第11話 恩人

 翌日、アプフェルが狩りに行った山で何らかのトラブルに遭ったが、父親に助けられたという噂が学園で流れた。

 だが同時にイェーガ―侯爵の武勇伝や雷魔法が尾ひれをつけて広まっていく。

 一撃で猪十頭を仕留めた後、山を焼き払ったとか、

 猪だけに飽き足らず雷で大木まで一刀両断にしたとか、

 魔法の雷で自然界の雷を切ったとか。

 真偽を織り交ぜて、明らかに嘘とわかる情報までが噂として流れていく。

 皆の関心は初めこそアプフェルを心配する声が多かったが、アプフェルが大したことなかったという態度を取り続けたことや、父親の武勇伝が冗談交じりに語られたためか深刻に捉える感じはなくなっていった。

 さすがはイェーガ―家。緻密な情報操作だ。

 ちなみにアプフェルを止められなかった使用人はクビになったらしい。まあ、仕方ないだろう。

 色々あったけど。明日から、体育魔法祭だ。



 ズィーベンの襲撃から数日たったある日、僕は学園帰りにキルシェの店に立ち寄った。

 いつものプレッツエルとコーヒーのセットを銅貨三枚で注文する。そのままテラス席に行こうとすると、隣に黒い貴族の服を着た人が立っていた。

 黒いヴェールを垂らした帽子をかぶって、横顔を隠している。

 見た感じ怪しい人で、キルシェのパン屋に合う感じじゃない。

 けど貴族の人がお忍びで取り寄せることもあるという、知る人ぞ知る隠れた名店らしいから、おおかた貴族のお使いか、もしくは焼き立てを食べたくなった気まぐれな貴族本人かだろう。

 さわらぬ神にたたりなし。

 僕は出来るだけ自然な感じでその場を後にしようとした。


「ラッテ男爵、わたくしを無視いたしますの?」


 その黒い服の人は僕を真正面から見て素顔を晒す。アプフェルの目を引くばかりに輝くブロンドの髪とエメラルド色の大きな瞳が露わになった。

髪を狩りの時と同じポニーテールにして、黒をベースにした簡素でゆったりとした服装を着ているため、シルエットがわかりにくくなっている。これならヴェールが取れても、正面から顔を見られない限り気付かれないだろう。

「どうしてこんなところに?」

 アプフェルはヴェールを戻して、優雅に微笑んだ。

「わたくしの家にもケルナ―・ブロートのパンは届けさせていますのよ。でも以前山でキルシェからパイを貰い、焼き立てが食べたくなりましたの」

 それで以前、パイを見たときに驚いていたのか。

「店の人間と直接話す機会もありましたし、あの時のお礼も兼ねてこうして足を運んだわけですわ。キルシェ」

「は、はい!」

 店の隅にいたキルシェがアプフェルに呼び止められ、ぱたぱたと駆けよっていく。

「タルト・タタンはありますの?」

 タルト・タタンとはバターと砂糖で炒めたリンゴを敷き詰め、その上からタルト生地を載せて焼いたお菓子だ。ひっくり返して食べるので、カラメルが焦げた褐色のリンゴが特徴的である。

「ありますけど、これはある貴族様のご注文で」

「構いませんわ。それはわたくしが注文させたのですから。この店で食べます。カプチーノとセットでお願いいたしますわ」

 アプフェルはそう言って、光沢のある高級感あふれるハンドバッグの中から銀貨を一枚取り出して渡した。

 銀貨は銅貨の十倍の価値があるから、僕の三倍以上の買い物になる。

「ラッテ、あなた随分と質素ですのね。貴族ですしもっとお金を使ってもよいのでは? 持てる者が金を貯め込んでばかりですと経済は回りませんのよ」

 こういっても嫌味に感じないのは、アプフェルの気品と人格のなせる技だろう。実際、その通りでもある。別の国では長引く不況のために国民が貯蓄にばかり金を回すようになり、数十年も不況とデフレから抜け出せなかったという。

「僕は領地もない男爵位だけど、父上が興した商会が成功して、やっと国立魔法学園に通えるだけのお金を稼いでもらってるだけなんだ。でも商売が順調でない時もあるし、僕が自由に使えるお金はそんなにあるわけじゃない。節約しすぎると見識が狭くなるそうだから最低限のお小遣いは貰ってるけど」

「……失礼なことを言いましたわ。親の稼ぎが自分の稼ぎのような言い方でしたわね」

 アプフェルが素直に頭を下げたので、僕は驚嘆してしまった。

 いつも居丈高なアプフェルがこんなしおらしい態度を取るなんて、悪い物でも食べたのだろうか?

 僕がそう思うと、彼女は少しだけ拗ねたような顔をした。

「……わたくしでも命の恩人にはそれなりの敬意を払いますわよ」

 アプフェルの白磁の様な白い頬が、桃の花を散らしたかのように染まった。

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