第38話 足元
迂闊だった。
足元ばかり見ていて、頭上が疎かになっていた。
僕たちの頭上を黒い殺気が通り過ぎる。
不意をつかれて、アプフェルのブロンドの髪が数本宙に舞う。キルシェは背が低かったせいか上手く避けられたらしい。ローデリヒは空からの攻撃に僅かに反応が遅れたけれど、さすが騎士の家系と言うべきか、剣を抜くよりも咄嗟に地に伏せて安全を優先していた。
僕たちを襲った存在は、既に僕たちの近くにはいない。
僕は森の木々の隙間から見える曇り空を穴があくほど見つめ、灰色の空に動く一点を見つける。
真っ黒の体躯に、あまりはばたかずに空を滑走する飛行方法。
マリグネは、地を這う獣ばかりではない。カラスのマリグネ、ラ―べ(Rabe)だ。腹の下に黒い毛並みに混じったマリグネ特有の金色の体毛が見えた。
「あ、ああ……」
ツィトローネは命が危ないという状況が初めてなのか、空を見たまま呆然としている。地面に手とお尻をついて座りこんだままで、魔法杖すら抜いていない。
アプフェルは経験があるせいか腰の魔法杖を既に抜いているけれど、以前殺されかけたズィーベンとの記憶がフラッシュバックしているのか涙目になって太股を震わせていた。座りこんで膝を立てているから太股が良く見えるけど、幸い正面には男子が立っていないので中身を見られることはなかった。
「アプフェル!」
僕が叫ぶように呼ぶと、アプフェルは我を取り戻したのかすぐに立ち上がって本黒壇の魔法杖を構え直す。
それよりもう一人の方が重症だ。
「ツィトローネ!」
僕が叫ぶと彼女はよろめきながらも立ち上がり、ベルトに差し込んである魔法杖を手探りで抜く。
だけどペンほどの大きさしかない杖の先端も、膝も震えていて怖がっているのが明白だ。
「怖いなら、いったん下がって僕たちの様子を……」
「逃げ、ない」
ツィトローネは震えながらも気丈に答えた。
「私だって、子爵家の娘。それに私の故郷、ポーレンはオストラントと国境を接している、革命の火種がいつ私の故郷に飛び火するかもしれない。私は領地と、領民を守る義務がある。そのためには、こんなところで逃げていられない」
革命か。バイエルンは七十年前の大戦以来戦争は起こっていないが、東西のオストラントとウエストラントでは革命と言うものが起こり王政が倒されたらしい。バイエルンもそれに巻き込まれる日が来るのかもしれない。
彼女から、震えが消えた。
ローデリヒも剣型の魔法杖を抜き空に向かって正眼に構えた。
僕は素早くザックを下ろして地面に転がす。ゴーレムの操作には影響がないと思って担いでいたけれど、この状況ではもう邪魔だ。
「カペル君! マッド・ゴーレムで盾を!」
ローデリヒが正眼に構えた剣を、空に向けたまま言う。
確かに、あれは巨大だから盾としては最適かもしれない。けれど、
「いや、あれは盾には向かない。動きが鈍いから」
僕はそう言いながら、樫の魔法杖を振る。
「ストーン・ゴーレム」
表面が灰色や青みがかった石で構成された、僕と同じくらいの背丈のゴーレムが出来上がった。アース・ゴーレムより操作が難しいけれど、ヴァイス山と体育魔法祭の後にかなり練習したので、ほぼ成功するようになった。
やはり一度成功すると、コツが掴めるのかそれ以降の習得が早い。
「カペル、あなた……」
「うん。あれから色々練習したから、ストーン・ゴーレムはマナの質が余程僕に相性が悪くない限り成功するよ。アプフェルのお父さんの魔法を見て、もう一つ練習したゴーレムもあるけどそれは別の機会に」
空からゴミをあさるカラスとは比較にさえならない薄気味悪い鳴き声。
ラ―べが空を旋回しながら、不気味な調べを奏でて僕たちを見下ろしている。
「アプフェル、アイシクル・エンピレイングで攻撃できない?」
「距離が遠すぎますわ。この位置からでは私たちに氷の彫刻が降ってくるだけになりますわよ」
「私の、ファイア・イン・ウオラも、座標を正確にとらえないといけない、から。動く対象に対しては、当てにくい」
「僕の、カービング・ソードも同様だね。届かない」
僕たちの班は全員、射程が長い魔法がない…… 相性は最悪な相手だ。
空気が沈んでいくのがわかる。
曇り空に関係なく、重苦しい。涼しいはずの風でさえ肌に張り付いて鬱陶しく感じる。
だけど、そんな空気をものともしない存在がいた。
「ならば降りてきたところを叩くだけですわ!」
アプフェルの声が耳朶に響く。心地よいしびれの様なものが耳の奥から胸の奥へと広がって、手足に力がわいてくる。
彼女の声は張りがあって、よく響いて、自然と人を力づけ、勇気づけてくれる。
みんなの顔にも覇気が戻ってきたのを感じた。
「そうだ、ね」
「任せておたまえ! 僕の剣で返り討ちにしてあげるよ!」
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