第一章-7


「そのミサイルを打ち上げた犯人が誰で、どういう目的があったのかという真相は今もなお闇の中だ。爆弾についても同様。核をどうやって手に入れたのか、どこの国のどんな施設からミサイルを打ち上げたのか、何もかもわかっていない。


 ともあれかくもあれ、それによって東京は一瞬にして壊滅し、二千万以上の人々が一瞬にしてPネットに去ってしまった。生き残った者も、広島や長崎の数百倍もの放射能汚染を受け、インフラも悉く機能を失った東京で暮らすことはもはやできず、結局関東平野の大部分は遺棄されることとなった。それほどの事態が起こったにもかかわらず……」


「ちょっと待て。二千万だって?」


「そうだ。それでもなお……」


「死んだ……のか?」


「だから、Pネットに行ったんだろう。こちらの世界では俗にそれを『死んだ』と言うがな」


「俺はそんな理由でPネットに来たと語る誰にも会っていない。それにしても、二千万もの人々が……」


「いきなり二千万だからな、前々からの永住者であるおまえたちのところからはうんと遠くにしかコミュニティを用意する余地がなかったんじゃないのか。Pネットに関しては疎いから、適当なことしか言えないが。まあ、二千万の犠牲者はともかく、PDAコーポレーションは……」


 タイマは立ち上がった。それから、リューをキッと睨み付けると、大地を蹴って一目散に走り出した。リューは慌てて引き留めようとしてきたが、タイマはそのまま扉を開けて外に出た。


 角を曲がったところに、幼馴染のアルカの家があるはずだ。


 予想通り、そこにアルカはいた。自分の家の跡地を前にして俯く後ろ姿が見える。タイマと違い、家自体がなくなっている。そういえば、アルカの家は木造だったということを思い出して、タイマは血の気が引いた。すぐに駆け寄って声をかけようとしたが、アルカの肩が震えているのに気付き、その場に立ち止まってしまった。


「私とお母さんとお父さんがPDAに永住を決めたときね、本当はお姉ちゃんだけ、ここに残ったんだ」


 アルカは地面を見つめながら呟いた。タイマは何も言えず、ただ立ち尽くしていた。タイマはアルカの姉に何度かしか会ったことがなかった。タイマが小学生の頃から既に海外を飛び回る生活をしていたらしく、滅多に家にいなかったが、本当に穏やかで優しい人だった。


 家での休暇を忘れられないものにしてやろうという小学生らしい馬鹿げた思いつきで、遊びに行ったついでに部屋に蛙を放したとき、彼女は精神錯乱を疑うほど大騒ぎしたにもかかわらず、事態が落ち着いたら「君は本当に面白い少年だね。だけど、お母さんが知ったらきっと怒るぞ。黙っててあげるから、今日はもう帰りなさい」と言って叱らずに帰してくれたことを思い出す。


 そんな人が、まさか、核爆発に巻き込まれたのか? その似合わなさに失笑してしまいそうになる自分が、本当に情けなくてたまらない。


「私がタイマたちや家族と一緒にPネットに永住を決めたとき、お姉ちゃんはね、結婚したばかりで、お腹の中に赤ちゃんがいたの」


 おいおい、そんな話は聞いてないぞ。そう言ってみたくなったが、タイマの口はまるで石のように固まっていて動かせなかった。アルカは静かに続けた。


「Pネットでは子供を産んだり育てたりすることができないから、お姉ちゃんはこの家にとどまって、私たちの代わりにこの家で暮らすことになったの。私も赤ちゃんが育ったらきっとそっちへ向かうからって笑って、私たちを送り出してくれたんだけど、お姉ちゃんは私たちがPネットから出られなくなった後になっても、いつまでたっても来なかったの。だから、今でもここで、孫や曾孫に囲まれて暮らしているはずだと思ってたの。今までずっと、そう思ってたの」


「アルカ……」


 その名だけを喉から絞り出して、タイマはおずおずとアルカの後ろ姿に歩み寄った。


「なんでよ」アルカは突然感情を高ぶらせ、叫んだ。タイマはびくっとして、差し伸べた手を引っ込めた。そんなタイマに向き直ったアルカは目に大粒の涙を浮かべていて、そのせいで瞳が大きく見えた。「お姉ちゃんはどこにいるのよ。タイマ、教えてよ」


 いきなり胸に飛び込んできた。タイマは飛び退きかけたが、すんでのところで踏みとどまってアルカを受け止めた。アルカは服に顔を押し当てて泣いている様子で、タイマはどうすべきかと逡巡した。何となく、あまり優しくしてやるのも違うような気がする。


「おい、それくらいでいいか」


そのとき、突然後ろから声がかかった。タイマとアルカは度肝を抜かれてそちらを見た。リューが相変わらず無愛想な顔でこちらを見ていた。タイマは何となく気まずい思いでいたのだが、リューはアルカが誰に抱きつこうが知ったことではないといった調子でこう言った。


「さっきタイマに言いかけた話の続きをしよう。ちょうど全員揃ったところだしな」


 リューがあごでしゃくった方向には、確かにシャークとデイタが立っていた。シャークはタイマの位置と反対の方角に向けて指をさしており、デイタは腕を組んでそちらを見ながら何か考え込んでいる様子だった。どうやら見られずに済んだようだ、とタイマはひとまず安心した。


 その視線の先にあるものを確かめようと数歩二人の方へ近づくと、住宅街の向こう側に微かに淡いピンクのもやのようなものが見えた。


「あれは、PDAコーポレーションだ」


 目をこらしてみると、もやの中に建物の影が見えているのがわかった。周りの建物は全て倒壊してしまっているのに、その建物だけはどうやら無傷のままのようだった。


「さっき、PDAコーポレーションはミサイルの標的になったと言ったにもかかわらず、何故こうして残っているのか、不思議に感じているようだな」


 リューの声に、次第にとげとげしさが混じり始める。ピンクのもやに包まれた施設に、彼が好ましからぬ感情を抱いているのは歴然だった。


「爆発の寸前に、あのピンクのもや、つまり巨大なDゲートの防壁を社屋の周りに展開したからだ。その結果、あの建物だけが破壊を逃れ、今もなおぬくぬくとPDAを管理し続けている。核爆弾を落とした犯人の目的は達成されなかったわけだ。この風景を見て、何か思うところはないか」


 リューは何を言おうとしているのだろう。自分だけ助かるなんてずるい、と言いたいのだろうか? 僅か一施設だけでも助かったのは不幸中の幸いだと、タイマには思えたのだが。


 タイマはリューの意図を掴みかねて沈黙した。


 タイマの後ろでは、アルカが伏せ目がちに、辺りに転がった瓦礫の山を見ている。


 デイタはリューの方に目を向けているが、本当の意味で彼を見てはいない。何かを深く考え込んでいるようだった。


 そのまま居心地の悪い沈黙が続いた。


 そうしているうちに、アルカが俯いたまま、鼻をくすんと鳴らした。デイタが慌ててその背中に手を添えて語りかける。タイマはそっとしておいた方がいいんじゃないか、と思ったが声には出さなかった。


「アルカ、大丈夫かい。具合が悪いのなら、一緒にトレーラーへ戻ろう」


「私は大丈夫だから。何となく鼻をすすっただけだから。デイタこそ、大丈夫なの」


 心配し返されて、デイタは本当に驚いたような顔をした。


「僕かい? 僕は現実主義者だからね、六十七年も放置した家がまだあるなんて、はなっから期待もしていなかった。とっくの昔に誰かが勝手に立て替えているだろう、とね。流石に、核爆弾で跡形もなく吹き飛んでいるなんて思ってもいなかったけれどね」


 よせばいいのにデイタはあはは、と笑ってみせさえした。だがタイマは、彼が拳を震えるほど硬く握っていることにすぐに気がついた。


 当たり前だ、常に冷静なデイタだって、流石にこんな光景を目にして心中穏やかでいられるはずがないのだ、と思うと、抑圧してきた怒りがふつふつと燃えたぎってきた。


「リュー」


 タイマが怒りを込めた視線をリューに向けると、彼は何かを期待しているような顔でタイマの言葉を待った。


 おまえの期待に沿った言葉など絶対に言ってやるものか、とタイマは思った。


「俺たちを騙したんだな」


「何を言うんだ」途端にリューは顔を紅潮させた。「俺がいつ、誰をどうやって騙したっていうんだ」


「俺たちを、故郷の町の今の様子を見てみたいという期待で焚き付けたじゃないか。実際にはこんな悲惨な光景が待っていることを知りながら、それを俺たちに伝えようとしなかった」


「しかし、伝えてくれ、などと頼まれた覚えはない。それに、伝えていたらタイマ、おまえは現実世界に戻るという気を起こしてくれなかっただろう」


「当たり前だ。そもそも、おまえが来なければよかったんだ。そうしたら、こんな光景を見るはめになるどころか、核爆弾がこの町に落ちたなんて話自体知らずに暮らしていけたんだからな」


「だが核爆弾が落ちたというのは事実だ。おまえはその事実から逃げるのが幸せなのか」


「当然だ、知らぬが仏って言うだろ。そもそもPネットは現実から逃げるためにあるんだからな。ありとあらゆる悲惨なことに背を向け、何も考えることなく永遠に生きる。あそこでは、故郷がどうなろうが知るよしもなかったからこそ、その理想的な姿を信じていられた。そんな幸せを、おまえがぶち壊しにしたんだ」


 激情のままにそう口にした瞬間、リューは再び拳を固めて突っ込んできた。

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