第一章-9
五人はトレーラーに戻ると、シャークが早速トレーラーを動かし始めるのを待って、テーブルを囲んだ。これからの予定を確かめるためだ。気を取り直したリューが、テーブルの上にPDAを大きく広げた。画面上には地図が表示されている。それを見る皆の手には、紙に包まれたハンバーガーが乗せられていた。
「こういう最高級の食べ物が食べられるってのはやっぱり、現実世界の一番の利点だな」
タイマがハンバーガーをほおばりながらこう言うと、リューは気の毒なほど狼狽した。
「こ、国連に着いたら本当に最高級の食べ物を食べさせてやるから、少し待ってくれ」
リューは、上機嫌に見えるタイマが「客人にこんなものを食わせるとは! 俺はPネットに帰る」と言い出すことを恐れたようだったが、タイマとしては皮肉でもなんでもなかった。むしろ、自分の一番好きな食べ物を覚えていてくれたのだと見当をつけてリューの株が上がったくらいだ。
「それにしても、本当に五人だけでモスクワに行くのかい」
デイタがリューとシャークに聞いた。それにはリューが答えた。
「タイマ、おまえは俺にとっての切り札だ。おまえというカードを切れるのは一回きり、よって、最も大きな効果を得られるまで、おまえの存在は隠しておかなくてはならない。わかるな?」
タイマが頷くと、リューは満足げな表情をした。タイマは既に、リューは自分が思い通りに動くと喜ぶということに気付いていた。天才である自分の筋書き通りに皆が動けば最も優れた結果が出る、とでも思っているのだろう。いらいらするし面倒ではあるが、国連に着くまでの辛抱だとタイマは自分に言い聞かせた。
「だから、俺たちは万が一にもタイマを見つけられることのないよう、これから一度もトレーラーから降りることなく、ひたすらモスクワを目指す」
「そんなあ」アルカが弱々しく抗議した。「現実世界を訪れた記念に、各地を観光したかったのに」
そんなアルカの抗議を聞いて、リューはわざとらしく困ってみせた。
「どうしてもというのならば、行きがけにどこかの観光地にでも下ろしてやることはできるが……」
「待った」タイマは咳払いをして、リューの目を引きつけた。「アルカ、国連で演説を終えるまでは俺のそばにいてくれ。全てが終わったら、一緒に世界一周にでも出かけよう。何ならお姉ちゃんを探したっていい。だって、必ずしも水爆に遭ったとは限らないじゃないか。ひょっとするとどこかで生きているかもしれないだろう。そうだ、それがいい」
タイマの提案を聞いて、アルカは頬を紅潮させ、デイタは居心地が悪そうに眉をひそめ、シャークは黙ったままにやりと笑った。しかし彼らの反応などどうでもよかった。リューは彼にとって役に立つ力のある「タイマ」以外を明らかに軽視している。それを許しておくわけにはいかなかった。まして、厄介払いをしようとするに至っては絶対に阻止しなくてはならない。
リューを再び睨み付けようと思ったが、再び大喧嘩になることはこちらとしても避けたい。再会してからというもの、リューとの関係はいいとこなしだが、別れる前の二十数年間で築いてきたのは、一日や二日の確執で決別できるような安い友情ではない。タイマとしても、なるべく早く昔のような良い関係に戻れるのを願うばかりだった。
「それで、このトレーラーだけで時間内にモスクワまで着けるのか?」
地図を見ながら発言する。ロシアの国土の広さに、何となく嫌な予感はしていた。そしてリューの次の言葉で、その予感は的中した。
「まず新潟まで三百キロ走ろう。そこでフェリーに乗り、ウラジオストクへ向かう。そこからは中国国境を迂回しつつ、シベリアの大地をざっと一万キロ走り抜けるだけだ」
「いや、一万って……」
絶句したタイマの隣で、デイタが顎に手を当てて考え込んだ。
「ところで、フェリーに乗るのは大丈夫なのかな。荷物を改められるんじゃないのか」
「新潟ウラジオストク間なら、国境が開放されているからな。厳しいチェックが入ることはまずない。これが北極海を横断するルートになると、警備がガチガチに厳しくなる。ほら、北極海には石油がたんまりあるだろう」
聞いたことがある。地球温暖化によって北極が随分と小さくなったが、それに伴って北極の海底の石油を採掘できるようになり、ロシアが毎年莫大な利益を上げているという話だった。それにしても、もう採掘が始まって百年経っているのに、まだ油田が枯れていないとは驚きだ。そういえば、同じく百年近く前には、日本近海に大量に存在するメタンハイドレートが日々日本経済を潤していたものだが、そちらは今はどうなっているのだろう。タイマは後で聞いてみようと思った。
「本当に、トレーラーの中身を改められることはないんだね?」デイタが質問を続けた。「国連に入るときはどうなんだ?」
「国連に入るときは流石に、トレーラーの中身は改められるだろうな。テロリストを警戒して、厳重に調べられるだろう」
「それじゃ、ダメじゃないか。それとも、その段階に来たら、もうタイマの存在がばれても構わないのかい」
「いいや。そのときは俺が何とかするさ」
そう言い放ったリューに、デイタは疑わしげな視線を向けていた。見かねたシャークが口を出した。
「デイタ、リューはなんだかんだで有言実行の男だ。何とかすると思うぜ。なんせ、日本大統領だからな」
真っ白な歯を見せて笑いながらそう言ったシャークに、Pネット組の三人は口々に驚愕の叫びを上げた。だが、当のリューは悠然とハンバーガーを食べているばかりだった。
「何を驚いている? それくらいの地位がなければ、そもそも国連の会議に参加できるわけがないだろう」
それはまあ、確かにそうだった。タイマは最初こそ驚いたが、よく考えてみると、全く考えられないことではなかった。リューは実際、非常に有能だったし、人心を掴む術もよく心得ていた。学歴もカリスマもあった。そんな彼は、六十七年前の時点で国連警察のサイバー犯罪対策本部長という花形エリート職に就いていたのだから、今頃は日本大統領の座におさまっていてもおかしくはないかもしれない。
「それなら大統領さん」デイタの呼びかけに、リューが「その呼び方はよせ」と答えたので、デイタは明朗に笑った。「リュー、もうひとつ訊きたいことがあるんだ。あと一週間なんだろ。既に一日目は過ぎたんだから、あと七日だ。本当に、飛行機も使わずこのトレーラーだけで時間内に着けるのか」
「そうだな。このトレーラーは、時速百キロを保ったまま、二十四時間進めるとだけ言っておこう」
「なるほど。フェリーを抜きにしても、四日と七時間で着けるわけか」デイタが感心したように言った。「十分間に合いそうだね」
うへえ、暗算! 流石インテリ眼鏡のやることは一味違うぜ、などと思いかけるが、自分でもやってみて実はそこまで凄いわけでもないことに気付く。
「ああ。フェリーでウラジオストクに渡るにしても、入国出国の手続きが必要ないから、一日かからないはずだ。この分では一日は余裕を持って到着できるだろう」
「仕方がないとはいえ、たった一日か。ハプニングが起こらなければいいがな……」
シャークが話に水を差して、くっくっと笑ってみせた。デイタとリューがじろりと睨むと、シャークは席から立ち上がった。
「さあて、俺はしばらく寝るとするか」
そう言って後ろの扉を開け、ベッドへと向かう。トレーラーが新潟に着くまで、あと僅か二時間半。どうせ何もやることはない。タイマは自分も寝ておこうと思い、シャークに続いた。
前日に決めておいた自分のベッドに寝転がり、低い天井と、壁をタッチして映し出した外の景色を交互に見た。コンテンツの消化に勤しむでもなく、ただ何もせずにいるというのは不思議と落ち着く体験だった。PDAの地図を見てみると、東京郊外を出て埼玉の山間にさしかかっている様子だ。トレーラーはいつの間にか高速道路に入っていた。どうやら既に爆弾の被害領域からは出たらしく、既に道路では何台もの車が行き交っていた。そういえば、リューがなるべく外は見るなと言われていたのを思い出した。外の車ひとつひとつがタイマをのぞき込んでいるような気がして、たまらずディスプレイをただの壁に戻した。
「そういえばシャーク、あれは何なんだ」
タイマは頭を天井にぶつけないように気をつけながら、ベッド間の通路に頭を出して、後ろの物置に置かれている二輪車を指さした。
タイマの斜め下のベッドで寝ているシャークは顔にタオルを乗せており、タイマの指を見ている様子ではなかったが、そうであってもそのうち訊かれるだろうと思っていたのか、それだけで質問は通じた。
「あれな、俺のバイク。たまに一人で遠出しなきゃならなくなるときとかあるから、いつも持ち歩いてんの」
「そ、そうなのか。まあそれはいいや。それともうひとつだけど。俺たちどこかで会ったことないか?」
しばらくシャークはそれに答えなかった。それは肯定という意味だろうかと訝り始めた頃になって、シャークは寝転がったまま首を振った。
「特に会った覚えはねーな。ずっと昔の話なら、仕事で何回か顔を合わせたくらいなら、ひょっとするとあるかもしれないが」
「そうか。だよな」
「そうそう」
それだけ言うと、シャークはすぐに寝息を立て始めた。タイマはそれでもしばらくの間記憶を辿っていたが、結局何も心当たりは見つからなかった。
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