第三章-23
第三章
五月二十七日、国際連合総会緊急特別会議。
PDAコーポレーションによる「世界のデータ化」声明に対し、国際的にどういった立場を取るか決めるため、モスクワのソビエト宮殿にて急遽開催が決定された会議であった。
この会議によってこの現実世界全体の今後の有り様が決定づけられるとあって、会議室には空席などひとつもない。中小国家の首脳の席は会議室の後部一帯に、常任理事国であるG10――EU、ロシア、AU、アラブ連合、日本、中国、SEAC、韓国、カナダ、ブラジル――の代表者は、各国二人ずつ、会議室の前部の円形のミーティングテーブルに着席していた。
G10のうちの一国、日本の代表であるリューの右には、日本の某大企業のトップであるナギサの姿がある。本来シャークを座らせようと考えていた席だが、彼とは道中ではぐれてしまったため、急遽内密に電話で呼び寄せたのだった。ナギサはリューの頼みに快諾すると、個人所有のジェット機を用いて、ものの数時間でモスクワに到着した。わざわざシベリアを横断してきた、これまでのリューの苦労を否定するような呆気なさだった。今、ナギサはうつむいたまま、発言中のEU代表の言葉を黙って聞いている。
「我が祖国イギリスでも、暴動の兆しがあります。二十四日にも、政府高官の一人が自宅で襲撃を受け、Pネット送りにされるという事件が発生しました。犯行声明から、犯人はデータ化賛成派のようで、反対派の被害者を疎ましく思っていたものと思われます」
EU代表を務めているのは、イギリス大統領のベスだ。女性のような名前だが男性である。リューは個人的に嫌いではなかったが、顔立ちも物腰も柔和でどちらかと言えば学者肌であり、とても政治家に向いているとは思えなかった。今もアラブ連合代表者から「データ化賛成派なら、とっととPネットに入ってしまえばいいだろう。どうして反対派を襲う必要があるのか」などと強気に問われ、しどろもどろになってしまっている。リューは鼻を鳴らし、左手の甲に装着されたPDAの画面を盗み見る。再び表示される「現在通信できません」の文字に、人知れず唇を噛んだ。タイマやシャークらとは数日前に連絡が取れなくなっていた。幸い、連絡先のリスト中の彼らの名前の表示がアクティブなので、まだこの世界にいることは確かだ。しかし、本来PDAの仕様上通信できないような状況に陥ることなど普通ならまず起こるはずがないので、彼らが何らかのイレギュラーに巻き込まれていることもまた確かだった。
「ところで、日本ではどういう状況なのですか、リュー大統領」
顔を上げると、ベスと目が合った。突然話を振られると流石に少しは慌てるが、伊達に何十年もの間国の代表をやってきたわけではない。ベスのように答えに詰まることはない、という自信がリューの中にはある。
「日本でもやはり、賛成派と反対派の争いは白熱しています。私の考察するところによれば、現在積極的にデモや暴動を企てているデータ化賛成派は、データ化に先立って既にPネットに入っている賛成派のほんの残滓といったところでしょう。そして、彼らのほとんどはただ騒ぎたいだけの一般市民であると思われます」
一拍おいて丸テーブルを見回すと、四、五人の他国の首脳たちが「それは俺が言おうと思っていたのに」という、落胆とも困惑ともつかない表情をしているのがわかった。リューは満足げに続けた。
「彼らはデータ化を祭のようなものと捉えている節があります。そうでなければ、先程アラブ連合のアズハル事務局長がおっしゃったように、一人で勝手にDゲートを使っているはずですから。いいですか、賛成派の方々はどうせ最後なのだからといって、この世界をしゃぶりつくそうという魂胆でいるのです。騒ぎに乗じて奪えるものは何でも奪い取って、Pネットで多くを持つ者として新たなスタートを切ろうとしているのはほぼ間違いありません」
リューがそう言い切ると、テーブルにざわめきが広がった。アズハルは奥歯を噛みしめて、静かに一言呟いた。
「神をも恐れぬ連中だ」
その言葉に、神を信じる者も信じぬ者も皆共感し、会議室の雰囲気は一気に反対派に傾いた。だが、そのとき高く手を掲げた男がいた。
「悪いのだが、私は賛成派だ」
中国代表のユーシュンである。テーブルに着いた者のほとんどが財力を生かして二十代や三十代の容姿を保っている中、この男だけは六十代の老人の顔をしていた。若者の容姿には威厳がついてこないという、ただそれだけの信念を理由に、わざと延齢を怠った結果手にした老人斑としわだらけの顔には、他の首脳たちをしばらく黙らせるような威圧感が確かに備わっていた。
「我が国の賛成派の民衆は、私が賛成派に回るならば、Pネットに入った後も私を国のリーダーとして丁重に扱うという声明を出してきている。反対派の君たちには悪いがね、今は《データ化後》のことを考慮すべきときにきていると思うよ」
その言葉に、アズハルが怒りをあらわにして立ち上がった。ぴっちりしたスーツを着た三十そこそこの(ように見える)男性が、落ち着いた老人を相手にして喧嘩腰で物を言うというのは、なかなか名誉に結びつきそうにない光景だが、アズハルはそんなことでためらったりはしない。
「それが中国国民八億のトップに立つ者の言葉か! おまえは今、アラブ連合をとは言わずとも、私個人を敵に回したぞ」
「君が何を言おうが私の考えは変わらん。君たちも、今くらい利己的になったらどうかね。それに、私にも家族がいる」
ユーシュンの顔が僅かに曇った。
「今この瞬間にも、頭のネジが飛んだ賛成派が私の自宅を襲撃して、私の両親や祖父母に暴行を加えているかもしれないのだぞ。一応ボディーガードに警備を頼んではいるが、彼らもいつ裏切るか。何しろ、これから私たち皆が行くことになるPネットには、裁判所も刑務所もないという話だからな」
家族のことを出されると、アズハルも黙ってしまった。彼にも愛する家族がいるのだろう。Dゲートの自動起動がいざというときの守りとして存在するとはいえ、その起動条件に引っかからない程度に拷問を加えることは不可能ではない。家族を持つ者にとって、家族がそのような目に遭うことを考えるのは身を切られるように辛いだろうことは間違いない。Pネットができるより前に両親を亡くし、それ以来家族というものを知らないリューとて、それくらいのことは理解しているつもりだった。
アズハルが何も言い返さないのを見て取ったユーシュンは、机を支えにして立ち上がると、会議室を一度見回して言った。
「この場でそう主張するようにと、国内の賛成派の代表者に言われていた。それが済んだので、私は帰らせてもらおう。一刻も早く、家族と一緒にこの煩わしい世を捨ててPネットへ旅立ちたい」
ユーシュンはそのまま踵を返すと、会議場の裏手の重たい扉を自分で開けて出て行った。リューはあっけにとられてその後ろ姿を眺めていた。それから少しの間をおいて、会議場は騒然となった。常任理事国のうちの一国の首脳が中途退場したのだから当然である。しばらくして、会議場の後方で中小国家の何人もの首脳たちが立ち上がり、常任理事国のテーブルの前に並ぶと口々に発言を始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます