第一章-6

「起きろ、いや、起きてくれ、タイマ」


 気がつくと、タイマの肩を誰かが掴んでゆさゆさと揺さぶっていた。目を開けると、前にはリューが立っていた。だが眠気は収まらず、タイマは再び目を閉じた。こうしていると、何だか実に気持ちがいい。眠りというのは全くの時間の無駄だとこれまで思ってきたが、この気分を味わえるのなら、「全くの」と形容するわけにもいかないと思った。ただ、一回につき七時間も八時間も消費するというのはいただけないということで、時間の無駄という評価を覆すには至らないのだが。


「起きてくれと言ってるだろう。起きないか。着いたぞ」


 着いたぞ、という言葉に反応して、タイマは仕方なくリューの手を振り払い、立ち上がった。隣にデイタとアルカはいない。シャークも車の中から姿を消していた。


 リューは口を真一文字に結んでタイマを見ていた。それを無視して、外の様子を映し出して確認しようと壁に手を伸ばすと、リューがその手を押さえた。


「外に降りればいいだけのことだろう」


 タイマは舌打ちしかけたが、にわかには信じがたいようなことに気がついて、ごくりと唾を飲んだ。


「おまえ、震えてるのか」


 そう言うと、リューは頬を紅潮させてタイマをおっかない顔で睨むと、タイマの腕から手を離した。少しして冷静に戻ったのか、表情を取り繕うと、タイマをせかしにかかった。


「黙れ。さっさと降りろ。シャークはとっくに他の二人を自分の家へ連れて行ったぞ」


 言われなくてもそのつもりだった。タイマはトレーラー前面に歩いて、開け放たれた入り口から外へと飛び降りた。


 始めに目に飛び込んできたのは、コンクリートの道路の上にところどころ生えた雑草だった。おずおずと見回すと、そこは住宅街だった。いくつもの建物が、トレーラーを駐めた通りに沿って建ち並んでいる。異様な光景だった。ひとつの例外もなく、それらの建物は灰色で壁がぼろぼろに崩れかけていた。人っ子一人いない通りは全くの無音だった。生えているのは雑草ばかりで、木も立っていなければ花も咲いていない。


「ここは……どこだ?」


 かすれた声しか出なかったにもかかわらず、タイマの言葉は妙に通った。答えを聞くのが怖くて、リューが答えるそぶりを見せると、思わず一歩下がってしまった。それだけで、風化したコンクリートの欠片が舞い上がり、乾ききった空気に散った。


「目の前にあるのがおまえの家だ」


 リューは重々しく、それだけを言った。タイマは落ち着こうと深呼吸した。そして、記憶を探り、六十七年前に別れを告げた家を思い返し、目の前に見えているものと照らし合わせた。石綿がむきだしになったような質感をしたこの屋根は、あのペンキで青く塗られていた屋根と同じかどうか、確証が持てない。壁は? コンクリートに覆われた庭は? 建物のどこを見ても、昔暮らしていたあの家と確実に結びつけられるような部分はなかった。そう言うと、リューは軽く頷いた。


「まあ、元から画一的に作られた家ではあるしな。そうじゃないかと思っていた。だから、扉を開けて中を見てほしい」


「おまえは、勝手に中に入ったのか」


「いいや。鍵がまだ生きているらしくてな。まあ、その気になればもはや人の住まない家のこんな扉くらい破れないこともないが、いつかおまえの手で開けてもらいたかった」


 その言葉を聞いて、タイマは一歩踏み出した。この家が本当に昔の自分の家だとすれば、取っ手の上についたパネルに指紋を押しつければロックが解除されるはずだ。リューが期待してついてくる。タイミングを見計らって、タイマは振り返ってリューと向かい合った。


「おまえは、この家に入るのが目的で俺をここに連れてきたのか」


「そうだとしたらどうだ」少し遅れて、リューが低い声で返してきた。「俺を中に入れないか」


「俺としては、おまえがこの家に入ろうが入るまいがどうだっていい。だが、ひとつだけ訊きたいことがある」


「何を訊かれるか予想する必要もないくらいだが、質問を聞こう」


「何でこの住宅街はこんなありさまになったんだ。それに、郊外だとはいえ、世界の中心だったはずの東京にあんな草原が広がっていた理由についても教えろ。まさかとは思うが……」


「そうだ。核爆弾だよ、タイマ」


 タイマはその言葉を聞いて雷に打たれたように立ちすくんだ。そして、気がついたときには、リューの襟首をがばっと両手で掴んでいた。怒りに身を任せて、リューに詰め寄る。


「おまえたちは、どうしようもない。救いようのないバカどもだ。俺がどうしてそんな奴らのために……」


「離せ。俺がやったんじゃない」


 タイマはリューの口調に静かな怒りが籠もっているのに気付くと、ぱっと手を離した。確かに、核爆弾が東京に落とされたのだとしても、それはリューのせいではないことは確かだ。冷静さを欠いたことを謝ろうとしたところへ、リューの拳がタイマの頬に叩き込まれた。


 何が何だかわからないまま視界が目まぐるしく移り変わり、気が付くとタイマはコンクリートの壁に手をついて身体を支えていた。自然と呼吸が荒くなる。痛みは後からやってきた。折れたり出血したりはしていなかったものの、顔にじんじんと響く六十七年ぶりの痛みはひどくこたえた。情けないことに、涙が出てくる。こんなところに来て何をやっているんだ俺は、という気分になった。そこに手を差し伸べられた。その手を取るため、壁についていない方の腕を上げる途中、Aスーツの袖でこっそり涙をぬぐった。


「悪いな。だが、原因はおまえにある」リューは冷たい口調でそう言った。「さあ、扉を開けてもらおうか。そうしたら、もっと詳しいことを話してやる」



 タイマが指紋認証システムのパネルに触れると、ピッという電子音が鳴って、扉の鍵は無事開いた。何十年も放置された上、コンクリートでさえところどころ崩れるほどの爆風を受けているのにもかかわらず、不気味なほど安定した動作だ。


 扉の取っ手は爆風にそぎ落とされたのか、大部分がどこかへ消失していたが、付け根の部分だけでも残っていれば開けることはできる。取っ手の付け根をその手に掴んだ時は、流石に感情の昂ぶりを覚えた。ぐるりと回して、一気に引く。


 廊下を覗き込むと、一瞬、ほんの一瞬だけ、この家で両親と仲良く暮らしていた頃に戻ったように錯覚した。


 元々廊下には瓦礫に変化しうるような家具など置いていなかったし、廊下部分の壁のコンクリートはほぼ完全に残っていたので、見える光景に予想したほどの変化はない。ただ、Pネットの壁や天井と同じく、青いメタリックな外観を呈していたはずのコンクリートは真っ白に脱色していた。これが経年劣化のせいなのか、あるいは核爆弾とやらの熱線に焼かれたせいなのか、タイマには判別できない。


 二人の履いている靴はAスーツの延長であり、その性質上汚れが付くことはないので、もとより土足で上がるのに抵抗はない。二人はそのまま短い廊下を少し歩き、リビングの扉を開けた。


 ガラスの残っていない窓から光が差し込んで、リビング全体を照らし出していた。


 廊下と違って、リビングの中は瓦礫の山だった。家具から小物にまで至る、いわゆる生活用品はことごとく瓦礫となって散らばるか消失するかしているようだ。Dゲートを使うと決めた日に全ての未練を捨て去ったつもりでいたが、思い出の品の多くがことごとく失われているのを目にするのはやはりショックだった。リューの顔にも僅かに気の毒そうな表情が浮かんだが、すぐに口元をきりっと引き締めた。


「タイマ、この家に地下室はあったか」


「そういえば、食料品の貯蔵庫があったな」


「後でそこを調査させてくれ。PDA関係の技術者だった君の父親が何か残していないか気になっていたんだ。地下ならば破壊を免れている可能性が高いからな」


 「それが目当てだったってわけか」


 タイマは父親が食料品の貯蔵庫なんかにわざわざ何かを残しているという蓋然性について考えてみた。頭の中ではまさかそんなことはあるまいという結論がすぐに出たが、まあ好きで調べたいと言っているのだから勝手にすればよかろう。


「わかった。だが、その前にこの状況が起こった原因について、全て説明しろ」


「了解した」


 リューはかつて食器棚か何かだったであろう瓦礫の上に腰を下ろしたので、タイマもそれに倣った。リューは老人が昔を懐かしむような口調で話し始めた。ただコンテンツを消費するだけの年月を送ってきたタイマは、そんな口調ができるリューが少しだけうらやましく思い、それから、そう感じた自分自身に驚いた。


「あれは四十年前だから、包括的核放棄条約が締結され、おまえがPネットに永住して二十七年」リューはどうでもいいことだと言いたげな様子でそう口にし、それから間を空けて、「Dゲートが一方通行になって三ヶ月後のことだった」


 タイマはその頃の世界情勢を見たことがなかったが、何となく想像はついた。引き離された家族、倉庫代わりに利用していたPネットから取り出せなくなった生活用品や貴重品。人口の激減。もはや帰ってくる見込みのない者の財産を誰がどう処遇するか。ありとあらゆる問題が持ち上がり、世界は混乱の極みにあったに違いない。


「そんなとき、突然空からミサイルが降ってきた。標的は、PDAコーポレーション。あらゆる混乱の根源といえる存在だ。そして、ミサイルが搭載していた水爆は、その百メートル上空で、大爆発を起こした」


「……!」

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