第40話 どうしたの
戦闘が終わった後溜まっていた疲労が溢れ、緊張感が抜けたのか、皆、土の地面だというのに座りこんでしまった。もっとも体力のあるローデリヒでさえ、そうだった。
「少し休憩しようか」
背負っていたザックから、支給されていた食料と水を取りだす。
栓をした二つの革袋に入っていた水を、男女に分かれて回し飲みした。
皆、言葉もなく喉を潤し、かってはラ―べだった黒塊に目を向けたり、頬を撫でる風の涼しさを感じたりしている。
食料である黒パンを軽くかじり、お腹が満たされるとローデリヒが冷笑しながら呟いた。
「騎士と言っても役に立たないものだね」
騎士を貶めるような台詞にローデリヒ以外の三人が目を剥くが、彼は構わず続けた。
「剣の腕にいかに自信があっても、空を飛ぶ敵にはガードするくらいしか役に立たなかった。攻撃を防いだり、火を防いだり、カペル君のゴーレムの方がよほど役に立っていたよ。それにカペル君、君は慣れてるね」
「私も、それ、思った。私も、ローデリヒでさえマリグネって思ったときは足が一瞬竦んだのに、ラッテ君はすぐに反応できた」
「一度だけマリグネを狩ったことがあるから…… そのせいかな」
だから、僕は凄くない。同じようにマリグネと戦ったことがあれば、ローデリヒは僕なんかよりももっと上手くやれているだろう。
だがアプフェルが僕の耳元にそっと顔を寄せ、小声で耳打ちした。
もぎりたての林檎のように、甘く品のある芳香が僕の鼻をくすぐる。
「カペル、なにを考えていますの? どうせまたつまらない卑下を考えていたのでしょう? でも、条件は私も同じ。にもかかわらず、私は恐怖が先立ってしまった。あなたはなにをするべきか、咄嗟に判断し行動できたではありませんの」
「それよりも……」
アプフェルが太股をこすり合わせるようにしながら、何かに耐えるように口を固く引き結ぶ。
何かを決心したかのように頷き、僕をエメラルドの瞳で見つめた。
「ツィト、ローデリヒ。私はカペルと話しがあるから少々お待ちなさい」
「あ、アプフェル?」
彼女はそういうや僕の手を引いて、茂みへ入っていった。
「アプフェルはどうしたんだい? 君に何か心当たりは?」
「男女が二人、茂みの中。これは…… がんばって」
ローデリヒは首をかしげ、ツィトローネは茂みに向かって親指を立てた。
「どうしたの、アプフェル?」
アプフェルは茂みの奥に僕を連れ込んでやっと止まった。周囲は背の高い木と木に絡む蔓と色の濃い葉ばかりで、数歩先も見渡せない。当然ツィトローネたちの姿は見えなくなっていた。
生い茂る葉が音も吸収するのか、いやに静かに感じる。
「カペル」
アプフェルは僕の胸元に縋るようにして、言葉を紡いだ。僕の魔法服に添えられた彼女の手から彼女の体温が伝わってくる。
「あなたは、わたくしを受け入れてくれましたわ。わたくしの秘密を言いふらすこともしなかった。笑い物にすることもしなかった」
「前にも言ったでしょ? そう言うのは嫌いなんだ」
「あらためて、お礼を言わせていただきますわ」
アプフェルは両の手を体の前で合わせ、深く腰を折る。
その姿からはお礼と言うよりも、決意のようなものが伝わってくる。
やがて彼女は頭を上げる。
「わたくしを気味悪いとは思いませんでしたの? みっともないとは?」
「僕の方がよっぽどみっともないよ。君の、その…… 漏らしちゃうことくらい、何でもない」
アプフェルは口元を緩ませ、胸をなでおろし、心底から安堵したような笑みを浮かべた。
「それは…… カペル」
胸をなでおろした手を握りしめ、彼女はまるで一世一代の言の葉を紡ぐように白い喉を震わせた。
「わたくしのすべてを受け入れてくれるということで、よろしいですの?」
期待と、不安の入り混じった視線でアプフェルは僕を見つめる。
彼女がこんな目をして僕を見るなんて想像もしなかった。
すべてを受け入れる、曖昧な言葉でその真意はわからない。
だけど彼女のこんな不安な眼を見ていたら。
少しでも、彼女の力になれればと言う気持ちがわき上がってくる。
首を縦に動かし、彼女の言葉にうなずこうとする。
『ラッテ様。また私のお店でパンを食べてくださいね』
でも首に力が入ろうとした瞬間に、キルシェの顔が、髪の後ろで結んだ短いポニーテルが、香ばしいパンと彼女の甘い香りが入り混じった匂いが、頭に思い浮かんだ。
アプフェルの言葉の真意はわからない。
でもここで首を縦に振ったらキルシェが悲しい顔をするような気がして。
僕は首を横に振ろうとした。
だけどその前にアプフェルが一歩踏み出す。
僕とアプフェルの距離がほぼゼロになって、彼女の胸が、お腹が僕の身体に当たる。
アプフェルは僕の体に手をまわしてしがみつく。彼女の柔らかい感触が、服越しに伝わる。
「もう、待てませんわ」
アプフェルは全身をもじもじさせながら、顔をリンゴのように真っ赤にする。
「あ、ああ」
彼女が何かに弾かれたように体を大きく震わせ。
同時に、僕の脚に生温かい感触が伝わってきた。
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