エピローグ-58
「それにしても、馬鹿なことをやりましたね。水爆を落としたのが貴女だったなんて知ったら、タイマなんて泣きかねませんよ。それでも、どうやらバーサーカーの投下は、戦略的には成功の部類に入るようだ」
リューはこちらを向いて、得も言われぬ表情で語った。
「はからずも、貴女の水爆のおかげで私の目的は達成されたようです。PDAコーポレーションは全壊し、最も忌避すべき事態である現実世界のデータ化は続行不可能と相成りました。それに、タイマによる付近一帯への迅速な回避命令の発令によって、水爆による直接的な被害を受けた者は皆無だったそうですよ。現在、Pネットから現実世界へ随時戻れるようになっていることを考え合わせると、今回水爆による被害を受けたのは実質、東京郊外の爆風到達部分に住んでいた比較的少数の人々の固有資産だけということになりますね」
「はぁ……」
「貴女が水爆で消し飛ばしてしまった彼らの資産に対しては勿論賠償命令を下させていただきます。ただし、実行犯である貴女の主張を聞く限り、貴女に犯罪を教唆したシャークも同罪のようですね。ですから、賠償のうち半分はシャークの財産から出させます。なお、この賠償を理由に、有事における日本国大統領の緊急権において、貴女に恩赦を与えることとします。なお、貴女が語った四十年前の水爆投下については、証拠不十分のため罪に問うことはありません」
立て板に水とばかり喋るリューの言葉を、ナギサはただ黙って聞いていたのだが、最後の二言だけは、聞いていて流石に頭に血が上った。
「納得いきません」
「まあ黙って聞きなさい」リューはナギサの抗議を一蹴した。「本来、罰というものは犯罪者に自分の罪を自覚させ、反省を促すためにあるべきものです。貴女に対して刑罰を科すなど、釈迦に説法も同じでしょうが」
「し、しかし。いくら貴方が大統領で、現在が一朝有事だからといって、一人で私の処遇を何でもかんでも決めてしまって。これは越権行為ではないのですか。不正ではないのですか」
「不正? 水爆を二発も落とした犯罪者が何を言っているんです。言わせてもらえばね、政治家なんて不正をやってコネを得るのが当然ですよ。そんなことで罪悪感なんて覚えているほど暇じゃありません。大体、この国で最大の企業が潰れたんです。その上で、貴女がさっきおっしゃったように、財産を東京の復興なんぞに充てるために、この国第二の企業までも取り潰すようなことをやっていたら、これはもう、これからの時代日本はやっていけなくなりますよ。私は国益のために貴女を許すと言っているんです。勿論受け入れていただけますね?」
もしこれが恩着せがましく微笑みながらの言葉だったら、ナギサは決して受諾などしなかっただろう。だがリューは最初から最後まで淡々と事務的に語ってくれた。だからナギサは頷くしかなかった。頭を下げた瞬間、四十年もの間我慢してきた涙が零れ出た。そんなナギサの肩を、リューはおずおずと不器用な手でかき抱いた。
「貴女はもう一人ではありません」
リューの静かな声は何だかナギサが子供の頃に死に別れた父親に似ていた。ナギサをして少女のように泣きじゃくらせるのに足る包容力が、その声を持つ今のリューにはあった。せめて今だけは、とばかりに何もかも忘れてわんわん泣くナギサの頭を、リューは優しく撫でてやった。
「大丈夫ですよ。知ってしまった以上、私も共犯だ。これからは、私も一緒に貴女の荷物を背負っていきますから」
「……本当に、これで全てが終わったのね」とイサは言った。「何だか、嘘みたいだわ。そうじゃない、ミハイル?」
「今度こそ、間違いないさ。僕たちの役目も、もうおしまいだ」
二人は奥多摩の展望台で、ベンチに座って遠くを眺めていた。ここからは関東平野を広く見渡すことができる。現在、東京は未使用のまっさらな画用紙の様相を呈していた。ビルも建物も道も、おおよそ人間が作り上げたものは何も残っていない。
展望台のある高尾山の麓に、爆風が及んだ地域と及ばなかった地域との境界が見えていた。この辺りまで一応廃都東京の一部とはいえ、四十年前の水爆の効果が及ばなかったこんな郊外まで一様に遺棄されたわけではない。麓の辺りにはいくつか街があったはずだ。今頃境界線の傍では住民が上へ下への大騒ぎを起こしていることだろう。
だとしても、今この場所にいる二人は、まるで最初から何も起こらなかったかのように落ち着いている。背後の森の中から聞こえてくる物音に耳を澄ます余裕すらあった。
「そういえば、礼を言ってなかった」ミハイルが今急に思い出したかのように言った。「PDAコーポレーション本社でのことだけど。宇宙船で僕を助けに来てくれただろう」
「別にあなたを助けるのが目的だったわけじゃないわよ。あのときは人間が予想以上に多かったから、口減らししようと思ってね。人間の群れは、あの厄介な社員共を相手にするならば役立つけれど、どっちみち物理的にも精神的にも《灰色之者》を殺せるのはOS1だけなのだから、あの場ではアルカちゃんを餌にしてタイマ一人をおびき出すのが最善手だった。それだけのことなの。あなたを助けるつもりなんてこれっぽっちもなかった」
「ははあ、照れてるね。タイマを送り出した後、僕に対して『早く乗りなさい』と言ったときの君の真剣な表情を見せてあげたいよ」
「それは、あなたがぼやぼやしていると私まで逃げ遅れかねないからよ」
「そう思うんなら、一人で先に逃げればよかったじゃないか」
「ああうるさい。助けたのを後悔してしまいそうだわ」
「ごめんごめん」ミハイルは楽しそうに笑った。「でも、本当に感謝しているよ。君が来てくれなければ、あのまま何万人もの人々にリンチにかけられた上、とどめに水爆まで食らうところだった。不死身とはいえ、今でもそれを思うとぞっとしないね」
「ふふっ。あなたなら例えそうなっても自業自得ではないかしら? 《灰色之者》の信頼を得るためだけに、奴の手先として千二百万人もPネット送りにしたんでしょう? 私でも真似できないわ」
「しかし、そうでもしなければ《灰色之者》を倒すことはできなかっただろう。月並みなことを言うようだが、犠牲はつきものだよ」
「へぇ、確信犯だからって言い訳するんだ。マギヒスの小僧は野蛮なのね。やはりあなたとは解り合えなさそうだわ」
「あえて辛く孤独な憎まれ役を買って出た者に対する労りの心を、シャルハラの婆さんのところでは教えてないのか。解り合うだなんて、こっちから願い下げだね」
悪口を言って睨み合った二人の間に、険悪な雰囲気が漂いかけたのだが、すぐにどちらからともなく笑い出す。
「こんな異世界に来てまで、今更マギヒスがどうのシャルハラがどうのでいがみあってどうする」
「そうね。それもよりによって、《灰色之者》が滅びた目出度い日に」
二人はしばらく無言で、PDAコーポレーションの本社があった方向を満足げに眺めていた。それからイサは立ち上がり、隣のベンチの前に移動した。そこには茶髪の少女がタオルを枕にして横たわっていた。いつの間にか片手がベンチから落ちていたので、イサはそっとそれを持ち上げ、身体の上で腕を組ませてやった。
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