第三章-24
「インドネシア代表だが、恥を忍んで言おう、私も現在家族を人質に取られているところであり、賛成派に回らざるを得ない」
「スイス代表です。我が国は三月のミハイル襲撃によって国土の大半を放射性物質によって汚染され、国民はほとんどイタリアを初めとする他国へと離散した状況。少数の有志とともに復興にあたって参りましたが、力及ばず、我が妻を含めて多くの者が放射線障害に倒れ、これ以上国家としての体裁を保持することは不可能と判断しました。復興支援をしてくださった方々、とくにイタリアのベアトリーチェ大統領には感謝してもしたりないほどです。ご期待に応えることができず、申し訳ありませんでした。では、私も早く、苦しむ妻の元に駆けつけて、一緒にPネットへ行ってやらねばなりませんので、失礼いたします」
「オセアニア代表だけど、いろいろと面倒だし、もう何もかも放り出してPネットに行くことに決めました。どうせこの世界がデータ化されたところで景色が変わるわけじゃないんでしょ。違いといったら本物かただのデータかってところだろうけど、僕はそういうことにはこだわらないからさ」
国々の首脳の中にも隠れ賛成派は思いの外多かったらしく、彼らのアピールを止めるためには、議長であるロシア大統領ステパンが立ち上がって何度も静粛を求めねばならなかった。
「何が賛成派だ。悪魔に魂を売った連中め。この手でぶん殴ってやりたいくらいだ」
リューの三つ隣の席に座っているステパンはそう呟くと、皆の注意が自分に向いたのをこれ幸いと話し始めた。喋るたびに大きく揺れる頭の動きから、その激情を読み取れる。
「我らはDゲートが一方通行となった四十一年前から今日に至るまで、何のためにこの現実世界にとどまってきたのか。自分の生きてきた世界を捨てたくないと思った者、築き上げてきた財産や地位が惜しいと思った者、手の届かぬ異質な存在となったPネットを恐れた者。動機は様々だろうが、頑なにDゲートを避けておきながら今更手のひらを返すとは何事か。やると決めたら最後までやり通す、それが人間の正しいあり方ではないか」
熱のこもった演説が終わり、ステパンが着席すると、EU代表者であるベスが眉間にしわを寄せつつ、おずおずと手を挙げた。
「ステパン、あなたのおっしゃりたいことはわかります。しかし、国が賛成派と反対派に真っ二つに分かれているとき、トップであるあなたや我々が、このような公式の場で個人的な立場を表明し、国の総意のように扱うのはいかがなものかと思うのですが」
「このようなときこそ、トップである我らが明確な立場を示し、ぶれない国政を執っていかなくてどうする。賛成派など、さっきもアズハル・アラブ連合事務局長が言ったように、勝手にPネットに行かせておけばいいのだ」
「そんなことで民主主義国家と言えますか。あなたはいいかもしれませんが、私は最低でも一度は国民投票をやらなくては国の行く先を定められませんよ」
「そんなことをやっていて、二十日後のデータ化に間に合うか。大衆迎合主義ここに極まれりだ。全く救いようがない」
「では訊きますが、あなたが政治の舵を切ったとして、データ化反対のために、賛成派の暴動を抑えつつ、具体的にどのような行動をなさるおつもりですか」
ベスと比べて直情的なステパンは、その質問にすぐには答えられなかった。ベスの顔を無言で睨み付ける。そうしながらも、カンニングペーパー代わりにしているのか、あるいは時計機能で会議の残り時間を調べているのか、PDAの画面に目をやる頻度が高くなってきた。そんな彼の様子を見ながら、リューは冷静に思索にふけった。
まさに問題はそこなのだ。PDAコーポレーションの勝手な行動を取りやめにするにはどうするか。順当に考えれば、皆で社屋を囲み、データ化反対を叫んでデモを行う、あるいは非常事態宣言でも発して各国の軍隊を集め、脅すなり攻撃するなりするといった方法が思いつく。普通の企業なら、このどちらかをやるそぶりをちらりと見せただけでも、経営者から派遣社員に至るまで血相を変えててんやわんやになり、代表者は泣いて許しを請うことだろう。しかし、PDAコーポレーションはそういった普通の企業とはかけ離れている。何しろPDAを全人類にあまねく普及させるほどの影響力と、水爆すら受け付けない強固なDゲートのバリアを手中にしているのだ。軍事的解決など論外だし、バリアの外側でデモをしたところでめざましい成果が上がるとは限らない。内側の社員たちは、対岸の火事としか思わないかもしれないからだ。かといって、他に思いつく方法もないのだが。
「リュー日本大統領、PDAコーポレーションの所在地は日本だが、日本政府の働きかけで社長あるいは社員とのコンタクトはとれないものなのか」
ベスの問いに答えるのを放棄したステパンが、何とかして話題を変えようとリューに話を振ってくる。リューは黙ってかぶりを振った。
「無理ですね。方法がまず存在しません。これまで長らく、秘密裏に調査を続けてきましたが、何の手がかりも手に入っていません。現時点で、PDAコーポレーションの社員は全員社屋内に籠もっているものだと思われます。私自身も何度かPDAコーポレーションの近傍に足を運びましたが、全く手応えはありませんでした」
「なるほど、最低でも社屋内には何らかのライフラインが存在しているわけか。しかし、そうなると中の連中は故意に我々を無視しているのか、こちらの様子を伺うことができないのか気になるな」
「反対運動のためにデモをやるにせよ、こちらの様子が向こうに見えなければ骨折り損のくたびれもうけですからね。しかし、それについては心配はいりませんよ」
リューは「ちょっと失礼」と断りを入れると、PDAを机上に広げて操作し始めた。目的のビデオファイルを呼び出すと、画面をタッチして再生した。皆に見えるよう、パネルをいくつかに分割して様々な方向に向けて立てる。たちまちPDAコーポレーションに所属する中年のニュースキャスターが画面に映し出された。それを見て、幾人もの首脳が嫌な顔をする。当然の反応だと思った。
「……水爆により東京は壊滅し、その後の核物質廃棄にもかかわらず、ロシア、EU、インドを初めとして放射能汚染地域は広がるばかり。このような状態で千年が過ぎたら、地球のどこに人間が安全に暮らせる場所が残るでしょうか。あるいは一万年が過ぎたら? 手遅れにならないうちに、我々はこのかけがえのない地球をデータ化せねばなりません」
リューはそこまでニュースキャスターに言わせると、パネルを再びタッチして再生を止め、パネルを重ね合わせて縮小し、元通り左手の甲に装着した。
「この通り、PDAコーポレーションは自分が水爆を受けた後、伝説的な英雄タイマの言葉によって核物質が廃棄されたことも、ミハイルによって放射性物質が世界中にばらまかれていることも知っています。何らかの形で、彼らに現在の情勢を知る能力があることは明らかでしょう」
「ふむ。言われてみれば、確かにそのようなことを言っていたな。もっとしっかり検証すべきだった」
ステパンは決まり悪げに顎に手をやって目をそらした。PDAの画面を再び見る。その瞬間、ステパンの顔に笑みが浮かんだ。
時計を見るまでもなく、そろそろ頃合いだな、とリューは見て取った。予想通り、議長であるステパンは立ち上がって、各国首脳の錚々たる顔ぶれを見回した。
「さて、そろそろ時間だ。一日目の会議はお開きとしよう。毎年恒例のパーティをやるぞ。我が国自慢のロシア料理を初めとして、どんな方のお口にも合うような、贅を凝らした料理を振る舞おう。皆さん、右側の出口からディナールームに向かっていただきたい」
黒一色のスーツに身を包んだ首脳たちが、列を作ってぞろぞろと出て行く。リューも隣のナギサらに続いてそれに続いた。腹が減っては戦はできないとはいえ、こんなときにパーティなどやっている場合ではないと思った。遅々として進まない列に並びながら、貴重な時間を無駄にしているという焦りが胸の中で徐々に膨らんでくるのを感じていた。
さっきまでの冷静さは消えていた。PDAを、何度も何度もチェックする。
タイマやシャークからの連絡は、いまだ、ない。
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