第三章-36
「……一人で放射性物質を世界中に撒き散らすのは荷が重いってか?」
「え? ああ、違う違う。そういうわけじゃない」
ミハイルは悪魔のような微笑みを浮かべながら、何も付いていない自分の左手の甲を指し示した。
「用があるのは、君たち自身よりもむしろ、そのPDAさ」
シャークの脳内に、緊張を伝える電流が走り抜ける。
「君も持っているんだろう、OS1」
「……」
シャークは不適な笑みを崩さないまま、ミハイルに話を続けるよう促した。ここでバレることはほとんど覚悟していたので、今更ショックはさほどない。
「OS2にアップグレードしてみせることで周囲を騙してきたんだろうね。しかし、僕の目まではごまかせないよ」
「……PDAの電源を切ったから、か?」
ミハイルから逃れてすぐのときのことを思い出す。シャークはミハイルから何とかして逃れようと、PDAの電源を切るため、OSをひとつダウングレードすることを思いついた。それを実行して、実に八十六年ぶりに「PDA全体を統括するために作られた」とされるOS1を手にした上で、いろいろと試してみた結果、見事にPDAの電源を切ることができたのだ。その後デイタやタイマとアルカと合流したとき、一時的にシャークは自分のPDAの電源を入れ、そこから遠隔操作によって三人のPDAをもオフにした。
この過程の途中で、タイマだけでなくシャークのPDAもOS1だと気付かれたとしても何の不思議もない。
そう言ってやると、意外なことにミハイルは鼻で笑った。
「勘違いも甚だしいね。僕はずうっと昔から、既に君がOS1を持っていると知っていた。そもそも見ての通り、僕はPDAを持っていない。だから、君たちのPDAが常に位置情報を発していたとしても、それを感知する手段は僕にはなかったんだ。つまり、君たちがPDAの電源を入れていようが切っていようが、君たちを追跡する上では何の関係もなかったんだよ」
それでは何故、PDAの電源を切った途端、ミハイルはこちらを見失ったような素振りを見せたのか。答えは簡単。電源を切ったからもう安心だと錯覚させ、追跡される側から追跡する側に回るといったような大胆な行動に踏み切らせるためだったのだろう。
「ちなみに、君たちの場所についてはずっと、この《ラプラスの悪魔》が発する超音波と赤外線によって観測してきた。PDAの扱いに慣れていると、そういうアナログな方法なんて思いつきもしないだろう?」
「そうまでして、俺を仲間に引き入れたかったのか」
ミハイルは悪戯っぽい微笑を浮かべて、それからぱちりとウインクしてみせた。神経を逆撫でされ、シャークは殴りかかりたいという衝動を必死に抑えなくてはならなかった。
「厳密に言えば、仲間にしたかったのはもう一人のOS1の持ち主。タイマの方。だって、君は最初から仲間みたいなものだしね。すぐ僕の思い通りに動いてくれるし」
ミハイルは飛行機に踏まれたはずの足で華麗なステップをふみ、シャークのもとへ近づいてきた。その手にはなおもアサルトライフル。やろうと思えばミハイルはすぐにシャークを殺せるはずだ。シャークはミハイルを刺激しないよう、黙って話を続けるのにまかせた。
「こう見えても、僕は今結構いらいらしているんだよ。計画の途中に思わぬ邪魔が入ったものだから。しかも、僕が何もできない隙をついてタイマはどこかへ行ってしまった。このままでは僕たちの計画は頓挫してしまうかもしれない。というわけで君には、タイマを僕の前に連れてきてもらいたいんだ。勿論PDAの電源を切った状態でね」
ミハイルはシャークの目の前にやってくると、にやりと邪悪な笑みを浮かべた。それからシャークの襟首を掴んでぐっと引き寄せた。そのあまりの力強さに、背丈が頭ひとつ分違うはずのシャークがつんのめる。ミハイルはその隙をついて、シャークの目を覗き込んできた。
シャークが愛した最初で最後の女性が、その愛を確認するために、よくこの仕草を迫ってきたことを思い出す。それはシャークの最も大切な記憶のひとつとして瞼の裏に焼き付いていた。それと比べて、ミハイルの仕草はなんと醜悪で、悪趣味で、侮辱的なことか。
この期に及んで、なんという当てつけ。なんという冒涜。
無理矢理見せつけられた目には、コンタクトレンズ《ラプラスの悪魔》が浮いており、その赤い瞳はあまりに浅い。
あまりの嫌悪感に、気付くとシャークは思い切りミハイルを突き飛ばしていた。ミハイルは頭から地面に突っ込んだ。
「断る!」
シャークは倒れたミハイルを見下ろしながら叫んでいた。すると、ミハイルは媚びを売るように笑った。
「頼むよ……同じPDAコーポレーションの社員のよしみでさ……」
シャークはその顔を靴の踵で踏みつける。
「全部お見通しってわけか。あのときの俺は顔も名前も全くの別人に変えていたのに。
だがな、そうだとしたら、おまえは俺があの会社に対して抱いている感情だって知っているはずだ。それなのに、よくもぬけぬけと……」
激情にかられて、ノーダメージを承知の上でミハイルの頭を蹴ろうとしたとき、ミハイルの腕が投げ縄のように伸びてきて足を掴まれ、おそろしい力で投げ飛ばされた。数メートル吹っ飛んで、背中から地面に突っ込む。内臓が破裂したのではないかと錯覚するほどの激しい痛み。心の痛みならいざ知らず、これほどまでの肉体の痛みは、これまで生きてきて一度も経験したことがなかった。PDAの電源を切っているせいで、Aスーツの痛覚をシャットアウトする機能も停止しているのだ。
それでも、シャークはよろめきながら立ち上がった。
「いいか! 俺は金輪際、おまえたちPDAコーポレーションの思い通りには動かない」
そう言い放つと、ミハイルはふうん、と頷いてみせた。
「君がそういう態度を崩さないのであれば、計画を変更する必要がありそうだね」
「へっ。何だか知らんが、ざまあみやがれ」
シャークが勝ち誇ったような顔でそう言うと、ミハイルは手に持っていたアサルトライフルをこちらに向かって投げてきた。怪訝な顔でそれを受け止める。ミハイルはその間に、自分のゴルフバッグから同じものをもう一丁引き出した。弾丸を込めることもせず、こちらに銃口を向けてくる。
「せっかくPDAコーポレーションへの復讐に一生を費やしてきたんだ。最期くらい、決闘という形にしてあげよう」
シャークは聞いていなかった。渡されたライフルを嘗め回すように見つめる。構えてみると、シャークの手によくなじんだ。その様子を見て、ミハイルは天使のようにころころと笑う。
「それが何だかわかるだろう、シャーク……いや、元PDAコーポレーション技術顧問、カイト」
シャークが静かにひとつの単語を口にする。
「特殊ジータ」
「そう。特殊制御熱核反応装置。
Transuranic Zero Energy Thermonuclear Assembly。
略してT-ZETA、あるいはそう、特殊ジータ。見た目は何の変哲もないアサルトライフルだが、その実、たった数グラムで臨界に達する超ウラン元素、カリフォルニウムを利用することで、銃弾に核爆弾を内包させることを可能にした、正真正銘の核兵器。
これによって銃弾が発射されると、銃弾の内部で臨界に達したカリフォルニウムは小型の原子爆弾となって爆発を起こし、対象に強い放射線を浴びせる。その後、その爆発によって得られる超高熱を利用して、重水素が熱核反応、つまり核融合を起こし、小規模ながらも極めて激しい爆発によって対象を吹き飛ばしてしまう。だが、この核兵器の最大の長所はその爆発ではなく……」
「Dゲートが発動する前に致死量の放射線を浴びせることができること」
ついシャークの口をついて出た言葉に、ミハイルは頷いた。
「そうだね、その通り。これが開発された時代は、例えナイフで刺されようが銃で撃たれようが、直前に発動したDゲートでいったんPネットに行ってから、すぐに何もなかったかのように現実世界に戻ってくることができた。でもこの兵器を使われればそんなことはできない。例え現実世界に戻れたとしても、以前に受けた放射線によって、身体を構成する組織や器官は既にずたずたなのだから、数時間かそこらで急性症状を起こし、そのままPネットに強制送還って寸法だ。全く、悪魔のような兵器じゃないか」
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