第四章-41



「そうだな。日本ではデータ化賛成派が打ち壊しや焼き打ちを始めたらしい」


 今は周りの人々が皆反対派であるせいか、賛成派なんていないような気がし始めていたアルカにとって、そのニュースは衝撃的だった。


「ひどい。今は近世じゃないのに」


「本当だよ。全く、何だってそんなことをするのか」リューは日本大統領として他人事と構えられないようで、頭に手を当ててため息をついた。「ただ……いいところもある。賛成派が過激な行動をすればするほど、中間層の支持は得られにくくなるからな。結果的に反対派の増加に繋がる」


「反対派は今何を?」


「小規模の団体がいくつか東京入りして、デモを開始しているようだ。ただ、東京は遺棄都市だからな。小規模活動では移動や食料の供給もままならないだろう。だから、現在俺は政府に指示を出して、活動団体の統合と非公式の支援を行わせている」


 アルカが頷きながら聞いていると、リューの隣に座ってPDAでメールのやりとりをしていた若い男が口を挟んできた。イギリス大統領のベスだ。


「イギリスでは何とか暴動も下火になってきたようだ。しかし、しばらくイギリスやEUのことばかりを気にしていたもので、他国の情勢にはめっきり疎くなってしまったよ」


「いつだって、マクロな視点は確保しておくべきです」リューはベスの方をちらりと見て、それからチョコレートケーキを口に運んだ。「現在、EUは多くの代表者を失ったことでまだ混乱状態にある様子。あの騒ぎを無事に逃れたスウェーデンのエリク大統領――貴方と一緒にEU代表を務めた男ですね――が臨時的にEUを取り纏めているようですが、正直彼には荷が重い。このままでは、ヨーロッパに特に多い賛成派の制御に手間取ることになるでしょうね。ベス、あなたのサポートも必要になる場面が来るかと思われます。


 世界を見てみると、東アジア、ロシア及び南北アメリカでは、反対派が賛成派を凌駕し始めたとのことです。ただ、これは賛成派がどんどんDゲートを利用しているからである可能性が高く、一概に喜ぶべきであるとは言えません。南アジアやアフリカ連合では、逆に賛成派が凌駕し始めています。お祭り好きや財産蓄積指向の強い人々が多いということなのかもしれないですね」


「国民性も問題になるわけか。日本はどうせ、どっちつかずの中間層が多いんだろう?」


「全くもってその通りです」


「日本人は流されやすいというし、タイマがうまくやってくれたら中間層を反対派に近づけることは可能だろうね」


「ええ、必ず」


「ところで、デモを行うための委員会の設置と資金の獲得は上手くいっているのかい」


「前者については、そういう委員会が乱立するのを防ぐために現在部下たちが尽力中です。後者は、おそらくなんとかなるでしょう。Pネットに入ることで既得権益を失うのを恐れない金持ちはいませんから、快く資金提供に応じてくれる方も多くいらっしゃるでしょう。もし十分な資金が集まらなければ国庫を開放するなり銀行をどうにかして動かすなりするしかないでしょうが、そうなると国民の反感を必要以上に買うことになってしまうので、なるべくなら避けたいところです」


「確かにそれは問題だね。事態を重く見ていない国民にとっては、我々が急に金を使い出したら国民の財産を散財しているとしか思われないだろう。下手したら支持率が急落して、政府に反感を持つ国民が天の邪鬼を起こし、賛成派に回ってしまう恐れもある」


「個人の意思がばらばらなせいで、本来できうるはずのどれだけのことができなくなっているかと考えると、頭が痛くなりそうですよ」


「それをどうにかして成し遂げ、人類の敵に打ち克ってみせよ、という神の試練なのかもしれないな」


 決して冗談を言っている口調ではなかった。ベスがあらぬ方向を指さしたので、アルカがそちらに目をやると、地球で見るときよりも遥かにくっきりと月と星空が見渡せた。アルカがはっとしてベスと顔を見合わせると、彼は爽やかな笑顔でこう言った。


「ところでお嬢さん。お腹がすいて死にそうなんだが、僕はいつまでリューと話していればいいんだい?」



 無事に会議室の隅々まで昼食を行き渡らせたアルカは、その足でタイマの部屋へと向かった。ワゴンには料理がちょうど二人分残っていた。タイマと一緒に星空でも見ながら食べようと思うだけで心がときめいた。


 小刻みに扉を叩く。それからしばらく待ったが、部屋の中からは物音ひとつしない。中から鍵がかかっているので、外に出ているということもないだろう。


「ごはんだってば。せめて受け取ってよ、タイマ」


「フランス料理だよー」


「私が作ったチョコレートケーキもついてるよー」


 なかなか扉が開く様子はない。ひょっとして何かひどく集中を要する仕事をしている最中なのだろうか、そうだったら悪いな、とは思う。しかし、せっかくケーキを作ったのだから諦めたくはないという想いもまた切実だった。


 根気強く待っているうちに、アルカの脳内である不安が頭をもたげてきた。ひょっとすると、ミハイルは《チルドレン》に紛れて宇宙ステーションにまで潜入していたのかもしれない。そして、闇に紛れて部屋に忍び込んだミハイルはタイマを……。


 その可能性に思い当たると、アルカはいてもたってもいられなくなった。とりあえずリューに助けを求めるべく廊下を駆け抜ける。会議室に繋がる角を曲がると、予想外なことにそこにリューが立っていた。こちらに背を向けている。話し相手はナギサだった。


「……貴女は自分が何を言っているかわかっているのですか」


「自分の私有財産を全て貴方に贈与すると言っているのです。簡単なことではありませんか」


「全財産を人にやるだなんて、どうかしてますよ。贈与税だって馬鹿にならないのに。いや、そんなことを言いたいのではないのですが。ほら、全てが終わった後でどうやって暮らしていくつもりなんですか。金の切れ目が縁の切れ目と言いますし、現在はあなたに忠義を尽くしている《チルドレン》だって、言わせてもらえば……」


「それでも私は……」


 なんとなく耳に入れていた会話の内容にも興味はあったのだが、タイマに危機が迫っているかもしれない現状では些末な事柄に過ぎない。アルカはリューとナギサの間に飛び込んで会話を中断させた。


「タイマが大変なの」アルカがリューの肩を掴んで騒ぐ。「ミハイルが……」


 リューはそこまで聞いただけで、血相を変えてすっ飛んでいった。アルカはナギサと顔を見合わせると、その後を追って走り出した。


 タイマの部屋の前にたどり着くと、リューが扉に鋭い蹴りを入れているところだった。


「旧式の鍵の壊し方は、昔警察にいた頃学んだことがある。ドアノブの下の部分についているはずの錠だけを壊せばいいんだ」


 その顔があまりに真剣だったので、アルカには自分が言ったことがただの推測でしかないとは言い出せなかった。仕方なく、ナギサとともに息をのんでリューを見守る。


 五回目の蹴りで、扉が騒々しい音を立てて内向きに開いた。


「ナギサさん、備品を壊すような真似をしたことは謝ります」


 手短にそう詫びると、リューは即座に部屋の中に飛び込んだ。すぐに中から狼狽した声が聞こえてきた。間違いなくタイマの声だった。


「いきなり何なんだ。いくら飯だからって扉を蹴破ることはないだろう」


「無事だったのね」


 アルカは胸を撫で下ろして、ナギサと一緒に部屋に踏み込んだ。ところが、アルカは部屋の中で妙なものを見ることになる。


 アルカが一度も会ったことのない、軌道エレベータのかごの中には絶対に紛れていなかったはずの、ゴシックファッションに身を包んだ銀色の髪の女が、タイマの部屋のソファに座っているのだった。


 謎の女は、笑いをこらえた様子で俯いたまま、あっけにとられているリュー、アルカ、ナギサの方に向かって右手を挙げた。


「こんにちは、皆さん」


 何が面白いのか、言い終えるより先に女は俯いて左手で口元を押さえ、肩を震わせ始めた。しばらくの間、女だけが笑い続け、他の四人の間には身を動かすのも憚られるような寒々しい空気が流れた。

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