エピローグ-56



エピローグ



 バーサーカーはそろそろ地上に落ちた頃だろうか……。


 部屋の奥の窓から眼下に見える地球の、小さい島国のただ一点をぼんやりと見つめて、ナギサは遠い故郷に想いを馳せていた。


 タイマや、アルカや、デイタはどのように水爆を迎えるのだろう。せめて苦しむことなく……という想いが浮かび、慌ててそれを打ち消した。忌まわしい罪に手を染めた自分が今更人間的な感情を抱くなど、二度とあってはならないことだ。自らを戒めなければならない。ナギサは周りを見回した。床に工具箱がひとつ落ちている。ナギサはかがんでその箱を開け、ハサミを取り出した。長く美しい茶色の髪を左手で一房持ち、ハサミを持った右手を鎖骨にあてがう。


「髪を切ったところで、何にもなりませんよ」


 突然の声に、ナギサは動揺してハサミを取り落とした。声が聞こえてきた方向を見ると、灰色の髪に白衣を纏った男が、開いたエレベータの前に立っていた。


「……リュー」


 ナギサは一瞬、大泣きする寸前の少女のような顔をしたが、すぐに無表情に戻った。


「どうしてここがわかったのです?」


「一時間ほど前、Dゲート消失の報告が届き出した頃からでしょうか。随分と焦ったご様子になられましたね。行き先をお問いすると、私じゃなくてもわかるような稚拙な嘘で煙に巻こうとなさって。当初は地上へ降下した《チルドレン》やタイマたちを心配して動揺しているのだろうと思い、そのままにしておいたのですが、なかなか戻っていらっしゃらないので探しに出ると、複数の《チルドレン》がやけに殺気立って哨戒している区画があり、近づくと私を呼び止めてごつい銃をちらつかせ、ここは立入禁止だと言うではありませんか。そういうわけで、いざというときのために持ち歩いていた椅子の脚を使って全員を叩きのめし、隠し通路を発見したというわけです」


 リューはゆっくりと部屋を見回した。


 二人がいるのは宇宙船を宇宙へと射出するためのカタパルトの管制室だった。部屋の左側には壁を埋め尽くすほどの大量の本棚が並んでいた。そのほとんどが二十世紀から二十一世紀にかけて書かれた、水爆や放射性物質に関する古書だった。部屋の右側にはPDAを操作パネルとして用いてカタパルトを管制するための端末が置かれていた。端末の奥の壁面には大きなガラス窓がはめ込まれており、その奥の広大な空間を見られるようになっていた。少し前までここに水爆ミサイルが鎮座していたのである。


 リューはしばらくカタパルトをじっと見ていた。拳を強く握りしめており、手の甲に静脈が浮き出しているのが見えた。


「まさか宇宙船を射出したカタパルトの真下に、もうひとつカタパルトが隠されていたなんて予想もしませんでしたよ」


「私も、まさか貴方が今日に限ってこの場所を見つけるだなんて思いませんでした」


「……水爆、爆発したようですよ」


 口調こそ丁寧であるものの、常に冷静なリューでさえ感情を抑えきれずにはいられないことが声からわかった。


「私のPDAにも続々と報告が入っています。南は小田原、北は宇都宮に至るまで爆風が到達したそうです。どうやら今回は前回より、さらに強力な爆弾だったようですね」


「……今回、ですか」


「ナギサさん」リューはナギサの反応で何かを確信したようだった。顔をくしゃくしゃに歪めて、絞り出すように言った。「四十年前の水爆を落としたのも、貴女だったんですね」


「ええ。その通りです」


 ナギサが目を伏せて告白すると、リューは俯いて顔を覆い、ああ何てことだ、と力なく言った。


「せめて今回だけでも、貴女を早く見つけ出して止めるべきだった。自分の無力さを痛感しますよ。謝罪の言葉もありません」


「謝罪? 貴方が? 馬鹿な事を言わないで。私は最低の罪を二度も犯した女なのですよ。私はどんな罰でも好んで受けましょう。でも、謝罪なんてされるのは我慢なりません」


「それでも謝らなくちゃならないんですよ!」


 リューは突然激昂し、強く拳を握って窓を思い切り殴りつけた。骨が折れたような音がした。


「俺はずっと貴女が好きでした。いつからか決して笑わなくなった貴女のために何かできることがないかと常に探してきました。自分にはギャグを言って笑いを取るようなことこそできませんが、それでもいつか貴女に笑顔を取り戻すことができたらと願ってきました。でも、貴女が笑うはずがなかったんだ。だってそうでしょう。貴女は、突然頭上から水爆を落として何千万もの人々の日常を奪い去っておきながら、自分は平気で笑顔を浮かべ、幸せに生きていけるような性格じゃない。


 だいたい、人ひとりが二度と笑わなくなるなんて、重大な理由があるに決まっているんだ。いきなり水爆との関連を疑うことこそできなくとも、本当に貴女が好きだというのなら、詮索などしたら礼を失するなどという意識など捨て、お節介なくらいに首を突っ込んで、意地でも悩みを打ち明けてもらうべきだった。それなのに俺は、何故貴女が笑わなくなったかなど気にも留めず、時折パーティなどで表面的なご機嫌取りを行うことくらいしかしてこなかった。その結果四十年もの間、地獄のような日々を送ってきた貴女と苦しみを分かち合うことができなかった。その挙げ句に今日は、何十年も罪悪感のせいで笑顔を浮かべることすらできなくなるような罪を、一度ならずも二度までも貴女に背負わせることになってしまった。全く、俺以上に情けない人間がどこにいるだろう?」


 リューは途中から泣いていた。地面に身体を投げ出して謝るリューを見て、ナギサの胸が針で刺されるように痛んだ。こんな自分のことを好きだったと言ってくれたリューを愛しく思い、ひょっとしたらこの人だけは、自分のことを許してくれるかもしれないという甘い期待がナギサの心に浮かびかけた。しかし、ナギサはその想いを無理矢理に押しとどめた。自分は永遠に許されないことをしたのだ。だからこの先、永遠に償い続けることは人の身には無理でも、できる限り長く生き続け、罪を償い続けようと、その間決して救いの手を受け入れることだけはしまいと、そう決意したではないか。


「これを言うのは二度目です」ナギサは心を貝のように閉ざし、冷たく言い放った。「私に対し、一切の謝罪は許しません。わかったら貴方も私を糾弾しなさい」


 リューはそれを聞いて、のろのろと立ち上がった。彼の頬を涙が一滴伝って流れ落ちた。


「わかりました。それが貴女の望みなのであれば」リューはいじらしく涙をこらえて、奥歯を噛みしめながら言った。「私は……有事における日本国大統領の緊急権に基づいて、貴女を内乱罪で逮捕しなければなりません」


「わかりました。その際、私の固有財産は全て没収し国庫に納め、それを元に東京の復興基金を設立なさい」


「そうしましょう」


 リューは深々と頭を下げた。彼に任せば安心だろう、とナギサは思った。もはや思い残すことはない。


「……しかし」


 まだ何かあるのか、とナギサが冷たい目を向けると、頭を上げたリューの瞳には毅然とした光が宿っているのがわかった。


「その前に、私にだけでもどうか事情を打ち明けてください」


「……」


「今でも、貴女が私に少しでも友情を感じてくださるのならば」黙り込んだナギサにリューは懇願した。「貴女と苦しみを分かち合うことができなかったことを後悔する私のために、どうか全てを教えてください」


 長い逡巡の後、ナギサはためらいがちに頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る