第9話 高望み

「アプフェル! 無事か」

 リーダーがアプフェルに駆け寄ってきた。アプフェルと同じ本黒壇の魔法杖を手に持ち、この集団の中でも一際瀟洒な身なりをしている。キルシェも僕に駆け寄って、無事を喜んでくれた。

「ええ、お父様…… 怪我はありませんわ」

 アプフェルは自分の父親と話しているのに、少し緊張気味な様子で頷いた。

 お父様…… やっぱりこの人がアプフェルの父親か。こうして間近で見るとよりはっきりわかる。男女の違いはあるけれど、気品のある顔立ちや強気そうな目、髪の色、そしてなにより全身から醸し出す高貴なオーラ。

 彼はアプフェルに早めに帰るように告げ、護衛の付き人数人と共に山を降りて行くのを見送った。数人の護衛ではまたズィーベンが出たら大丈夫なのかと思ったけど、すでにズィーベンの討伐隊を編成し、山狩りに差し向けたらしい。

 それからアプフェルの父親は僕の方を見て、告げた。

「助けが遅れてしまって、すまなかった。すぐに助けに入れれば良かったのだが、私の魔法はご覧の通りだからな」

 黒く炭化した草原や融解したストーン・ゴーレムを横目で見ながらシニカルな笑みを浮かべた。

「娘を助けていただいたこと、礼を言う」

 そう言って深く腰を折り、頭を下げてきた。

 貴族の中でも最下位の、しかも未成年であるこの僕に向かって。

「そんな! 頭を上げてください! イェーガ―侯爵ともあられるお方が、僕なんかに頭を下げてはいけません!」

 名乗っていないことに気づいて、僕は慌てて自己紹介した。

「僕はラッテ・フォン・カペルと申します。カペル男爵の跡取りです」

 僕は腰を深く折って、右手を胸の前に当てて礼をする。

「侯爵と男爵という身分故、このような非公式の場でしか頭を下げられぬことを申し訳なく思う。名乗るのが遅れたな。私はシュナイダ―・フォン・イェーガ―。イェーガ―家の当主を務めさせてもらっている」

「わわわたし、キルシェ・ケルナ―と申し致します!」

 キルシェはイェーガ―侯爵と対面してガチガチに固まっていた。

 同じ侯爵家でもアプフェルなら同年代の女子ということもあって臆せずに話せたんだろうけど、イェーガ―侯爵は身なりも年齢もカリスマ性も貴族としての貫録に満ち溢れている。

「今日の娘と君たちとのやりとりを見ていたよ」

 僕は心臓に氷を突っ込まれたような恐怖を覚えた。隣のキルシェも顔が青白くなっている。

 接し方がなれなれしかったとか、礼がなってないとか、言われるんだろうか?

 そうしたらカペル家の方に迷惑がかかるし、キルシェは平民だから、平民の家一つつぶすくらい侯爵家の権力なら余裕だろう。

「あの子が、同年代の子に向けてあのように振舞ったのは久しぶりでな」

 だがイェーガ―侯爵の口調は、想像していたのとは全然違って穏やかだった。

「侯爵令嬢としての誇りを持て、と厳しく言い続けてきたためか、努力は怠らず研鑽に日々務めるのはよいことだが、侯爵令嬢としての矜持を常に示さねばならないという強迫観念のようなところがあってな。今日のように明らかに困難と思われる状況で無茶をすることは多い」

 それでズィーベンと相対した時、あんなに無茶をしたのか。

 イェーガ―侯爵はそこで相好を崩し、微笑んだ。

「しかし、君たちに対しては気を使わずに話せているようだし、これからも娘を見守ってくれると嬉しい」

 穏やかに、親しげに話してくるから僕もキルシェも呆然としてしまった。

「僕みたいな男爵風情には少々、過分なお言葉です」

 僕は腰を折ってそう返す。前言はリップサービスの可能性も高いし、額面通りに受け取るのは怖すぎる。

「自分を卑下するような真似はよせ。娘の命の恩人だぞ、君は」

 イェーガ―侯爵から初めて威圧感が感じられた。ズィーベン以上の圧迫感に、喉が動かなくなるのを感じるが、お礼を言うために必死で腹に力を入れて喉を震わせた。

「は、はい。可能な限りアプフェルを見守らせていただきます」

「本来なら家に招いて、ギルベルトやノイベルト家の者など、居並ぶ貴族達の前で大々的に礼をしたいところなのだが……」

「いえ」

 スクールカーストトップに君臨するローデリヒやスヴェンの家の名前が出てきて、心が揺れたけど僕は努めて感情を抑えて、言った。

「話が大きくなるとお互いの家のためにもアプフェルのためにもよくないでしょうし、今日の話は僕たちの胸の内に留めておきましょう」

「そうだな」

 イェーガ―侯爵もそのことはわかっていたのだろう、残念そうにうなずいただけだった。

 そう、それでいい。

 人の命を救って、それを称賛されたい気持ちはある。

 大勢の人に認められるのは気持ちが良いし、イェーガ―家からの称賛となれば僕をバカにしていた奴らを見返せるだろう。

 でも話はそう単純じゃない。

 僕の家族は妬まれるだろうし、アプフェルはズィーベンに殺されかけたとなったら悪評にも晒されるだろう。

 人の口に戸は立てられないからある程度は話が広まってしまうだろうけど、進んで話を広めるよりはよほどマシだ。

 高望みは、するべきじゃない。

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