第四章-47
しばらく歩き、展望室の前に差し掛かると、開け放たれたままの扉から星の光が廊下に差し込んでいるのがわかった。はて、この扉は人が近くにいなければ自動的に閉まるはずだが、と不思議に思って近づいてみると、扉のセンサーの下にしゃがみ込み、こっそりと部屋の中を伺うアルカの姿があった。
背後に立ってもなお、全くタイマに気付く様子がない。タイマはどう気付かせてやったものかとしばらく思案してから、無言で頷くと、抱えていた布団をアルカの頭の上に投げ落とした。
「ひゃっ! 何? 何?」
アルカは面白いほどあわてふためき、毛布を払いのけて周りを見回し、そこでようやく後ろでにやにやするタイマに気付いた。
「捕獲成功、だな」
「いきなりそういうのやめて、本当に。心臓止まるかと思った」
「すまんすまん。で、何を見てるんだ」
「はっ、そうだった! タイマ、こっちへ」
アルカは自分が座っている場所の近くへとタイマを引っ張り込んだ。それから、慎重に展望室の扉の端から顔を出した。
「誰か中にいるのか?」
タイマがそれに倣うと、奥の二人掛けのソファに座って外の星々を眺める二人の姿が見えた。すぐにそれがイサの言った「面白いもの」であるのだろうと納得する。
「驚いたな、ありゃナギサさんと、それからリューじゃないか」
「そうだよ。それと、もうちょっと小声で喋って」
「了解。しかし、どうしてこんなことになったんだ。あの二人って、二人っきりで星を眺めるような仲だったか?」
「それがよくわからないんだけど」
「ふうん。それにしても、密会をこっそり覗き見るとは、おまえも隅におけないねぇ」
にやにやしながらそう言うと、アルカはばつが悪そうな顔をして、それを隠すようにそっぽを向いた。わかりやすい奴だなあ、とタイマは心の中で呟く。
「でも、面白いじゃないか。折角だしPDAで映像を残しておこうぜ」
手の甲のPDAを起動しようとすると、アルカが慌ててこちらに向き直り、その腕を押さえた。
「そんなことしたら悪いよ」
「なあに、こちとらこっそり覗き見している身分だ。今更何をか恐れん……」
「しっ、今何か喋ったような」
「そうか? なら、集音のアプリでも使って声を拾ってみるか。それならいいだろ?」
好奇心に逆らえないのか、アルカが恥ずかしそうに頷いたので、タイマはPDAを起動して目的のアプリを立ち上げた。画面上に、遠くで行われている会話内容が文章として表示される。
A『ところで、さっき何か物音が聞こえませんでした?』
一言目で、たちまちタイマとアルカに電流が走る。どうする、逃げ出すかとアルカと顔を見合わせていると、画面に次の文章が表示された。
B『えー、俺はその、近くに誰かがいるなら大体気配でわかりますから』
しまった! リューの異様なまでの勘の鋭さをすっかり失念していた。表情から察するにアルカもそれは同じであったらしい。ひょっとするとリューはとっくに、こちら二人に気付いているのかもしれない。そう思い始めると、室内に微かに見えるリューの後頭部から、去れという無言の、されど有無を言わせぬメッセージが発せられているような気がして、タイマは背筋が寒くなったのだが……。
B『でもその、ええと、今はそんな気配はないです。この付近には特に誰もいない、と思います、はい』
この文章が表示されると、緊張が一気に緩んだ。
タイマとアルカは顔を見合わせたまま、同時に吹き出して笑い転げた。声を殺しながら笑うことはなかなかの苦行だった。
「こりゃ本当に気付いてないぞ。でも、言われてみれば当然か。そもそも女性と二人っきりで星を眺めるなんて、リューみたいな堅物にはあまりに荷が重すぎるってもんだ。とてもこちらに意識を向ける余裕なんてないだろうよ」
「文面が、汚職がばれて記者に質問攻めされてる政治家みたいだもんね」
「違いない」
二人で好き勝手言いながら、更なる文章を待つ。
B『……とうとう明日ですね』
A『そうですね』
B『そ、そうだ。ところで……見たところ、何だか随分と緊張してなさっているようですが』
A『そう、見えるのですか?』
B『ええ、とても。緊張を通り越して、怯えているようにさえ見えます』
A『……ええ。デモがうまくいくかどうか心配なのです。私はこの宇宙ステーションの管理の都合上、ここを離れるわけにはいきませんから、成功を祈ることしかできなくて』
B『……そうですか。でも、彼らを信じましょう。タイマやアルカなら、きっとうまくやってくれますよ。なんてったって、私の親友なんですから。私も国民を統制するにはここの方が都合が良いので、残らせていただくことになりますが』
A『そうなのですね。私はてっきり、貴方もタイマたちとともに行くとばかり……』
ぎこちなく、ぽつぽつとした二人の静かな会話を、最初はタイマもアルカも微笑ましく読んでいた。リューが二人への信頼を吐露したときにはひとしきりの感慨もあったし、同時に信頼を裏切るような真似をしていることを後ろめたく思いもした。だが、「決戦前夜に、星を見ながら」というシチュエーションに相応しくない、ロマンスの欠片も感じられない会話が続くにつれて、しばらくしてじれったさの方が勝り始めた。
「あっちゃー、ここで事務的会話に走ってどうすんだよ」
「そっちの方が気楽なんだろうけど、それは逃げ、なんだよね」
「本当だよな。俺があの場にいたらもっとうまくやってるぜ」
そう口に出した瞬間。
突然タイマの中で感情の奔流が巻き起こり、溢れ出る想いを抑えきれなくなった。
自分があの場にいて、隣にアルカがいて、一緒に星を見られたらどんなにいいだろう。
俺は静かに「寒くありませんか」と言って、アルカの華奢な背中にそっとコートを掛けてやるのだ。
「……チッ。馬鹿じゃねーのか俺は」
タイマは愚かな妄想を自戒するように首を振った。その様子を、アルカは不思議そうに首をかしげて眺めていた。タイマは何でもない、画面に集中しろとばかりにPDAを指さした。
アルカが画面に目を移したところで、タイマは床に落ちていた布団を持ち上げ、自分とアルカの背中にバサッと被せた。するとアルカは困ったように笑った。
「またそれ?」
「だって、寒いだろ」
照れをごまかすようにぶっきらぼうに言うと、アルカは首を振った。
「寒くないよ。Aスーツは完全防寒だし、室温だって調節してあるでしょ」それから少し考えてから、ちょっぴり微笑んでタイマを見た。「でも、心はちょっとあったかい」
こいつは真顔でそういうことが言える奴なのだったな。そう心の中で呟き、タイマは微笑み返す。
「心があったかい、か。そういうことだってあるよなあ。何てったって、ここは現実世界なんだから」
それ以降のことはよく覚えていない。リューとナギサの会話はまだまだ長引いて、それを追っているうちに、いつしか二人とも眠り込んでしまったのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます