第17話 自分のことは、大事にしてくださいね

「……お嬢様」

 感情をどうにか噛み殺したような低い声とともに、ルティアナはマコトに手を引かれた。

「髪、整えましょう」

「……ああ、そうね」

 何も考えずに切り捨てたルティアナの黒髪は、長さもバラバラでひどい有様だ。

 フランツにさっさといけという目もあったので、マコトは足早に隣の部屋へとルティアナを連れて行く。

 怒りを堪えているような悔しそうな表情で、マコトは黙り込んでいた。口うるさいとまではいかなくとも、ここまで口数が少なくなるとルティアナも気になる。

「……マコト、怒ってるの?」

「怒ってます」

 即答だった。

 マコトが本気で怒っているらしい、ということはルティアナにも伝わる。

 でも、とルティアナは口を開いた。せめてもの抵抗だ。

「髪なんてすぐ伸びるじゃない」

「そういう問題じゃありません。……綺麗な髪だったのに」

 ルティアナの髪の手入れをしていたのはマコトだ。いつも丁寧に梳り、香油を塗って、痛まないようにと心を尽くしてきた。

 ルティアナにとっては、髪なんてどうでもいいもの。

 ルティアナは生まれてからずっと、この黒髪によって様々な目で見られてきた。悪意を持つ者のほうが珍しく、たいていはルティアナがまるで聖女であるかのように、崇拝するような眼差しを向けられた。

 それは、ルティアナにとっては時に恐怖にもなった。

 マコトと出会う、少し前のことだ。

 侍女の一人に、ルティアナの黒髪をいつも褒める者がいた。それだけなら、いつものことだとルティアナも気にはしなかっただろう。

 彼女はルティアナの髪の手入れを任されるようになり、まるで心酔するかのようにその仕事に没頭した。

『お嬢様。お嬢様の髪は本当に素晴らしいものですね。きっとお嬢様は、神様が遣わした特別な方なんです』

 侍女は、ルティアナの黒髪に執着しているといっても過言ではなかった。

 まだ幼いルティアナは、その執着を受け止めることもできなかったし、受け流すこともできなかった。

 ある日ルティアナは彼女に触れられることを拒んで泣き出した。その一件で両親も侍女の執着に気づき、侍女は紹介状を手に他の貴族の屋敷で働くことになったらしい。

 一番恐ろしかったのは、ルティアナの感じる恐怖をルティアナが泣き出すまで誰も気づかなかったことだった。


 それ以来、ルティアナは他人に髪に触れられるのが苦手だ。

 そのことを知ったマコトが、髪の手入れをしてくれるようになってほっとしているくらいに。おかげで今ではだいぶマシになったし、マコト以外の者に髪を結ってもらうこともある。


 握りしめたままの、切り捨てた自分の髪の束を見て、ルティアナは少し申し訳なくなる。

 マコトが綺麗だと、大切にしてきてくれたものを怒りに任せて切り捨ててしまった。

「……ごめんなさい」

「お嬢様の髪ですから、俺に謝る必要はないんですけど……でも、自分のことは、大事にしてくださいね」

 ルティアナは自分のことを軽視しすぎるところがある。本来の彼女は、どんな危険からも遠ざけられ大事に大事に守られて生きていく立場の人だ。

 それだというのに、ルティアナという人は自ら籠を壊して出てきてしまう。他の人に手を差し伸べることに躊躇いがないくせに、誰かに助けを求めるのは下手で。

「……マコトは髪は長いほうが好き?」

「どちらでもかまいませんけど……でも、長いほうがいいです。お嬢様の髪は綺麗ですから」

 また綺麗だと言われたことに、ルティアナはひっそりと笑を零した。

「マコトの髪のほうがわたしは好きよ」

「黒髪だからですか?」

「まさか。わたしが黒髪が好きじゃないの、知ってるでしょ。マコトならどんな髪の色でもきっと好きよ」

 そうですか、とマコトは少し恥ずかしそうに笑ってルティアナを椅子に座らせる。バラバラになった髪を櫛で梳くと、はらりはらりと名残のように切り残った髪が落ちていく。

「切った髪は、屋敷に送って鬘にしてもらいましょう。今後必要になるでしょう?」

 パーティなどに最低限しか出席しないとはいえ、この髪の長さでは人前に出ることはできない。

 マコトの提案にルティアナは「あら」と目を丸くする。

「魔物に髪を切られたんだから名誉の負傷みたいなものよ。このままでもいいんじゃない?」

「自分で切ったくせに……」

 何が名誉の負傷ですか、とマコトは呆れたように呟いた。

 しゃき、しゃき、とマコトが一番短いところに合わせてルティアナの髪を整えていく。ショートカットとまではいかないが、肩にはまったく届かない長さになってしまった。

 それほど時間もかからずに、ルティアナの髪は同じ長さに揃えられた。

「短いのは楽でいいわね。頭が軽いわ」

「令嬢としてはありえないレベルの短さですけどね」

 髪の長さでおしゃれを楽しむ、という文化がないわけではないが、それでももっとも短くてセミロング程度だろう。

 肩に届かないほどの長さは結い上げることも難しくなるので一般的には好まれず、髪が長くうつくしいのは富の象徴として好まれている。

「ちょうどいいじゃない。わたしはもともと令嬢としては規格外でしょうから」

「……自覚あったんですね」




 ルティアナの部屋には旅の一行以外は誰も残っていなかった。ラウゼン伯爵やエキドナの姿はない。

 さっぱりと短い髪になったルティアナを改めて見て、フランツはため息を吐きだしたしギルベルトは笑いをかみ殺しているし、リヒトは理解できないと眉を顰めている。ゼストだけが痛ましそうにしていた。

「あら、荷物を片付けてくださいましたの?」

「薬草だけだ。他は手をつけていない」

「他のものに触れていたら王子の品位を疑いますわね」

 レディの私物に、とルティアナは笑う。散らばっていた薬草はルティアナの私物とはいえノーカウントだ。

「すぐ出立するのでしょう?」

「おまえのせいでな。宿屋をとって一泊する」

「だーから最初から宿屋にすりゃよかったんだよ」

 そのほうが無駄に疲れることも僻まれることも、ルティアナの髪が短くなることもなかった、とギルベルトが愚痴る。

「過ぎたことをぐちぐち言う男は狭量で嫌ですわね」

「姫さんは男前すぎるだろ」

「……褒め言葉として受け取っておきますわ?」

 喧嘩売っているのなら買いますけど? とでも言いたげなルティアナの笑顔に、ギルベルトは白旗を上げた。あのルティアナを見たあとでは、当然彼女を敵にしたくない。

「あなたがたももう少し女性のあしらい方を覚えるべきですわね。……特に王子は」

「なんでだ。邪険にしたわけではないぞ」

 邪険にするしないではなく、なあなあにして曖昧にエキドナの誘いをかわした上、話題にルティアナを出すからいけない。

 そのあたりをわかっていないのだから、フランツは恋愛における駆け引きというものが得意ではないんだろう。

「嫉妬の的にされるわたしの身になっていただきたいものですわね。希望をもたせるのは時に残酷です」

 ましてフランツは第二王子だ。誰もが狙う玉の輿なのだから、エキドナの目の色も変わるというものだろう。

「正論ですね」

「まぁなぁ」

 リヒトとギルベルトも頷くので、フランツは釈然としない顔で

「なんで俺が悪いことになってるんだ……」

 と小さく呟いていた。


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