第17話 何でも
「おい、ラッテ男爵」
二人の男子が僕に立ったまま話しかけてきた。
でっぷり肥ったのがライナー、やせぎすなのがロルフ。以前キルシェの店でしつこくからんでいたのを僕がかばい、偽の恋人を演じるきっかけになった。
僕に対しては見下すような視線を、キルシェに対しては目で彼女をねぶるかのような視線を向けている。
キルシェは二人を見ると、俯いて視線をそらし、僕の腕にしがみついた。
「それがお前の女か」
「俺たちを断ってそいつのものになるなんて、いい度胸だな」
二人の低い声が鼓膜を揺らすと、キルシェはさらにしがみつく力を強くした。
「ビビんなよ」
「誰かの手がついたオンナは貴族は好きじゃねえからな、綺麗好きなのさ」
そう言ってげらげらと、内面のさもしさがにじみ出るような声で笑った。
「もう行こう」
僕はキルシェの手を少し強めに引っ張って立ち上がる。
「逃げる気か、男爵」
「身分が低いと気位もなってねえな、キン○マついてんのか」
背後から下半身用語ばかり聞こえてくるが、気にせずに歩いた。
後ろから奇襲されるかもしれないので念のため空いた手は腰の魔法杖にかけ、いつでも抜けるようにしておく。
キルシェを引っ張りながらでは早く歩けないから、彼らに追いつかれる。
僕らを両側から挟むような形で顔をくっつけるくらいに近付け、蛇がまとわりつくようにねっとりとした罵詈を浴びせてくる。
「そのタマでそいつを毎晩泣かせてんのか、アア?」
ついにキルシェにまで塁が及んだ。蛇が獲物をなぶるような視線を両側から向けられ、キルシェは体を抱きすくめるようにして震える。
それを見た時もうなにもかもどうでもよくなりかけた。
もう、どうなってもいい。
こいつら、ぶん殴ってやりたい。
ゴーレムで踏みつぶしてやりたい。
人を馬鹿にしても、怯えさせても、何も注意されないクソガキにお灸をすえてやるくらい、いいだろう?
そんな考えが潮騒のように小さく、遠くから頭の中に浮かぶ。
やがて海の波のように頭の中を埋め尽くそうとしてくる。
でも。
僕は腰の魔法杖から手を離し、唇を血の味が出るまで噛みしめて屈辱を必死に耐える。
それをしたら僕の学園生活は終わりだ。
喧嘩を売ったなんて知られたら停学じゃ済まされない、退学だ。苦労をしてこの学園に入れてくれた親に迷惑がかかる。
男爵の僕に対して、学園側は事情を斟酌なんてしてくれはしない。
ろくに調べもせずに僕が悪いと決めつけて、事実を捻じ曲げて終わりだ。
法は万人に対して平等ではない。
罵声を背中に浴びながら、キルシェの手を握り締めることしかできない自分を呪いながら、僕は会場に戻ろうとする。
でも、そんな中でも僕の手を握って離さないキルシェ。
こんな貴族の最底辺の僕なんか、放っておいていいのに。
もっと強くて家柄が良い貴族に護ってもらえばいい。ローデリヒは強さや正義感に申し分ないから奴らの暴力から護ってくれるだろう。スヴェンもインテリで頭が切れるから奴らが罠にはめようとしてきても大丈夫だろう。
なぜそうしないのか。
こんな情けない僕なんかについてきて、罵声を浴びながらも手を離さないのか。
普段ならこんなことは聞けない。
離れていってしまうのが怖いから。
僕が弱くて頼りにならない人間だって言われて、自分を否定されるかもしれないから。
でも、僕の側にいると彼女は不幸になるかもしれないから、勇気を出してなぜ僕なんかについてくるのかを小声で聞いてみた。
すると、キルシェは僕の目を真っ直ぐに見て答えてくれた。
肩越しにかわされる会話は、お互いの睫毛まではっきりと見えるほど距離が近い。
「自分が強くて、立場が上なら勇敢に振舞うのは簡単です。偉いって、勇気があるって言われている人はそんな人ばかりです。でもラッテ様は、そんなに強くないし、立場が貴族の中では下の方です。でも私と出会ったとき、自分より上の人間に対して震えながらも、みっともなくても私を守ってくれました。それってすごいです」
胸の奥に火がともったように暖かくなる。
自分を肯定してくれる人の存在が、こんなにも嬉しいなんて思わなかった。
でも少しだけ、仕返ししてやりたくなった。僕のためじゃなくて、キルシェのために。
真っ向から言い返すのはできないけど、これくらいなら。
僕は後ろのロルフ、ライナーからは見えないように服の陰に手を隠し、腰の魔法杖に一瞬だけ手をかけてわずかに魔力を込める。
彼らに聞こえないように呟いた。
「アース・ゴーレム」
彼らの足元の地面が少しだけ盛り上がり、彼らがけ躓いて転ぶ。
後ろから蛙が潰れたような声が二つ聞こえてきて少しすっきりした。
彼らが急に転んだのを見て、キルシェが呟く。
「今の、ラッテ様ですか?」
僕は静かにうなずく。
「馬鹿にされっぱなしって言うのも悔しいし。僕だけなら、我慢するんだけど。ほとんど魔力を使ってないから僕がやったって気付かれないと思う。安心していいよ」
「私が、いたからですか? ご迷惑おかけしました?」
僕だけならと聞いたキルシェが目元を潤ませ、表情が陰ったので僕は慌てて付け加えた。
「僕が馬鹿にされるのは、いい。耐えないといけない時もあるし、耐えることには慣れた。けどキルシェが馬鹿にされるのは、許さない」
まっ黒な雲間から太陽が差しこんだように、ロルフとライナーがやってきてからずっと陰っていたキルシェの表情が晴れた。
潤んだ目元が濡れたようになり、僕の顔を見つめている。
妙に艶があって、何気なく目が合った途端に胸が高鳴った。
胸の奥が、くすぐったくて気持ち良い。
キルシェは満足げに微笑んで、はっきりと言った。
「ラッテ様は、いつもそうでした。初めてお会いした時に私が彼らにお店でからまれていた時も、同じように救ってくださいました」
「だから、私は……」
彼女がそこで言葉を切る。何を言おうか、なんて言おうか、言葉を選んでいる感じだ。
キルシェの視線が宙をさまよい、手は髪をひと房つまんではまた離し、足が小刻みに動く。
そんな仕草に僕の意識は根こそぎ持っていかれる感じだ。
彼女の唇が、ゆっくりと開かれる。
「昼休みを終わり、次のプログラムを開始します! 次の種目に出場する生徒は、急いで集まってください」
突如会場に響いたスヴェンの声で、僕は我に返る。
キルシェの様子も、雰囲気もいつもと同じようになっていた。
「キルシェ、何を言おうとしてたの?」
僕はそう尋ねるけど、
「何でもありません……」
キルシェは眉根を寄せながら残念そうにそう言っただけだった。
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