第21話 身の程

 会場の中央で歓談しているアプフェルに目を向けた。

 普段の彼女とは違って髪をアップにまとめ、大胆に肩を出して赤を基調にした蠱惑的なドレスを身に纏っている。繻子織りの生地が蝋燭の明かりを、凪いだ水面の様に照らし返す。

 けれど決して売春婦の様なけばけばしさはなく、彼女が着ることでむしろ清楚な感じさえした。

 間断なく雪の様な白ひげを蓄えた老人や、同じ学園生、さらには学園生の兄弟と思われる小さな子供とまでそつなく挨拶をこなすアプフェル。普段の居丈高な様子はなく、侯爵令嬢としての気品と教育がうかがえる。

 ダンスの申し込みは途切れることない。

 ダンスを申し込まれて、踊り、華麗なステップ。リードしているはずの男が逆にリードされているかのように見える完璧な身のこなし。

 こうして見ていると、彼女が僕と違う世界の住人だということを認識させられる。

 僕は相変わらずダンスを申し込むことも申し込まれることもなく、ちびちびと料理を食べながらパーティーの様子をぼーっと眺めていた。

「イェーガ―侯爵、是非一曲」

 鍛え抜かれた逆三角形の肉体をタキシードで包んだローデリヒが、アプフェルを誘うため手を差し出す。

「喜んで」

 アプフェルは恭しく頷いてローデリヒの手をとった。

 曲目が力強いものに変わり、ダンスが始まる。

 二人とも家柄も知名度は抜群だし、ローデリヒとアプフェルが踊るのを見た演奏隊の人が彼らに最適な曲に変えたのだろう。

 ローデリヒが力強くステップを踏み出し、アプフェルがそれに応える。

 片方が一歩踏み出せば片方は一歩引く。ローデリヒが白手袋に包まれた手でアプフェルの華奢な背中を力強く引きよせ、二人の体が密着するたびに会場からは黄色い声援がわき上がる。

 お互いがお互いを高め合っているかのような、長年連れ添った鳥のつがいのような。息の合った完璧なダンス。

 やがて指揮者が力強く指揮棒を振り上げ、シンバルが雷鳴をとどろかせると曲が終わり、彼らのダンスも終わる。

 オペラが終わった後のような静寂が会場を包む。

 周りで踊っていた学園生たちまでも、ダンスを止めて見惚れていた。

 でも僕はアプフェルやローデリヒの魔法を見た時の様な感情は湧いて来なかった。

 彼らを見ている間ずっと胸がざわざわしていた。

 見ているだけの自分が、歯がゆかった。

 アプフェルにダンスを申し込むという身の程をわきまえない考えが、一瞬だけ頭をよぎった。


 外に出て、バルコニーの欄干にもたれかかる。夜風と遠く離れた喧騒が気持ちいい。秋も深まってきたのでこの時間のバルコニーは肌寒く、僕一人しかいなかった。

 夜空を見上げると、インクで黒一色に塗られた紙に宝石が散らばっているようだ。空を見れば宝石は手に入るのに、なぜ人は宝石を買い求めるのだろう、なんて哲学的なことをふと考えた。

 虚しくなると取りとめもないことを考えてしまう。

 寒くなってきたので、中に入ろうかな。

 そんなことを考えていると、髪を汗で額に張りつかせ、息を少し切らせたアプフェルがちょうど外に出てきた。ブロンドの髪とエメラルドの瞳が地上の天の川と星のように見える。

「あら」

 僕の姿を認めると、わずかに顔をほころばせた。

 普段の僕なら挨拶の一つでも返せるけど、あれだけの魔法とパーティー会場でのそつのない振る舞いを見せられた直後だったので引け目がひどい。

 目を反らして、そそくさと場を離れようとした。

「お待ちなさい」

 だけどそんな僕を見てアプフェルは一転不機嫌になる。

「わたくしの顔を見て、どうして逃げるの?」

 僕は答えられなかった。

 アプフェルの言葉を真正面から受け止める勇気も出なかった。

 自分と格が違う人間だと、あらゆる場面で思い知らされた直後だったから。

 でもアプフェルは僕を見る目を反らさない。二つのエメラルドが、僕の顔を映している。

 こんな、卑屈な僕の顔を真正面から見ている。

 なぜ?

 こんな人間の顔、見てるだけで不快になるはずなのに。

 今まで僕と出会った女子の大半がそうだった。例外は家族とキルシェくらいだった。

 僕はアプフェルから目を反らしているのに、アプフェルは僕から目を反らさない。根負けした僕は、喉の奥から声を絞り出すようにしてなんとか返事をした。

「アプフェルと僕は、やっぱり違う世界の人間だって思い知らされたから……」

 表現を考えることも、包み隠すだけの気力もなく、思ったままの返事をした。

 でもアプフェルは。

 そんな僕の返事を聞いてみっともないと叱るわけでもなく。

 当然でしょ、と不遜に振舞うわけでもなく。

 悲しげに目を伏せた。二つのエメラルドがまつげに隠れて見えなくなる。

「あなた、そんなことを考えてらしたの? むしろそう思ったのは私の方ですわよ」

 あまりにも意外な返事に、僕は自分の耳がおかしくなったのかと思った。

 そんな僕の様子を見て、アプフェルは額に手を当てて溜息をつく。

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