第三章-37



「確かにそうだな」


 同意してやると、ミハイルは意外そうな顔をした。その顔にありったけの軽蔑を込めた視線を向けながら、シャークは吐き捨てる。


「だが、少なくとも俺は、それを大量殺人のために作ったわけではなかった。核分裂するカリフォルニウムも、核融合する重水素も、数ミリグラム程度では周囲に与える影響などたかが知れている。半減期だって長くて数十分だから、長らく影響が残るというわけでもない。特殊ジータは爆風と放射線とで対象を欠片も残さず粉砕する、ただそのためだけの兵器だ。俺はこれを使って、ただ一人、死ぬほど憎い奴にピンポイントに弾丸をぶち込むことさえできればよかったんだ。にもかかわらず、おまえはこれを、俺の考えうる限り最っ低の方法で悪用しやがった」


 シャークにはひとつ気付いていることがある。ミハイルがこの特殊ジータ以外の武器を持っているところは見たことがない。そして前述した通りの理由で、この武器では、少なくとも地面に対する長期的な放射能汚染はとてもじゃないが起こせないはずだ。しかし、ミハイルは現に各地で放射能汚染を起こしながら歩いている。それを可能とするような、シャークがあえて開発しなかったような銃弾を、シャークの技術を勝手に応用して、悪意をもって開発したということなのだろう。シャークはぎりぎりと奥歯を噛みしめる。


 天地も許さないだろうし、何より俺が絶対許さねえ。


 そう言い終えると同時に、シャークはミハイルに銃口を向け、迷うことなく発砲した。するとミハイルは身体を傾けて銃弾を避けた。彼のずっと後方で爆発が起き、壁にもうひとつ穴が開いた。


「そりゃ、そうなるわな」ぴんぴんしているミハイルを見ながら、シャークはため息をつく。無理だとはわかっていても、デイタの復讐のためにも、せめてかすらせるくらいはしたかった。「万が一当たったとしても、どうせ死なないんだろうが」


 ミハイルが、反撃のために銃を向けてくる。


 とうとう俺もこの世界とはお別れだな。そう思うと、やはりシャークは一抹の寂しさを感じた。


「ごめんな、リュー。死ぬ気がない奴が死ぬのが、この世界の条理ってもんだ。デイタのようにな。そうは思わないか」


 誰にも届きはしない言葉が、虚空に消えていく。


 百年以上かけて愛してきたシャークの世界。シャークの大地、シャークの海、シャークの空、シャークの友達。死ぬならこんな忌々しい建物の中じゃなく、見渡しのいい山裾の草原かどこかで、仲間たちに囲まれて死にたかった。


 PDAの電源を切っていることを、唐突に思い出す。Dゲートが起動しないということは、ここで本当の意味で死んでしまうということを意味する。それがミハイルの本当の狙いだったのかもしれない。うまく使えばPDAコーポレーションの計画に楯突くことくらいできるかもしれないOS1を、二つまとめてこの世界から葬り去ろうということだ。その可能性は大いにありうる。PDAコーポレーションは、邪魔者とみなした人物を消すことに躊躇したりしない。



 そうだとしたら、残念だな、タイマに逃げられて。俺は割を食ったけど。



 それにしても。


 復讐を、完遂できなかった。こればかりは、本当に心残りだった。


「タイマ……」シャークはミハイルから目を反らさずに、既に遠く離れてしまったもう一人のOS1所持者を思った。「どうか俺の代わりに……」


 そのとき、突如、シャークの瞼の裏に、ある映像が映った。



 まるで空きチャンネルに合わせた旧時代の日本のTVのような、くすんだ灰色の空の下。


激しい雨に打たれながら、シャークは銀髪の少女をかばって立っている。


「逃げて――」


 少女の悲痛な叫びを、シャークは聞き入れない。愛が全てを解決できると信じているから、足の震えを押し隠して、彼女の前に立ちはだかり続ける。


 《灰色之者》は、灰色の白髪とぼろ切れのようなローブを風にはためかせながら、ゆっくりと歩く。少女をかばいつつ、額にぺたりと張り付く髪を腕でぬぐいながら、シャークはじりじりと後退する。


 やがて採石場の崖の縁まで追い詰められた少女は。


 不意にぬかるみにつまずき、足を踏み外す。


 シャークは地面に身体を投げ出して、必死でその手を掴む。


 《灰色之者》はその傍らに立ち、高みからシャークを見下ろす。


 《灰色之者》はシャークの腕を容赦なく踏みしだく。


 決して離さないと誓ったはずのシャークの手が開き、少女は、底の見えない陥没穴に転落する。涙を湛えたその瞳は、遠くに離れて――嘆いても、叫んでも、手を伸ばしても、時間は戻らない。戻ろうとしない。


「何故だ――」


 泥だらけになり、冷え切った身体を雨に打たれながら、シャークは叫ぶ。


 万力のような力でシャークのちっぽけな頭を鷲掴みにしながら、《灰色之者》が答える。


「明日を境に人間は不死と為る。故に害と為り得る者は今日迄に総て排除為なければ為らぬのは当然の理で在ろうが」


 シャークは叫ぶ。爆発する感情をぶつける。《灰色之者》の理不尽さに。PDAの登場の遅さに。自分の命を捨てても守りたいとさえ思っていた少女を守れなかった自分の弱さに。


 そしてシャークを一人そこに残して去りゆく《灰色之者》を、無力なシャークは見送ることしかできず――



 そこで、シャークは白昼夢から覚めた。


 濡れ鼠になったような気がして、シャークは思わず手で額をぬぐった。手のひらにべっとりとついた汗が、妙に生ぬるかった。


 ああ、あのとき受けた雨の感覚が蘇っているのだ、と思った。


 それだけではなかった。同じ手に感じていた銀髪の少女の手のぬくもりが、最期の表情が、痛いほどくっきりと頭の中に浮かび上がっている。


 あまりの神秘に心奪われ、これが走馬燈現象だとか何だとか言われていたものの正体に違いない、と思った。だが、実際の記憶との整合性を論理的に検証しようとするとたちまちかき消えてしまうデジャヴのように、少女にまつわる感覚は急速に薄れていった。シャークはその名残を惜しむかのように、前に向かってよろよろと手を伸ばした。


「――イサ――」


 愛する少女の名を呼ぶ。ミハイルは眉をひそめたまま、こちらに銃口を向けている。


「俺、結局何もできなかったよ。復讐どころか、ナギサを傷つけて、デイタまで失って……」


 シャークの頬を、一筋の涙が伝った。不思議だ、と思った。あのとき以来、流す涙はとうに涸れ果てたと思っていたのに。


 悲しいことなんてないじゃないか……。


 そうだ。イサのいないPネットで、無為に、永遠に生き続けるくらいなら、ここで死んだ方が遥かにましではないか。


 死後の世界など信じていないが、彼女と同じように死ねるとしたら、少なくともPネットに行くのと比べれば、一抹の希望だって持てるというものだ。


 あのとき守れなかったイサを守るつもりで、両手を広げて、ミハイルの前に立ちはだかるのだ。そう自分に言い聞かせると、シャークは何だか不思議な満足感を覚えた。


 そのとき、ミハイルの銃口がチカッと光ったような気がした。


 純白の光の粒子の群れが、シャークの身体を包みこむ。


 それは一瞬の出来事だった。

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