第46話 忠告は今頃効いてきた?

 宿屋の一階はたいていが酒場兼食堂になっている。

 治安があまりよくないという話のとおり、まだ日が暮れたばかりの時間から既に出来上がっている酔っ払いは多い。

 そういう連中から女性二人をガードするためにも、宿に入ってすぐに奥の場所を確保してもらう。

 アカリとルティアナはいつも並んで座るし、ルティアナのか隣にはいつも当然と言わんばかりにマコトが座っていた。

 周囲から一番見える場所にはギルベルト、あとはその時その時だが、おおよそアカリの隣はフランツだった。本人たちもおそらくなんとなく、としか答えないだろう、無意識のうちの行動に違いなかった。

「ゼストくんもこっちに座りなよ。危ないし隣においで」

 しかし今夜は違った。アカリはゼストを隣に呼び寄せて、にこにこと笑っている。

 確かにルティアナやアカリ以外にも、まだ少年であるゼストは極力奥にいたほうがいいだろうが。

「え、えーと……?」

「ほら早く早く」

 アカリはぐいぐいと強引にゼストを隣に座らせて、大皿に盛られた料理を取り分ける。少食のゼストには多すぎるのだが、アカリはおかまいなしだ。

 治安が悪いことを考えれば、違和感はないことなのかもしれない。フランツも何も言わずにリヒトの隣に座って食事をとっている。

 けれどルティアナは、明らかな変化を感じ取っていた。


 それから、アカリは遠回しにフランツを避けているようだった。

 日常的な会話はするし、仲違いしたわけでもない。ただ今まで自然と一緒にいたはずなのに、今は距離がある。

 馬車の中でも並んで座ることがなく、アカリはルティアナだったりゼストだったりとにかくフランツ以外と一緒にいた。


「……忠告は今頃効いてきた?」

 いつもの通り、アカリがマコトの助手として夕飯作りを手伝っていると、マコトが苦笑いで問いかけてきた。

「……気持ちは変わってないよ。後悔はあとでする」

「でも、避けてる人がいるでしょ」

「王子はダメなんだ。あんまり傍にいると、好きになっちゃいそうだから」

 困ったように笑って、アカリはマコトに調味料を渡した。マコトは何も言わずに受け取って、鍋の中の味を確認しながら調味料を足していく。

「マコトさんと恋に落ちて、二人で仲良く帰るって展開だったら、文句なしのハッピーエンドだったのにね」

 アカリの言葉に、マコトはくすりと笑った。冗談だとわかるからこそ、笑って聞き流せる。

 そんな未来はありえない。

 マコトにとっても、アカリにとっても。

「そんな気もないくせに、そういうこと言ったらダメでしょ」

 くしゃりとマコトがアカリの頭を撫でる。ぐしゃぐしゃと少し乱暴に撫でられ、アカリは少し泣きそうになった。

「……どうしてこう、ままならないのかなぁ……」

 アカリは小さな声でそう呟いて、落ちそうになった涙をごしごしと袖で乱暴に拭う。


 ――好きになっちゃいそうだから。


 でも、もうとっくに恋しているように見えるよ、とはマコトの口からはとても言えなかった。



 三つ目の神殿に到着すると、一行は一様に顔を顰めた。

 神殿の入り口には、おそらくこの神殿に属するであろう神官全員がいるのではないかと思われる数の神官がずらりと立ち塞がり、それぞれ警戒心を剥き出しにしている。

「……どういうつもりだ」

「大神官様はお嘆きです。そして我々に、聖女さまの保護を求めておられる」

 中心に立っていた一人が、フランツをまっすぐに見据えて告げた。

「聖女の保護? なぜ?」

 フランツは無表情で問い返す。教会にアカリを渡すことのほうが、一行にしてみれば危険だと思える。

「そこにいるのはアークライト家の娘でしょう! 先代聖女を奪い去り無理やり結婚までした、罪深い一族ですぞ!」

「……おもしろい解釈をなさるのねぇ?」

 ルティアナの冷笑に、神官たちは一瞬怯んだ。

 なるほど、神官たちのなかにはそんな考えの者もいるらしい。おそらくこの神殿に所属している神官の大半がそうなのだろう。

 アークライト家は先代聖女を無理やり囲ったと。自分たちのやったことは棚に上げているのか、それとも知らないのか。

 アカリは一歩踏み出した。神官たちと対面していたフランツよりも前に、そして一度も歩みを止めることなく。

「どいてくれる?」

 立ち塞がる神官たちを前に、アカリは恐れも見せずに告げた。

 聖女だ、聖女様だ、とざわつく彼らを、アカリは冷ややかに見つめた。

「聞こえなかった? どいてって言ってるの。こんなところで時間を無駄にしてられないんだよね」

 早く、早く、とアカリの心は焦っていた。

 聖具を集めて、役目を終えなければ。

 そうしなければ、胸の奥にあるこの思いは、いつか恋になってしまう。

「そういうわけには参りません! 我々は……」

「神官さまがあたしの邪魔するの? 今こうしている間にも、魔物って暴れてるんじゃないの?」

 本来ならば聖女を支援するべき神官たちが、その旅の妨害をするなんてあってはならない。アカリの強い言動に神官たちはざわめいて、明らかに怯んだ。

「どいて。邪魔しないで」

 仏の顔も三度までだ。アカリは黒い瞳で神官たちを睨みつける。

 波が引いていくように、アカリの前に立ち塞がっていた神官たちが引いていく。

 アカリはそのまま、神殿に入った。

「アカリ!」

 フランツの慌てるような声がするが、聞こえないフリをして進む。フランツはきっと驚いているだろう。だってアカリは、今まで彼に励まされてようやく役目を果たしていたのだから。


 三つ目の神殿にあるのは鏡だ。

 木箱の中に眠るように納められていたそれは、アカリのよく知る手鏡などではない。教科書で見る銅鏡のようなものだった。


 無事に聖具を手にしたアカリを見て、神官たちは苦々しい表情で一行を見送った。

「随分とうちは教会に嫌われているのね」

 ルティアナが呆れたように言葉を漏らし、マコトは苦笑する。

 馬車に乗り込もうとするアカリの腕を、フランツが掴んだ。くん、とバランスを崩しかけるが、アカリはどうにか踏ん張った。

「……おまえ、俺のこと避けてないか?」

 振り返ったアカリの目に入ったのは、困惑するフランツの顔だった。

「なんで? 別に避けてないよ。王子の勘違いじゃない?」

「嘘つけ」

「嘘ついてどうすんの」

 アカリがきっぱり言い返すと、フランツも勘違いだっただろうか、という気分になってくる。こうして話しかけて、拒まれたことは一度もない。

 しかしフランツはアカリの腕を離さない。そんな姿に、アカリは苦笑した。

「あー……でもさ、王子はあんまり女の子に優しくしすぎないほうがいうよ。勘違いされちゃうよ?」

 そこらへんの女子高生なんて――この世界においてはそこらへんにはいないのだろうけれど――イケメンに優しくされただけでコロッと惚れてしまうものなのだ。

「……別におまえに勘違いされるのは問題ない」

 フランツは言うことを躊躇いながらも、まっすぐにアカリを見つめて告げる。その表情に、アカリは泣きたくなりながら顔を歪める。


 ――ほらダメだよ。それじゃあ、あたしを好きって言ってるみたいだ。


 アカリは自分の腕を掴むフランツの手に、もう一方の手を重ねた。

「王子はさ、異世界から来た女の子が物珍しいだけだよ。それは興味かもしれないけど、恋じゃない。……間違えちゃダメだよ」

 まるで諭すように、アカリはフランツに微笑んだ。

 だって、もしアカリがこの世界に生まれていて、ごく普通の出会い方をしたいたとして。フランツはアカリに興味なんて抱かないはずだ。いや、そもそも出会うことすらないだろう。

 王子様にふさわしいのは、お姫様だ。間違っても、異世界の女子高生じゃない。

「……なんでおまえに、そんなこと決めつけられなきゃいけない」

 ぐいっと、さらに強く腕を引かれる。キスされるんじゃないか、というくらいの至近距離にフランツの顔があって、アカリは動揺した。


「俺が誰を思おうと、誰を愛そうと、それは俺の意思だ」

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