここでそれを認めるわけにはいかない。ここで認めてしまえばキルシェがまた嫌な目に遭うかもしれないのだ。

 でも愚直に否定しても見透かされる気がする。

「……どうして、そう思ったの?」

 上ずった声を必死に押さえながら、肯定も否定もせずにそう言うのが精いっぱいだった。

 でもアプフェルはそんな僕を見て、柔らかく口元を緩めた。

「あなたとキルシェの会話を見ていて、確信しましたの。女の勘、というものを甘く見ない方がよろしいですわよ。でも御安心なさい、このことを他言する気はありませんから。ゴシップ、というものが元々好きではありませんし」

「ありがとう」

「礼には及びませんわよ?」

 アプフェルはタルト・タタンの最後の一切れを口に運ぶと、上品にナプキンで口元をぬぐった。

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