第34話 そういう気分
本来なら僕はここを立ち去るべきなのだろう。
ここは僕の場所じゃないし、彼女だって落ちつける場所を求めてやってきたのだから。暗い場所で男女が二人きり、というのもよくないと思う。
でも彼女は不快な顔一つせず、不快でもさっきみたいにほとんど表情に出ないだけかもしれないけれど、腰を下ろしたまま両手を後ろに伸ばし、リラックスした感じだ。
そんな彼女の様子は、飛び疲れて枝にとまり、羽を休める渡り鳥を思わせた。
そのまま伸びをするように座ったままで足を軽く伸ばす。
そのせいでスカートから覗く細い脚が太股まで見えた。
細いけれど、白くて、綺麗な形で、魅力的な脚。
僕は凝視していたことに気がついて、慌てていると思われないようさりげなく目を反らす。ツィトローネの表情に変化はなく、気がつかれていなかったと信じたい。
そんな風に邪なことを考えていると、意外なことに大人しそうなツィトローネの方から話しかけてきた。
無難に天気の話題から始まって、好きな食べ物の話題、屋敷の周りの遊び場など。
絶対に地雷を踏まない話題から入って、会話のキャッチボールができる流れを作っていく。その後でお互いの好みの話題など、少し突っ込んだ会話に入っていく。
アプフェルみたいに常にコミュニティの中心にいるタイプや、キルシェみたいに明るく話すタイプというわけではないけれど話しの流れを作っていくのが上手い子だと感じた。
ツィトローネはポーレンという外国から来たからあまり話さないだけで、本来は話上手なのかもしれない。
自分を卑下してばっかりで、他人の話に追従するのがほとんどの僕とは大違いだ。
それが疑問に思い、思い切って聞いてみた。
「何で、僕に話しかけてきたの?」
普段、教室でも特に接点はないし、話しかけられる理由が見当たらない。同じ班として最低限の打ち合わせは既に済ませてある。
だがツィトローネは淡々と、ごく自然に僕の質問に答えた。
「ラッテ君、に興味があったから」
聞くシチュエーションによっては胸の奥が締め付けられる台詞だけど、ツィトローネの淡白な雰囲気からそういうのじゃないとわかる。
「ラッテ君、はこの学園唯一の男爵位」
男爵位、そう聞いた途端落胆とフラッシュバックが顔に出そうになるのを必死に押さえないといけなかった。
僕の身分が話題に上った時、愉快な思いをしたことがない。
「私の前通っていた学校でも、男爵位、はいた。でもみんな、卑屈になって成績も落ちてそのまま留年・退学するか、自棄になって悪いことするか、だった」
その気持ちはよくわかる。考えるだけで、胸が痛くなるほどにわかる。
スタートラインからして周囲との絶対差がある。
そんな状況に置かれて、周りと同じ考え方ではとても心が持たなかった。
初めは努力する。でもすぐに、努力で埋められない差に気がつく。
身分という絶対差の前では、個人の努力なんてちっぽけなものだ。侯爵位ならば生まれながらにして国の中枢に食い込む地位が約束されている。その下の伯爵位でもそれなりの領土や中堅どころの地位までは行けるだろう。
でも、男爵では?
せいぜいが平民より少し上、という待遇だ。
そんな待遇が運命づけられた自分と、周囲との絶対差。
それを感じるたびに、心が冷えていく。壊れそうになる。惨めになる。
僕は諦観し、目の前の課題だけを必死にこなすことで忘れようとした。
「……僕も同じだと思うけど」
ついきつい口調になってしまう。
目の前のツィトローネも子爵位で、僕より身分が上なのだ。
それが少しだけ妬ましくて、そんな風にどうしようもないことに嫉妬する自分が嫌いだった。
「違う」
ツィトローネはまた、強い口調で遮った。
「ラッテ君は、卑屈だけど、明日を見据えてる。自分に、できることを弁えて、それをこなしてる」
ツィトローネは息を継いで、続ける。
「体育魔法祭の時も、今回もそう。ゴーレムを使って、みんなの縁の下の力持ち、してる。ラッテ君がいなかったら、どっちも、成り立たなかった、はず。それに、一年の今から、就職を考えて、魔法を活かせる企業の人と、会ったりしてる。今そんなことしてる人、この学校の一年じゃ、ラッテ君くらい」
就職を考えて、就職活動するのは、僕の家柄じゃ職が決まってないから、そうせざるを得ないだけなんだけどね。僕が伯爵や侯爵だったなら、こんなことはしなかっただろう。
でもツィトローネのアッシュブロンドの下で輝く銀色の瞳は凄く真摯で、飾り気がない感情を伴っている。それを見ていると、彼女の台詞を否定できなかった。僕をかってくれているのがわかる。でも彼女の瞳に映っている僕の顔は、およそ平凡以下の人相でしかない。
ツィトローネは長く喋って疲れたのか、少し息を荒げている。薄い唇から吐息が漏れ、華奢な撫で肩を上下させている。
まるで折れそうな細い茎に桃色の花を咲かせたシャクヤクのようだ。
そんなことを考えていると、ツィトローネがおもむろに立ち上がった。近くの切り株に座っていたのでスカートの隙間から白く小枝のように細い脚が覗き、月に照らされて蠱惑的な魅力を放つ。
「そろそろ、行く。アプフェルが、心配してると、思うし」
一人だけここに残されることに、寂しさを感じたけれど仕方がない。
彼女も女子同士の方が居心地がいいだろう。
そう思いながらツィトローネを見送ろうとすると、彼女は小首を傾げて僕をじっとみつめていた。よく見ないと気づかない程度だけど。
「何、してるの? 一緒に、行く。アプフェルも、探してた」
今までの僕なら断っていただろう。
自分から進んで人の輪に入ることに、足踏みをしただろう。
だけど。目の前のツィトローネが差しだしてくれた手と、アプフェルの顔を思い浮かべていると、まあいいか、そういう気分になってくるのだ。
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