第5話 彫刻
アプフェルも快く許してくれたので僕とキルシェは近くの倒木に腰かけて、狩りを見学することにした。倒木にはコケが生えていたけれど乾燥していたので気持ち悪くなることはなかった。
狩りは元々は生活のための手段だった。森や山に入り、食料や毛皮が取れる鹿や猪、兎、獺、穴熊などを狩る。または畑や家畜を荒らす害獣を狩る。
しかし時代が下るにつれて貴族の娯楽、スポーツ、そして訓練と言った意味合いが強くなっていく。
馬に乗って獲物を追いかけ、逃げる獲物を矢や魔法で仕留めるのは快感らしい。貧乏貴族である僕は、大勢の人間と猟犬、そして狩りをする土地を保有するような潤沢な資金を要する狩りなど一度もやったことがないけど。
べつに、羨ましくなんかない。
アプフェルとよく似た男性の号令で弓や魔法杖を持った人たちが狩り場に緊張した顔で待っている。おそらくは彼がリーダーで、アプフェルの父親だろう。遠目に見ても雰囲気やカリスマ性が良く似ている。
やがて数頭の猪が猟犬を伴った勢子に追われて狩り場に姿を現した。
体長は僕より小さいはずなのに、身体の太さのせいかずっと大きく見える。それが合計三頭、人が走るよりずっと早く草原を疾駆するのだ。間近にしたらすごく怖いだろう。
「散開! 一班は左、二班は右の猪を追え! 中央の一頭は私が仕留める!」
リーダーの号令で狩り人たちが一斉に散っていく。
狩りは戦の訓練とも言われているけれど、こうして見るとその理由がよくわかる。
リーダーの号令で部下の人たちが手足のように動き、猟犬とも力を合わせて獲物を追い、状況や地形に合わせて適切に判断を下し、獲物をしとめる。
普段は人に命令するところばかりが目立つアプフェルだけど、この時は嫌な顔一つすることなくリーダーの命令に従っていた。
左右の猪は弓矢を次々に射かけられていくが、数本の矢が尻や背中に刺さっているのに何事もなかったかのように疾走していく。猪は頑丈だと聞いていたけれど、こうして見るとそれがよくわかる。
矢を十本以上刺され、ハリネズミのようになった猪がアプフェルに突進していく。
危ない、と思ったけどアプフェルは遠くで見ている僕よりも落ちついた表情をしており、指揮棒くらいの長さの本黒壇の魔法杖をゆっくりと構えた。
本黒壇は成長速度が二百年ほどかかる非常に貴重な木材で、非常に固くそして重い。扱いは難しいがマナとの親和性が極めて高く、実際に扱った人は「この魔法杖を一度振ればもう他の魔法杖は使えないだろう」と言わしめるほどだという。
「アイシクル・エングレイビング」
アプフェルが詠唱と共に魔法杖を一振りすると、無数の氷柱が猪の足元に創造される。
先端が鋭利に尖った氷柱があらゆる方向に伸び、猪の脚、ひづめ、腹、喉を貫いていく。
体毛と皮下脂肪が厚い猪は仕留めきれなかったが、氷柱で身体が浮き、脚は宙で足掻くだけで走れなくなる。
無数の氷柱で足止めされ、宙に浮いた形になった猪はまるで一枚の絵のような美しさを保っていた。
とどめに眉間に矢を打ちこまれて絶命しても、美しいと思える光景だった。
「すごいですね……」
僕の隣に座っていたキルシェが呟く。確かにすごいとしか言いようがない。猪を追い詰める勢子の人たち、リーダーの合図で一つの生き物のように動く統制された動作、足止めをしたアプフェルの魔法、眉間を一発で仕留めたリーダーの弓の腕。
個人の能力もチームとしての能力も抜群だ。
僕なんかみたいな凡才男爵風情には、一生かかってもたどりつけない領域だろう。
「特にアプフェル様の魔法。まるで芸術品みたいな形で……」
猪を足止めした彼女の魔法は、ただの武骨な氷柱ではなく氷柱の角度の一本一本の組み合わせがまるで計算しつくされた彫刻のようであった。
「そうだね。エングレイビング(彫刻)の名の通りだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます