第五章-50



 他のほとんどのビルと同じく、ナギサ邸、兼フェニックス・コーポレーション本社屋もまた、灰色の骨組みだけを残して崩壊していた。タイマやアルカは、あるときは広い庭で駆け回るために、またあるときは広間で茶菓子でもご馳走になるために、しょっちゅうここを訪れていたものだが、もはやその頃の面影はない。


 宇宙船はもともとその荒れ果てた庭に着陸する予定だった。だが、どういうわけかDゲートが突然消失したことがわかると、タイマはすぐに宇宙船のパイロットを務める《チルドレン》の一人に頼んで、もともとDゲートに覆われていた部分より内側に着陸してもらうことにした。その上でデイタを初めとする、外で待機していた人々にも急いで着陸地点に集まってくれるように指示した。勿論、再びDゲートが顕現して締め出されるのを防ぐためである。降って湧いたようなこのチャンスを逃すわけにはいかない。


 無事に狙い通りの場所に着陸し、シートベルトを外して立ち上がると、アルカに話しかけた。彼女はそそくさと出入り口のそばに向かい、《チルドレン》がハッチを開けるのを待っていた。声をかける。


「待て待て、話がある」


「デモの段取りについて?」


「いいや」


 タイマの浮かべた真剣な表情に、アルカの顔が強ばった。


「嫌よ。私も行く」


「気持ち悪いくらい以心伝心だな」タイマはため息をつく。「もうわかってるとは思うが。一応言っておく。アルカ、ここから先は危険だ。おまえは待っててくれ」


「そんな」突然の指示に、アルカは傷ついたような表情を浮かべて首を振った。「私も一緒に行く。この先どうなるにしても、せっかくここまで来たんだから最後まで見届けたい」


 また始まった。


 最後にこのやりとりをしたのはいつだっただろうか。確かサイバー犯罪対策課の任務でクラスノヤルスク核施設に潜入したときだろう。アルカを置いて先に進もうとすれば必ず起こることだとわかっていた。要するにアルカはそんな奴なのだ。


「バッカ、その短足でどうやって俺やデイタについてくるつもりだ。足手まといになるどころか、後ろの奴らに踏みつぶされるのがオチだぞ」


「男っていつもそう」アルカは悔しそうに拳を握った。「身体能力が平均的にちょっと勝ってるからって、自分達だけで何でもやろうとして」


「おまえ、人がせっかく……」


 心配してやってるのに、と言おうとしたのだが、アルカの目を見て思いとどまった。アルカの気持ちは痛いほどわかる。多くの試練を乗り越えながらここまで一緒にやってきたのに、百年寄り添ってきた仲間なのに、という裏切られたような想いから、要らぬ心配を押し売りしようとするタイマへの反発心に至るまで。


 だが、今度ばかりはどうしても譲れないのだ。


 OS1を使ってイサと二人がかりでハッキングしてもなお手出しできなかったPDAコーポレーションのDゲートを、外から崩すことができたとは思えない。つまり消去法で行くとDゲートを解いたのはPDAコーポレーションそのものなはずだ。


 防御を捨て、わざわざ踏み込まれる危険を冒してまでDゲートを解いたということは、反撃して攻勢に出るという意思の表れなのかもしれない。それも、PDAコーポレーションにはミハイルがいる。ただ単に危険な目に遭ってDゲートを使う羽目になるというのならばともかく、ミハイルの持つ銃によって放射能汚染を受けてしまうようなことがあれば、もしPDAコーポレーションの目的を阻んだところで、その後現実世界で順風満帆な人生を送るというわけにはいかなくなるだろう。アルカをそんな目に遭わせるわけにはいかない。


 おおむねそのようなことを訴えかけると、アルカは目を落とした。


「でもそれはタイマたちだって同じことじゃない。私だって心配なのに……」


 よし。あと一押しだな。


「今まで何度もこういうやりとりを繰り返してきたが、俺が帰ってこなかったことはあったか? なかったろ? だから今度も大丈夫だって。俺を信じろ」


 ここでアルカがふうっと息を吐くと、やれやれとばかりに肩をすくめた。


「よくそんなセリフを真顔で吐けるよね。まあいいわ、今回は私が折れてあげる。だけど、くれぐれも無茶はしないでね」


「おう、任せろ」


 よかった、アルカが納得してくれた。説得でも議論でも、常にしつこい方が勝つのである。タイマは親から受け継いだしつこさに感謝して、ひとつ満足げに頷いた。


《チルドレン》が開いた、外へ続くハッチへと向かう。意気揚々と外へ出ようとするにあたり、タイマはひとつ思いついたことがあって振り返った。


「《チルドレン》の皆さん。念のため、何人か残ってアルカを護衛してくれませんか。危険がないようにと思って残しているのに、もしものことがあってはいけない」



 外に出ると、ロシアを横断するのに使ったのと似た型のトレーラーが待っており、その出入り口のそばで、デイタが手招きをしていた。


 そばに駆け寄ると、デイタは宇宙船から出てきたのがタイマと数人の《チルドレン》だけであることを不思議がったが、タイマが説明するとすぐに納得してくれた。


「ひとしきり再会を喜び合いたいところだが」デイタの顔はほころんでいはしたが、真剣な表情もまた失われてはいなかった。「そんな暇もない。僕は今、奴らがDゲートを復旧させる前に、なるべく多くの人々を内側に誘導しているところだ」


 見ると、トレーラーの後方から、大勢の人々がこちらに向かって続々と行進してきている。走るのを禁じたのは多分デイタだろう。やるもんだなあ、とタイマは思う。将棋倒しを起こすこともなく、茶髪の女を先頭にして統率の取れた状態でゆっくりと押し寄せてくる人の群れには、畏怖すら感じる。


「とりあえず乗ってくれ」デイタが言った。「このまま、PDAコーポレーションの正面玄関まで向かう」


 こちらへの害意はないとはいえ、何万という人々が迫り来るという状況も居心地が悪かったので、タイマはそれを聞くなりすぐにトレーラーに乗り込んだ。《チルドレン》もそれに続いた。


 席に着こうとしたところでタイマは微かに違和感を抱き、乗り込んだ面々を見回した。


「待った!」ある事態に気付いて、タイマは慌ててデイタに声をかけた。「一人足りない」


「何だって?」


 デイタはその言葉に困惑し、出入り口から身体を乗り出して外を見回し、そしてすぐに閉めてタイマに向き直った。


「外には特に誰も残っていないが」


「しかし……イサが乗ってないんだ」


「イサ? 誰だいそれは」デイタは眉をひそめた。「いいかい、本当に僕たちは急がなくちゃならないんだ。突然行方をくらますような人物をのんびり待ってなんていられない。わかるね?」


 あの神出鬼没女め、最後の最後まで身勝手に振る舞いやがって、と、タイマは苦々しげに頷いた。そこでデイタは運転手にゴーサインを出した。


 いいさ。何もかも終わったら、きっともう一度ひょっこり現れることだろう。

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