第23話 それでもおまえが、聖女なんだ

 いつもと変わらぬ、なんてことない日だった。

「おかえり。早く着替えてきな」

 家に帰ると大学生の姉が既に帰ってきていて、返事をしながら階段をのぼった。

 自分の部屋は二階の角部屋。扉を開けて、荷物をベッドの上に放り出したところで、床が突然光り出した。

「……へ?」

 何が起きているのか把握する暇もなかった。

 光はあっという間に広がって、身体を包み込んできて。その眩しさに目を瞑る。

 そして、目を開けた時には。


 自分の部屋ではなくて、まったく知らない場所にいて、知らない人たちに囲まれていたのだ。



 アカリとマコト、そしてフランツだけになった召喚の間はやけに広く感じる。今はそれ以外には誰もいない。

「えーっと……それで?」

 アカリがため息をこぼしながら小さく呟いた。

「……自己紹介でもするか?」

 とりあえず、とフランツはマコトを見た。それもそうですね、とマコトが答える前に「はい」とアカリが手をあげる。

「あたしはナガミネアカリ。ナガミネが名字、アカリが名前。十六歳になった。ジョシコウセー。血液型はB型」

 自己紹介をしたアカリの、ジョシコウセー? という言葉にフランツは眉間に皺を寄せる。知らない言葉なのだろう。

 ああなるほど、こういうことも通じないんだよな、とマコトは実感しながら口を挟む。

「学生ってことです、王子。俺はマコト……スドウマコト。二十歳になった」

「……スドウ、マコト?」

 アカリが名前を聞くと、じっとマコトを見た。

 大勢でいたときには気づかなかったのだろう。マコトは、他の人々と明らかに顔つきが違う。黒い髪に黒い目、そして肌の色も――それらはアカリととてもよく似ているということに。

「……日本人だよ」

 アカリの疑問を感じ取ったマコトが、苦笑いを零した。

「え、じゃあなんでここに? あなたもあたしみたいに呼ばれたの?」

 アカリが日本人と分かると、途端にマコトに対する警戒心が消えた。呼ばれた、というアカリの問いに、まさか、とマコトはすぐに否定する。

「俺は召喚とかそんな仰々しい形で来たんじゃない。……迷い込んだんだよ」

 十年前、気づいたらこの世界にいた。訳も分からぬまま知らない男たちに捕まって、売られそうになっているということだけは分かった。

 不思議なことに、言葉は理解できたから。ちょうど、今のアカリのように。

 逃げようとしては何度も殴られ、食事を抜かれ、こんなところで死ぬのかと思った。


 ――あの日、ルティアナに出会うまで。


「俺はフランツだ。この国の第二王子、年は十八歳」

 一人取り残されかけていたフランツが会話に割って入る。アカリの黒い目がフランツを捕らえた。金髪碧眼、それはまさしく物語の中の王子様そのものだった。

「……リアル王子……」

 マジか、とアカリはぽかんと口を開けていた。りある? と反応に困っているフランツに、マコトはそっと、あれは応えなくていいと思います、と助言した。言葉は通じているのに通訳させられるようだった。

「じゃあマコトさんは何してんの? あ、さっき従者かなんかって……?」

 くるん、と振り返りアカリはマコトに問いかける。マコトさん、なのはやはり年上だからだろう。

「……アークライト公爵家で、従者として仕えてるよ」

 ルティアナはさきほど、わざとらしいくらいに『従者』であることを強調していた。教会を警戒しているのだろう。

 トーマスをはじめとした神官たちはマコトの黒い髪と瞳を舐めるように見ていた。

 おそらく、ルティアナが幼いころから浴びてきたものと同じ目線。マコトはアークライト家の領地の外に出ないことで、そういった目から守られていたのだと改めて思い知る。

「それって、さっきのお姫様みたいな人に仕えてるってこと? なんで? あの人、なんかいかにもお嬢様って感じだったけど、そんなに偉いの?」

「偉いよ。公爵家だからね」

「あたし、コウシャクとかよくわからないんだけど」

 首を傾げてアカリは続ける。

「それって、あなたを命令して働かせるほど偉いの?」

 ごく普通の日本の女子高生に、公爵などと言ってもその重みは伝わらない。日本には身分制度がないから、なおさら。

 それは無自覚の偏見。命じられることに反発を抱く年頃だからこそ浮かんだ疑問なのかもしれない。

 マコトも、頭の中ではわかっている。冷静に彼女に悪意はないと理解出来る。

「何も」

 しかし、勝手に唇が動いた。その上、衝動に任せて壁を殴る。ドンッという大きな音に、アカリは驚いて声が出なかった。

 身分とか偉いとか、そういうものでマコトはルティアナに仕えているわけではない。


「……何も、知らないくせに」


 普段のマコトからは想像もつかないほどの低い声で、怒りを隠すことなく静かにアカリを睨んでいた。

 それはアカリが十六年生きていて接することのなかったほどの、ひやりとした怒気だった。

「マコト」

 フランツがため息を吐き出してマコトの名を呼ぶ。

「……少し落ち着け」

 フランツの言葉にマコトはハッとして、小さくすみません、と答える。

「……頭を冷やします」

 マコトがそう言って少し離れた。それでも会話できる距離にいるので自分の役割を忘れたわけではないらしい。

 フランツが息を吐いて、アカリを見下ろす。

「おまえも、もう少し考えてから口を開け。ここはおまえの常識が通じる世界じゃないんだ」

 フランツの言いたいことはわかる。

 でも、とアカリは俯いた。相手は同じ日本人だから、と深く考えなかった。相手がそれほど怒るなんて思わずに。

 日本人のマコトがいたことで気が抜けた。けれどその後すぐにここは異世界なのだと改めて突きつけられる。

「……夢オチならいいんだけどな」

 はぁ、と重いため息を吐きだしてアカリはその場にしゃがみこんだ。キャパオーバーだよ、とまたフランツのわからない言葉を呟いている。

「悪いが夢じゃないぞ」

「リアル王子は見た目は合格なのに全然やさしくないし」

「悪かったなやさしくなくて」

 アカリに対してはなんとなくフランツも素で接しているのでやさしさなんてどこかに置いてきた。

 もともと、紳士的な振る舞いは面倒で好きじゃないのだ。

「……それで? あたしはなんで呼ばれたの? できれば早く帰りたいんだけど。お姉ちゃんも待ってるし」

 心配かけていると思うしさ、とアカリはしゃがみこんだままでフランツを見上げた。

「……おまえには俺たちと一緒に聖具を集めてほしい」

 それだけか、とアカリも苦笑いを零す。魔王を倒してくれと言われるよりはマシだけどさ、独り言のように呟いたあとで、ダメ元でフランツに言い返した。

「それだけなら他に頼んでほしいんだけど?」

「それだけだが、おまえにしかできない」

 召喚された聖女でなければ、聖具に触れることができない。触れることができなければ聖具を運ぶこともできない。

「別にあたしトクベツな人間じゃないんですけど。ものすっごい一般人。特技とかもないし」

 成績はいつも平均点。悩みといったら体重が増えてきていることと、ニキビができやすいことくらい。

「――それでもおまえが、聖女なんだ」

 見ていればアカリがごく普通の少女なのはフランツにもわかる。けれど、そのただの少女が必要なのだ。

 こうして目の前にすると実感する。きっと今までやってきた聖女だって、ただの普通の少女だったに違いない、と。

 語られている神秘性なんて、きっと後世で付け加えられた作り話なのだろう。

「……こちらの都合に巻き込んだことは謝罪する。けれど手を打たなければ魔物の被害が増える一方だったんだ」

 口にしながらもフランツは自分の言葉に苦々しくなった。――こんな事情も、アカリには関係ないことだ。

「……それが終わったら、帰れるの?」

「帰還のための魔法もある。ちゃんと守るし帰すから安心しろ」

 聖女を守るために選ばれた一行だ。そして魔物の討伐も進めた結果、旅の危険は格段に下がっている。

「……しかたないかぁ……それで、聖具っていうのは」

「それは他の人間を交えて説明したほうがいいだろ」

「まぁ、そっか」

 じゃああたしたちも外に出る? とアカリが立ち上がろうとすると、フランツは手を差し出した。

「なに? 自分で立てるけど」

「馬鹿か、靴を履いてないだろおまえ」

 いつから気づいていたのだろうか、フランツがアカリの足元を指差した。

「だって家の中だったし」

「家で靴を脱ぐのか?」

 フランツが理解できないと顔を顰めると、頭を冷やしていたはずのマコトが呆れたように言葉を付け足した。

「日本の文化では脱ぐんですよ」

「別に、靴下履いてるから大丈夫だよ……うわっ」

 アカリが構わず召喚の間から出ようと一歩踏み出すと、有無を言わせずフランツがアカリを抱き上げた。

「おおおおおおおお姫様だっこ!?」

「……なんだそれは」

「その抱き上げ方の呼び名みたいなもんですよ」

 アカリを抱き上げたまま首を傾げるフランツに、マコトが律儀に説明する。

「いい! いらない! おろして!」

「靴を履いてない女を歩かせられるか」

「うわあああ! 変なとこで王子っぽい!」

「変だろうがなんだろうがこれでも王子だ」

 騒がしい二人のやりとりを尻目に、フランツの代わりにマコトが扉を開ける。


 ――凛とした、ルティアナの声が聞こえた。

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