第26話 視線
朝食に何を食べたか、くらいの気軽さでアプフェルは返事を返した。
アプフェルの返答に僕は数秒思考が止まってしまった。次にアプフェルが何か言ったらしいけど、それが頭に入ってこない。
空を仰ぎ見て、自分でもわかるほどに大きく瞬きをする。視界が一瞬黒に染まり、また色を取り戻す。同時に世界が音を取り戻し、徐々に思考が追いついてきた。
アプフェルが? 僕と一緒に班を組んでくれる?
え? いいの? ていうか、アプフェルは冗談が嫌いなタイプだし本心でないとこんなことは言わないだろう。
ということはアプフェルは本当に僕と班を組んでもいいってこと?
「ちょっと、わたくしが話しかけているのに無視を決め込むなんて失礼ではございませんこと?」
アプフェルの拗ねたような声に僕は我に返る。
「ご、ごめん。というか、男爵風情の僕なんかと組んでくれるなんて思ってもみなかったから」
僕は男爵風情、という言葉をわずかに強調して返事する。
初めて同じ席になった時、男爵風情と言いながらアプフェルが僕を平手打ちしてきたことを思い出す。あの時に比べれば随分と僕に対する態度が変わったな。
でも、アプフェルが僕を平手打ちしたのはあの時一度きりだった。あの日以降同じようにされたことはない。
ズィーベンから助けたせいかと思ったけど、思い返せばその前に山で会ったときも蔑むような視線を向けられたことはなかった。どちらかといえば警戒するような視線だった。
アプフェルは家柄を自慢することはあっても、身分をかさに着た態度を取ることはなかった。平民であるキルシェに対してですらそうだった。
それなのになぜあの時だけは、男爵風情、と罵りながら平手打ちしてきたのだろうか?
「……悪かったですわよ。カぺル」
彼女は僕と中空で視線を往復させながら言いづらそうに言った。
「その…… 初めてあなたと同席になった時、平手打ちしてしまって。大人げなかったとは思っていますわ」
「ううん。気にしてないし、それに男爵風情と変な噂がたっても家に迷惑がかかるだろうから」
僕は本当に気にしてなかったのでそう答えたのだけれど、アプフェルはますます申し訳なさそうに縮こまってしまう。
「あなた、ケルナー・ブロートのキルシェと恋仲だと噂がありましたでしょう?」
確かに。まあそれは、ロルフやライナーからキルシェをかばうための嘘だけど。
「あの頃は私も、その噂が本当だと思っていまして。女子の間でもそれが噂になっていて。てっきりあなたも、平民とみれば手を出す下種な輩と思っていまして……」
そういうことか。確かに、女子にすぐ手を出す男子って嫌われがちだしな。平民を囲うのがステータスとさえいわれていても、それは男子の目線で女子からすれば嫌なものがあるのだろう。
ふと、周囲の視線が気になった。
男爵風情の僕とこんな風に話していて、余計な噂が立ちはしないだろうか。
顔を動かさず視線だけを左右に動かし、周囲の会話に耳をすませる。
僕とアプフェルの方をちらちらと窺うようにしながら小声で話しているグループが女子を中心に数個あった。
彼女たちの会話の内容を聞く前から嫌な言葉、傷つけられる言葉だけが頭に繰り返し浮かんできて不安になる。
「御覧なさって。アプフェル様が、男爵と普通に会話されていますわよ」
「平民に手をつけたと噂の…… まあ、器の大きさゆえですわね。下種であっても平然と話しができるのも才覚のうちでしょう」
「マジすごい」
だが実際に聞こえてくる会話は僕の想像よりもはるかに敵意がないものだった。
「カペル……」
アプフェルが苦笑しながら頭を軽く掻いていた。
「あなた、臆病すぎますわよ。相手によるところも大きいですけど、人間、自分が思っているほど自分に敵意を向けていないことが多いものですわよ?」
アプフェルの言葉は、不思議と僕を落ちつかせてくれた。
「そうだね。ありがとう」
他の女子の会話も大差なく、まあこれくらいならばアプフェルにとっても問題はなさそうだ。
しかし斜め前のロルフとライナーの席からは刺すような視線を感じた。
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