第四章-43



 どれだけ叫んでも、反応はない。当然か、とデイタは寂しげな微笑を浮かべた。もし誰かが見えないところで聞いていたとしても、自分の言葉などでPDA至上主義が揺らぐわけがない。とうの自分たちだって、ほんの数週間前までは彼らと全く同じ立場だったのだから、よくわかる。誰だって、いつまでも、いくらでも娯楽に浸っていられるPネットを簡単に嫌いになれはしないのだ。デイタ自身とて、全てを放り出して自分のコミュニティや個人領域へ飛び戻りたいという欲望と常に戦っている。もしあの少女との約束がなければ、ひょっとするととうにそれを実行に移していたかもしれない。


「約束」


 デイタは口の中で小さくそう呟いた。するとたちまち、あの少女――追ってきたミハイルからデイタをかばってくれた銀髪の少女――のことが頭に浮かんだ。


 あの少女は、せめてミハイルの放つ即死レベルの放射線からデイタを守るために、おそらく自分の命を犠牲にしてまで、デイタがDゲートを起動させる時間を稼いでくれたのだ。


 少女は最後の最後に、現実世界から姿を消しゆくデイタの瞳をまっすぐに見つめて、何かとても強い想いを訴えてきた。だからその想いを受け取って、デイタはPネットに戻った後も自分のできることを全力を尽くしてやることに決めたのだ。


 それが、あの少女との約束だ。


 デイタと少女は、一言も言葉を交わしていない。だから当然、実際に約束を交わしたわけではない。それでも、デイタにとってはそれは約束であり、何が何でもやり通すという決心の源でもあった。


 少女の、あの髪と同じ色をした瞳に映った想いを糧として、デイタは再び叫ぶ。


「今、PDAコーポレーションの陰謀は最終段階に入っている。だから、今こそ立ち上がらなくてはならないんだ。どうせこのPネットからは何もできないと思っているかもしれない。だが、それこそが奴らの思うつぼなんだ。このPネットには三百億人の人間が暮らしている。これだけの数が力を合わせれば、何もできないはずがない。だから、どうか立ち上がってくれ。そして、僕の話をできるだけ多くの人に伝えてくれ」


 やはり、デイタの話を聞いている者は誰もいない。デイタは頃合いだと判断し、PDAのパネルを縮めて左手の甲に装着した。


 走り出そうとした丁度そのとき、後ろから呼び声が聞こえた。


「あああーっ! あんた、ちょっと待ちなさいよ」


 振り返ると、二十代に見える茶髪の女が一人、こちらに向かって走ってくるのが見えた。ようやくリスナーが現れたかと、思わず顔がほころぶ。女はデイタの目の前にたどり着いて、いかにも呼吸を乱したかのような身振りをすることによって、しばらく走り通しだったことをアピールした。そんな彼女にデイタはこう話しかけた。


「さっきの話を聞いていたかい? 僕たちはPDAコーポレーションの悪巧みを潰さなくちゃならないんだ。力を貸してくれると……」


 そこまで言ったところで、女はぶんぶんと首を振った。


「それは前に聞いた。まあ実際にはもう一度、詳しく話を聞きたいのだけれど、とりあえずそれは後にしよう」


 そこまで言うと、女はもと来た方向に目を向けて言った。


「みんな、対象は確保した。こっちよ」


 その言葉を皮切りに、角を曲がってたくさんの人々がどたどたと現れ、デイタの周りへと集まってきた。デイタが面食らって何もできずにいるうちに、あっという間に囲まれてしまった。十代に見える若者から、七十代にも八十代にも見える老人まで、ありとあらゆる年齢層の人々が、デイタのそばでこちらに笑顔を向けている。


 最初の女が、デイタに右手を差し伸べながら言った。


「あたしの名はステラ。あたしたちはあんたの演説に感銘を受けたグループよ。あんたに協力しようとあんたの後を追って、ようやく追いつけたところ」


「そうだったのか」


 デイタは周りの人々の笑顔を見ながら、喜ばしいような照れくさいような、妙な感覚を味わった。差し出された右手を取ると、ようやくデイタも微笑みを返すことができた。


「誰も聞く耳を持ってくれていないと思っていた」


「まさか。そんなわけないじゃない」


 ステラと名乗った女が、チッチッチッと舌打ちしながら指を振った。デイタはそのようなことをする人間を生まれて初めて見た。


「Pネットには三百億もの人間が暮らしてるのよ。いい加減Pネットの代わり映えしない生活に飽き飽きして新風を求めてる奴だって、探せばゴロゴロいるに決まってる。そう、あたしみたいにね」


「そうだとしても、ここまで上手くいくとはね。全部で何人いる? 見た感じでは百人近いように見えるけど」


「一人で突っ走りすぎたせいか、背後で今何が起きているのか、本当にちっとも気付かなかったみたいね。グループの人数が千人を越えたのが五月三十日。今日は六月六日でしょ。あれから七日も経ってるんだから、きっとあたしたちの味方は何十万人、何百万人にも増えてるはずよ」


 流石のデイタも、それを聞くと目を丸くしてしまった。挙げられた数値はただの憶測でしかないが、何十万、何百万というのは日常的な視点から見れば途方もない数だといえる。ステラが得意げになるのも無理はない。


「それでね。多人数のままで固まってると勧誘の効率が悪いっしょ。それで、百人を一グループとして散開し、勧誘によってグループの人数が二百人になったところで再び分かれるという方法をとることになったの。そうしてできたグループのひとつのリーダーがあたしってわけ」


「そうだったのか。いや、これは驚いた。信じがたい話だが、本当に凄いと思う。君たちにはいくら感謝してもし足りないほどだ」


 称賛の言葉を述べながらも、デイタの頭の中ではこの状況を踏まえた新たなビジョンが既に生まれ始めていた。


 巨視的には、十万人程度を集めたところで、Pネット世界に小さな足がかりを作ることができたということしかならない。重要なのはここからだ。現在は六月六日。データ化は六月十五日だというから、それほど時間が残されているというわけでもない。限られた時間の中で、可能である最大限の人員を集めなくてはならないのだ。そのために、効率にはとことんこだわる必要がある。


「さて、いくつか質問をいいかな。その、百人を一グループにするという方針は誰が考えたの?」


「誰って……誰だったかな。誰かが言い出して、なし崩し的に採用ってわけ。不服?」


「いや、悪くないね。固まり過ぎていても意味がないし、かといってある程度の人数がいないと鼻にも引っかけられない可能性が高い。まあ、それはともかく、二つのグループに分かれるときにどうするか決めてる?」


「うーん、別に。グループの編成が終わったら、その場で片方のグループが直角に曲がって、残ったグループがそのまま進めばいいんじゃない? あたしはそうしてきた」


「ああ、それはダメだよ」デイタは呆れを隠そうともせずに首を振った。「それではカバーできない部分が多すぎる。抜本的な改善が必要だ」


「というと?」


「まず、最初のグループが三つに分かれるだろう。互いに百二十度の角度をなした状態で出発する。それから、初めてそれぞれのグループの人数が倍になったところで、両者が進行方向から六十九度の角度に分かれるんだ。以降は、グループの人数が倍になるたびに、二つに分かれたグループがそれぞれ三十四度ずつずれるようにする。ただし最も外側にいる二グループだけは曲がらないでそのまま直進する」


 デイタが流れるように説明を行うと、ステラは面食らって目をぱちくりさせた。


「その、六十九度とか三十四度とかはどこから出てきたわけ?」


「六十九度は半黄金角、三十四度は四分の一黄金角だよ。上の手順を踏むことで、傘状の樹冠を形成する樹木の成長をおおよそ再現できる。理論上は、これで勧誘可能な最大面積を実現できるはずだ」


「理論上はって」ステラは肩をすくめた。「漫画に出てくるメガネくんみたいだね、君は。メガネくんって呼んでいい?」


「よく言われるけど、正直嫌だからやめてくれるとありがたい。そういうあだ名のキャラクターは大抵咬ませ犬になって終わりだからね」


 どちらかと言えば、物知りキャラとしてのあだ名は「デイタベース」というのがあるのでそっちで呼んでもらいたかった。ちなみに、中学生の頃はそこから何故か「ブイヤベース」という呼び名が派生していつの間にかそちらが主流になってしまった時期があったがそれはまったくもって本筋とは関係ない。

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