第二章-15



「おわっ、リュー」タイマは驚いて目の前の男の名を呼び、それから慌てて声のトーンを落とした。「何でまだ起きてるんだ?」


「俺は夜行性だからな」


「奇行性の間違いじゃないのか」


「まあ、それは冗談だ」リューはせっかくの気の利いた(と思っている)切り返しを無視してそう言った。「誰か起きておかないと、いつ何が起こるかわからんからな」


「移動中に何か起こるって? 心配性だな。今までもこれをやってたのか?」


「毎日じゃないさ。ところで、おまえはどうして起きてきた?」


「少し、考えをまとめにな」タイマはリューの隣に座り、広げたPDAのメモアプリを呼び出して、さっきまで布団の中で考えていたことをざっくりと箇条書きにしてみた。「Pネットを選ぶか、現実に生きるかっていう問題さ。なかなか決心がつかなくてな」


「まあ、それが当然だろう」


「ん、いつもみたいに考えを押しつけてこないのな」


「勿論俺も、おまえが現実を取ってくれることを望んではいるが、これは一人の生き方の問題だからな。おまえが考えに考え抜いて決めるしかない」


 タイマはそれを聞いて、深いため息をついた。


「何だよ、それ。どうせなら考えを押しつけてきてくれよ。そうしたら正当に怒りをぶつけられるのに。決断せざるを得ない状況に引きずり出しておいて、その責任は俺だけに押しつけるんだもんな」


 リューが何も言わなかったので、タイマは少し安心した。


「……あのな。シャークの言葉が、耳に残って離れないんだ。シャークってほら、見た目はあんなだけど、少なくとも中身は信頼できる好青年だろ。だから、それこそ早くPネットに帰りたいだとか、彼を失望させるようなことは言いたくなくなるわけさ。これってある意味、間接的ではあっても思想の強制に近いんじゃないか? 何となく卑怯な気がするんだ」


 リューはやはり黙って聞いていた。怒ったり呆れたりしている様子はない。そうされても仕方ないような、自分本位の愚痴だった。ある特定の深夜の空気のもとでしか話せないことがあるとしたら、これがそうだった。嘘も見逃さないリューの前では、かえって自分の正直な想いを吐露することができた。デイタとかアルカが相手ではこうはいかなかっただろう。


「おまえは正しいよ」リューがやがて静かに言った。「人の生き方とか信念とかいうものは、押しつけられていいものじゃない。俺とシャークが、思想の押しつけをしていたり、しているように見えていたりしたとしたら、謝ろう。決断はおまえ自身でやるものだ。どれだけ時間がかかったっていい。だが、決断をしないという選択肢はないぞ。もしおまえの心の中に、現実に生きるという道が選択肢として生まれたのならば、それを僥倖と思え。そして、とにかく考えるんだ。そのためには直感だって駆使していい。必ず、いつかぱっと目の前が開けて、全てに決着を付けられる時が来るはずだ」


 リューは顔色ひとつ変えずに、タイマの目を見つめてそう言った。タイマはあっけにとられて、とっさに「今の言葉、もう一度最初から繰り返してくれ。録音しておくから」と言ってリューを呆れさせた。リューにぶつくさ言わせながらもその作業が済むと、リューはコーヒーを淹れるためにキッチンへ向かった。二人分のコーヒーを淹れるリューの背中を見ていると、タイマは思わず胸がいっぱいになった。


「リュー、おまえはやっぱり……」


 そのとき、轟音とともに車体が大きく揺れ、リューは右手で持っていたポットを地面に落とした。ガチャンとガラスが割れ、熱いお湯が床に広がって湯気を立てる。


「何だ、今の……」


 タイマが不思議そうな顔できょろきょろした時には、既にリューは行動を起こしていた。


「起きろ! 全員起きろ!」


 リューは寝室内を縦横無尽に暴れ回り、寝ていた三人を一分も経たないうちに叩き起こしてタイマの前に連れてきた。リューは入れ替わりに寝室へ飛び込み、シャークは運転席に座り込んだ。すぐに手の甲のPDAに触れて起動し、前方のディスプレイをPDAから操作し始める。数秒と経たないうちに、ディスプレイには真っ暗な道路の様子が映し出された。そのときになっても、タイマはいまだにぼんやりしていた。何が起こったというんだ?


 顔を洗って頭をしゃっきりさせようと蛇口をひねる。ところが、水はぼたぼたとシンクに少し落ちただけだった。蛇口をひねってもひねっても、それ以上水は流れてこない。


「後部の給水タンクが破裂しているぞ」寝室から戻ってきたらしいリューが怒鳴った。「銃弾なんてもんじゃない。まるでミサイルを食らったみたいだ」


 その言葉で、眠気が吹き飛んだ。タンクいっぱいの水で顔を洗っても、これほどの効果は得られなかっただろう。


「タイヤは」タイマがぽつりと言った。「タイヤは無事なのか」


「あ、ああ。車下には爆風は届かなかったらしい。だが、もう少し下が狙われていたら……」


 リューは黙り込んだ。タイマは、冷や汗が一滴頬を流れ落ちるのを感じていた。心臓を冷たい手で握られたような気分だ。今までに遊んだどんなゲームよりも恐ろしい。これが現実というものの重みなのか、と思った。


 はっとして前方のディスプレイを見る。トレーラーの後方の様子が映し出されているが、暗闇のほかに何も見えはしない。それなら、タンクを吹き飛ばすような攻撃を仕掛けてきたのはどこの誰だ?


 その瞬間、ディスプレイの上で何かがチカッと光った。不審に思って目を細めた瞬間、ディスプレイが真っ赤に染まった。一瞬の出来事だった。爆発だと気付いた頃には、既にディスプレイを通して見えるものは暗闇だけに戻っていた。


「……外したんだね」デイタがふうっと息を吐いて言った。「きっと、数百メートル後ろにはクレーターができてるはずだ」


 そのとき、シャークが低い声で「これを見ろ」と、ディスプレイの隅に表示された地図情報を指さした。自分のトレーラーの位置を示すマークが、地図上をゆっくりと北へ向かって動いている。そして、一キロほど後ろにも、もう一台車が走っている。車種や国籍は表示されていない。ディスプレイを眺めてでその車を探すが、それらしきものは見えなかった。


「何て野郎だ。ライトも付けずに」


 シャークが悪態をついた。やはり後方には何も見えない。シャークは諦めてディスプレイ上に映し出すものをトレーラー前方の様子に切り替え、それからハンドルを僅かに切った。重い車体がゆっくりと振動して、右の車線へと移った。


「手動運転に、切り替えたのね」


 どうすることもできず立ち尽くしていたアルカが、消え入りそうな声で呟いた。Aスーツのデザインはパジャマのままだし、寝起きなので髪の毛が随分とぼさぼさだ。突然のアクシデントに対応できず、随分と怯えているのがわかる。彼女まで起こす必要はなかったのに、とタイマは思ってしまった。せめて何か声をかけてやろうと思って近づいた瞬間、トレーラーの左方を閃光が通過した。あのまま左車線にいたら、ひょっとすると爆発に巻き込まれていたかもしれない。


 シャークは車体をなんとか安定させると、アクセルをぎゅっと踏み込んだ。速度は僅かに上がったが、ベッドをはじめ様々なものを積んだトレーラーが、それだけで敵を振り切れるとは思えなかった。リューは黙ってトレーラーの中央に立ち、ディスプレイの隅に表示される情報の変化に気を配っている。


「リュー、そろそろ説明してくれたっていいだろう。何が起きているんだ。後ろの奴は何者なんだ」


 タイマがリューの肩を掴むと、彼は普段と変わらずぼさぼさの頭に手を当ててため息をつき、首を横に振った。見た目が若いとはいえ、その仕草は、今にも「遺憾の意を表明する」とか言い出しそうな、いかにも政治家然とした雰囲気を醸し出していた。リューはタイマたちと話す前に、シャークと二言三言だけ相談した。


「やはり、奴だと思うか、シャーク」


「チッ。そう思う」


「しかし、高速道路の途中で襲うというのは前例がない」


「他にどんな奴がこんなことをやらかすっていうんだ。タンクだって爆裂してたんだろ」


「そうだな……」


 リューは一呼吸置いてから、ゆっくりと話し始めた。


「三人ともよく聞け。十中八九、奴はミハイルだ」


「ミハイル? ロシア人なの?」


「わからないし、それは重要じゃない。奴は殺し屋なんだ」


「殺し屋? あの、金で雇われて要人をナイフで襲ったり、ライフルで狙撃したりする殺し屋のことか?」


「タイマ、おまえが想像しているようなのとは少し違う。奴は町を襲うんだ。そして、放射線を撒き散らし、人々を無差別に殺害する」


「あの爆発で、かい?」


「そうだ、デイタ。奴はライフルで核爆弾を撃ってくる」


 もう笑うしかなかった。


 何だよそれ。わけわかんねえ。世も末だな。

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