第53話 疲れ

 馬車がミュンヘン国立魔法学園に到着したころには、建物の陰に日が隠れ、東の空は黒く、西の空は茜色に染まる時間帯だった。

 秋も深まってきたせいか、井戸の釣瓶を落とすように早く日が暮れるようになってきた気がする。

「ではこれで解散だが、家に帰るまでが課外授業だ。マリグネと戦った疲れもあるだろうし何事もないように真っ直ぐ帰ること。では、解散」

 馬車から下りてクラスごと・班ごとに整列した僕たちは、エルンスト先生の気だるげな挨拶と共に解散となった。

筆記試験の後は各家でパーティーを行なうのだがロルフやライナーたちでさえ疲労の色が濃く、全員がまっすぐ帰途についた。

「お疲れさまでしたわ。ではカペル、お気をつけてお帰りなさいな」

「……バイバイ」

「立派な騎士となってまた会おう」

アプフェル、ツィトローネ、ローデリヒが別れの言葉をかけてくれたので挨拶を返しながら手を振り、一人帰途につく。

 もうすぐ長期休暇に入るから、彼らも自分たちの領地に帰るのだろう。一月も会わなければ今日の出来事も忘れ、僕の印象も薄れ、関心もなくなっていくだろう。

それでいい。

 街灯に照らされたミュンヘンの町に彼らの姿が消えていくのは、月と星とキャンプファイアーが明かりのすべてだったキャンプ地のグリューン山とはまるで別世界に見える。

 本当に侯爵家二人、留学生一人と一緒の班を組んでマリグネ退治をしたんだろうか? そんな気さえしてくる。

 でも考えてばかりいてもしょうがないので、僕も屋敷へ歩を進める。

侯爵家の屋敷と違い、男爵家の僕の屋敷はミュンヘンの町の中心部から大分離れている。中心部から離れるほどに街灯の感覚が広がっていき、道は暗く黒くなる。家によってはランプやろうそくの明かりがカーテン越しに窓から薄ぼんやりと見える。

 通学路にあるケルナ―・ブロートの前を通る。

 こんな時間に店の前を通ったのは初めてだけど、朝が早いせいか他の家と違ってランプの明かりすら漏れておらず真っ暗で、何の物音もしなかった。

 テラス席に置かれている椅子も片づけており、日よけ用のパラソルも軒下に立てかけてある。昼間や夕方ならば平民やお忍びの貴族でにぎわうお店も、夜が来ると静かなものだ。

 でもこのお店でよく食べるお気に入りのプレッツェルの味と歯触りはよく覚えている。体育魔法祭で食べた、シュニッツェルも美味しかった。

 そういえばキャンプに行っていた間、キルシェと会っていない。今頃は明日に備えてベッドの中だろう。

「夕飯はなににするかな」

 父も母も使用人も屋敷にいないから、食事は自分で用意しないといけない。保存食は常備してあるから、固くなったパンとチーズを暖炉の火であぶって、干し果物と一緒に食べるか。

 味気ない食事に思いを馳せていると、ケルナ―・ブロートの前に人影が見えた。

 同時に木苺の様な甘い香りがわずかに鼻を刺激する。歩くたび、人影が大きくなって姿形がはっきりと見えてくる。

 赤みがかった髪、快活で明るい色の瞳、さくらんぼのように瑞々しい唇。

 そして寝巻きなのかゆったりとした服、服をはっきりと押し上げる二つの大きなふくらみ。

「キルシェ……?」

「ラッテ様、待ってましたよ」

 キルシェが寝間着姿のままで店の前に立っていた。体の前には何かが包んであるような布切れを抱えている。

 普段短めのポニーテルにしてある髪は就寝前のためか下ろしており、いつもより大人びて見える。

「お店に来るお忍びの貴族の方の会話を先日耳にしまして。ラッテ様、今日までマリグネを狩る授業に出ていて、今帰ってきたんでしょう? お疲れでしょうし、それに二日もうちのパンを食べてもらえないのは忍びないですし」

 キルシェは体の前に抱えていた包みを、そっと僕に手渡した。

「お夕飯です。ご家族や、使用人さんへのお土産にしてもいいですよ。売れ残りで作りましたからお代はいいです」


 ご家族、使用人という言葉に胸を鋭利な刃物でえぐられたような痛みを覚えた。


 でもせっかく作ってくれたキルシェに対して暗い顔をするのは嫌だから。僕は必死に笑顔を作って包みを受け取った。

「ありがとう。家のみんなで、美味しくいただくよ」

「有難うございます! もしよろしければ、ぜひともご家族の方と一緒に来てください!」

 笑顔で快活に言うキルシェの言葉に、また胸に痛みを覚える。

 これ以上一緒にいると、不自然な表情や、言動を取ってしまいそうで怖くなる。

「じゃあ、今日はこの辺で……」

 そう言って踵を返そうとした僕に対し、キルシェが意外そうな声をかけた。

「え、もう帰られるんですか?」

「うん、今日は大分疲れてて……」

 僕はそのまま、屋敷へと歩いていく。

 後ろでキルシェが何か言っていたけれど、もう気にする余裕がなかった。


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