第22話 来たれ聖なる乙女
聖女を召喚するのは教会の神官たちだ。
召喚そのものは魔術師にも可能なのだろうが、聖女召喚の儀だけは神官がやるのが古くからの習わしらしい。
召喚の儀は王都にある大神殿ではなく、王城の奥に秘された召喚の間が使われる。
召喚の間には許可された者しか入れない。召喚の儀を行う神官たちのほかは、旅の一行と、国王陛下、その護衛として将軍が入室を許可されている。
ルティアナの父であるアークライト公爵や、リヒトの父のカーライル公爵は召喚の間の外にある控えの間で待機していた。
「来たか」
フランツに似た面差しの、壮年の国王が最後にやってきた一行を見て小さく呟いた。
「ただいま戻りました、父上」
「ああ、ご苦労だった」
短い親子の会話のあとで、国王がルティアナを見る。ルティアナはお手本のような淑女の礼をとってみせた。
「……そなたにも、面倒をかけたな」
「面倒などではございませんわ、国王陛下。国のため、陛下のため、民のため、この身が役立つことは光栄なことです」
ルティアナの言葉に国王は目を細める。
シルヴィアによく似てきたな、と国王の口から出てきたルティアナの母の名前に、彼女は微笑み返す。
その会話のなかで他方から鋭い視線を感じたが、ルティアナはあえて無視した。召喚の儀を取り仕切る神官たちだ。
「お集まりいただき、ありがとうございます」
白の衣装に身を包んだ一人の男性が頭を下げる。大神官クレメンスだ。
クレメンスはまったく敵意を感じさせず、柔和な微笑みを浮かべていた。
「皆様は中央に近寄らず、壁際でお待ちください」
大神官の傍にいるのは一人の神官だった。トーマス、とクレメンスが小さく名を読んだのをルティアナは聞き逃さなかった。
広い召喚の間の床にはあちこちに鉱石をはめ込んであり、キラキラと輝いている。
それらがまるで魔法陣のように幾何学模様を描いていた。円を描くように神官たちが並ぶ。ルティアナたちは言われた通りに部屋の隅へと控え、壁に背を預けた。
「……いよいよ始まるんですか」
マコトの小さな呟きに、ルティアナは人差し指を口元に添えて「しぃ」と笑う。
「もう始まっているわ」
ルティアナが囁くように答えると、神官たちはすぅっと杖を掲げた。
――光あれ、幸あれ、まるでこの世の幸福を謳うような呪文が神官たちによって唱えられると、中央には光の柱が生まれる。
呪文が長く大きくなるにつれその柱は太くなっていった。眩しさで目を開けていることが難しくなってくる。
視界が光で埋め尽くされる中で、ルティアナはマコトに庇うように抱きしめられる。
目を細めて周囲を伺えば、将軍もまた国王を背に隠すように守っていた。さすがにこの状況下で物騒なことは起きないと思うけれど、と苦笑しながら過保護な従者に守られる。
「――来たれ聖なる乙女、我らが母、我らの導き手、この王国を救いたまえ」
最後と思われる呪文に、ルティアナは苦笑した。
何も知らない異世界の女性に、なんて重いものを背負わせるのだろう。この世界に、この国に、貢献する義務なんて何一つ持たない人に。
光の柱が徐々に小さくなると、その中に人影が浮かんだ。
足元の鉱石たちはまだ魔法に応えて反響するようにキラキラと輝いている。
光の柱は完全に消え失せることなく、淡い輝きを残してそのまま保たれていた。
その光の柱のむこうから、ルティアナと変わらない背丈の人影が姿を現した。
――黒い髪、黒い瞳。
きょとんとした顔で、ここがどこだか理解できないといった表情で立つ一人の少女が、そこにいた。
「聖女さま……!」
神官たちが感極まったように声をあげる。少女はびくり、と肩を震わせた。
「え? ……なにこれ? ここどこ?」
きょろきょろと周囲を見て、少女は呟いている。マコトはルティアナの肩を抱いたまま、少女を見て小さく「……制服」と声を漏らす。ルティアナにだけは、その声が聞き取れた。
「ようこそお越しくださいました、聖なる乙女。どうか、この国をお救いください」
大神官クレメンスが歩み出たと思うと、仰々しいくらいの動作で頭を垂れた。
ルティアナはその大神官や神官たちの演技がかった行動に眉を顰める。
――なんというか、胡散臭いのだ。
「あ、の……?」
明らかに戸惑っている少女相手に、矢継ぎ早にトーマスが言葉を紡いだ。まるで考える暇も与えないようにしているように見える。
「湯の準備が整っておりますゆえ、身を清められそれから――」
「突然知らない世界に放り出された少女になんの説明もなく、話を進めるのが教会のやり方なのかしら? だとしたら聖職者は随分と野蛮ですわね」
その様子に耐えかねたルティアナが口を開く。
ざわりと、波打つように神官たちがざわめいた。そんな様子など露ほども気にかけず、ルティアナはかつん、とヒールを鳴らした。
「それとも、目的は他にあるのかしら?」
首を傾げ、ルティアナは意味ありげに微笑んだ。トーマスがじっとりと睨み返してくる。大神官であるクレメンスは表情が動かない。何を考えているか読めない男だ。
「……とうとい儀式の邪魔はしないでいただきたい」
「召喚の儀は成功したわ。わたしは、あなた方の彼女に対する態度に疑問を投げかけているだけよ?」
「しかし!」
あくまで召喚の儀に関する主導権は握っていたいのだろう、トーマスは怒りを露わにしてルティアナに食いかかる。
「――ルティアナの言い分に一理ある。そこの神官は下がれ」
国王の低い声が割って入った。ぐ、とトーマスも黙るほかない。
「失礼致しました」
クレメンスは国王に従い、頭を下げている。その様子にトーマスはますます悔しげだったが、召喚された少女から離れた。
「余は国王、セリウスだ。……少女、名前はなんという」
国王は少女に歩み寄り、問いかける。その王としての迫力は少女の緊張をより一層強めているようだった。
「……ナガミネ、アカリ……です」
「ナガミネ」
「……陛下、おそらくナガミネが家名でアカリが名前だと思いますわ」
この国にはない響きの名は、マコトのものと似ている。ルティアナは無礼と思いつつも口を挟んだ。
「そうです、名前はアカリ、です」
聖女は――アカリは律儀に答えるがその黒い目は明らかに戸惑っていた。その様子に国王も苦笑する。
「……こう大人数で取り囲んではおびえさせる一方だな。――フランツ」
「はい」
「おまえたちで説明を。我々は一度外に出た方が良いだろう」
おまえたち、というのは旅に出た一行をさしているのだろう。大人に囲まれて説明を受けるより、年の近い者のほうが話しやすいだろうという国王の配慮だ。
「ねぇ……あなたは、ニホンジン?」
「え? え、はい、そうですけど……?」
ルティアナの問いに、アカリは戸惑いながらも頷いた。ルティアナはそう、とだけ返して微笑む。
「それでしたら、陛下」
「どうした」
「彼女への説明は、フランツ王子とわたしの従者にお任せくださいませ。わたしたち全員で囲んでも多いでしょうし」
旅の一行はルティアナ以外は男性だ。ギルベルトのように大柄な男がいても、リヒトのように無表情な男がいても怖がらせるだけだろう。
ルティアナの『わたしの従者』という言葉のせいだろうか、マコトに視線が集まった。
いや、この部屋に入ったときから神官たちは探るような目でずっとマコトを見ていた。
見事な黒髪と言われたルティアナよりもなお黒い――ちょうど召喚された聖女のような、黒髪の青年は何者なのだと。
「……その者は」
「わたしの従者ですが?」
クレメンスが聞きたいのはそんなことではないことくらい、ルティアナもわかっている。だがそれ以上聞いても答えない、とルティアナはわかりやすいくらいに牽制した。
国王はマコトが異世界からやってきたことを知っている。そしておそらく、この場の人間はそのことに気づき始めている。それで十分だ。
「お嬢様……」
「どちらのことも知っている人間がいたほうがいいでしょう?」
有無を言わさぬ微笑みで告げれば、マコトはしぶしぶといった様子で黙った。
――それに、とルティアナは微笑む。
「わたし、神官さまたちにお話がありますの」
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