第37話 忘れて
森に入ると、マリグネが多く生息しているというだけあって普通の森とは雰囲気が違うのを肌で感じた。
生えている木々や下草は普通の森と大差ないはずなのに、肌を刺すようなピリピリとした雰囲気が伝わってくる。
「探知系の魔法がないのに、どうやってマリグネを見つけますの?」
「大火力がある、チームなら、手当たり次第に魔法を放つ、手もあるけど、リスクが大きい」
女子二人組が懸念を示すけど、それくらいは織り込み済みだ。
「アプフェルとツィトローネの不安は尤もだけど、山や森なら慣れてるし、やりようはあると思う」
僕は地面に屈みこみ、注意深く地面を観察した。
「なにをやっているんだい?」
ローデリヒも同じように身を低くし、興味深そうに聞いてくる。
僕は木の根の隙間や、落ち葉の影などを重点的に探す。
五分ほどで、手掛かりは見つかった。
「なんですの、それは?」
アプフェルが指さしたのは、黒光りする小石をつないでくっつけたような形の物体だ。
「イノシシの糞だ」
僕の返答にアプフェルはあからさまに眉をしかめた。
「汚いですわね。そんなものでなにがわかりますの」
僕は糞の艶や暖かさ、蠅がまだ集っていない様子などから判断をつけた。
「まだ新しい。ひょっとしたらマリグネかもしれないから、この周囲を探してみよう」
それからさらに周囲を探索すると、木の根を掘り返したような跡もあった。マリグネも食事をするし、マリグネと化す前と同じものも食べる。イノシシはよく木の根を食べるから、この付近にいるはずだ。
「よくわかりますわね」
アプフェルが感心したように声を上げた。
「僕も狩りはするけれど、ここまで詳細に把握したことはないね」
「まあ、大貴族は狩りをするときに、こういうことは全部獲物を追い出す勢子に任せちゃうからね。僕は一人で山に入って、一人で獣から身を守らないといけなかったから……」
僕は自嘲気味に答えたけど、ツィトローネはそう受け取らなかったらしく、小柄な体で僕を輝くような視線で見上げていた。
「何でも、一人で、やっちゃうタイプ? 人任せにしない、その姿勢は、いいと思う」
「やっちゃうんじゃなくて、やらざるを得なかった、って感じかな」
僕はツィトローネの視線に気恥ずかしくなって、ぶっきらぼうに答えた。
さらに五分ほど歩くと森がさらに深くなっていく。
木々の間隔が狭まり、頭上を覆う木の葉のカーテンも濃くなって周囲が薄暗くなっていく感じだ。
「ラッテ君、は、落ちついて見えるけれど、マリグネ、狩ったことが、あるの?」
僕の隣を歩いていたツィトローネが不安を瞳ににじませて見上げてくる。
僕の服の裾を指先で強くつまんでいるのが、手のかかる妹を相手にしているみたいでいじらしく思えた。
「一度だけね」
マリグネと戦ったのは以前ヴァイス山でヒグマのマリグネ、ズィーベンに出会ったときだけだ。その時も狩ったというより狩られたという感じで自慢できるようなものじゃないけど。
それ以外に対応したことはあるけれど、狩ってはいない。ゴーレムを盾にして、じりじりと後ずさった。そうすると小型のマリグネは警戒して、逃げていってくれた。山で熊と出くわした時は目を決して反らさず、背中を見せないようにしてゆっくりと後ずさるのがいいと聞いていたのでその通りに実行しただけだ。
狩る勇気なんて、なかったし。
それに他の貴族の領地でマリグネを狩ったりしたら、どんな難癖をつけられるかわからない。
でもそのせいか、ズィーベンと対峙した時もパニックになることなく行動できたと思う。
「……すごい、ね」
それでも、経験者がそばにいるというのは違うものらしい。ツィトローネの指先から力みが抜けたのを感じた。
「私も狩ったことがありましてよ!」
アプフェルは少しだけ声を大きくして唇を尖らせる。
「そう、なんだ…… さすがは、イェーガ―家」
ツィトローネは体の前で両手を合わせ、尊敬、いや崇拝するようにアプフェルを見つめた。当然僕の裾をつまんでいた指は離してしまっている。
「ま、まあ当然ですわね!」
背を反らして胸を張り、高らかに宣言している。
まああの時は漏らしてたし、それくらいの虚勢には目をつぶろう。貴族の情けだ。
「僕も初めてだな」
ローデリヒは腰の剣にしきりに手をやりながら、強く短く答えた。
「意外だね? 騎士の家系だから、てっきりマリグネ狩りには狩りだされてるのかと」
「人間相手とマリグネ相手ではまた勝手が違うからね。騎士としての振る舞いや礼儀作法などが優先されて、後回しになっていたんだ。お陰で剣の扱いや手入れについては詳しくなったが」
魔法杖を兼ねた剣は、騎士の家系らしく武骨な造りの鞘に納められ、滑り止めのなめした皮が柄に巻かれている。
僕たち人間が緊張していることをのぞけば、全くの平和な森だ。
風に木の葉がざわめくことをのぞけば、音がほとんどしない。
イノシシを警戒して地面を注視しているが、特に襲撃はない。藪に隠れていることが多いため風とは違う揺れ方にも警戒しているが、それもない。
「緊張感がいる場面ですのに、気が抜けてきますわね」
アプフェルは小さな口を隠しながら、軽く欠伸を漏らした。
「弛んでいる、と非難することもできないね。行軍中に気が緩むのはよくあることだし、何より人間はそう長時間緊張し続けていられないらしい」
「そう、思う」
三人ともさっきまでの緊張の反動か、リラックスして森の中を歩いている。
過度な緊張はかえって体力の消耗を招くからいいことなんだけど、なぜか嫌な予感がぬぐえない。
なんだか、森に違和感がある。
どことは言えないけれど、全体的に妙な感じがした。
ふと首筋に流れる風の方向が、変わった。
「みんな、伏せて!」
僕は咄嗟に、スクールカースト最下層であることも忘れて指示を出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます