第40話 だから、アカリは必ず帰します。
戻ってきたアカリは慌てて馬車の中に乗り込み、出発を急がせた。
「早く行こう! もうここに用はないし!」
ルティアナがフランツに目配せすると、彼は苦笑まじりに頷く。どうやら怪我などはないし大きな騒ぎもなかったみたいだが、まったく何もなかったわけではないらしい。
急かされた一行はわずか滞在数十分で、一つ目の神殿をあとにした。
「そんなに嫌な思いをしたの?」
馬車の中でアカリはルティアナにべったりだった。癒しを求めているらしいのでルティアナはやさしくアカリの髪を撫でる。
すっかり甘えん坊になったアカリに苦笑しながらルティアナが問いかけた。
「嫌な思いっていうか……なんか気持ち悪くなかった?」
アカリが顔を上げてフランツとゼストに同意を求める。
「……まぁ、こんなもんだろうとは思っていたけどな」
フランツは想定の範囲内だったらしく、けろりとしている。ゼストも同様に頷いた。
「マジか……」
王都にいた神官たちも嫌な感じだったが、先ほどの神官たちも別の意味で嫌だ。まるで、能面のようだった。
がたがたと揺れる馬車の中がとても心地よく安心できるくらい、あの神殿の中は息苦しかった。
「……疲れたなら眠ってもいいわよ?」
ルティアナがクッションを集めて、自分の膝をぽんぽんと叩く。それはまさかの膝枕では。
アカリは尻尾を振って飛びつこうとしたが、すぐさま
「……女友達にまで牽制するのって余裕なさすぎだと思うよ、マコトさん」
「あんまり独占されるのは面白くないなと」
にっこりと笑っているマコトのその笑顔が威嚇であることは、アカリもしっかり身にしみている。
「……マコト、大人げないこと言わないの」
ルティアナが呆れたようにマコトを窘めて、アカリを手招きする。ふふん、ざまぁみろ、とアカリはありがたくルティアナの膝を枕にして横になった。
やさしい手のひらがアカリの頭や肩を撫でる。そのぬくもりに、思わずおねえちゃんと呼びそうになって、アカリは寝返りを打つふりをして顔を隠した。
懐かしさでじわりと滲んだ涙に、ルティアナは気づいていただろうに、何も言わずにアカリを撫でる手を止めなかった。
ルティアナの膝を枕に、アカリはすやすやと寝息をたてはじめる。
「……精神的に疲れたんでしょうね」
アカリの黒髪を撫でて、ルティアナが苦笑する。ゼストがそっとアカリの肩に毛布をかけた。
「まぁ、奇怪な連中ではあったがな」
「……アカリに危害を加えないのならいいのですけど」
「少なくとも聖女の役目は果たしてもらいたいみたいだからな。たぶん害はない……思うが」
フランツが眠っているアカリを見て小さく呟く。聖女が聖具を集め、国全体の結界を強化を施す。それはどんな思惑があろうと望まれていることだ。
「……こいつを見ていると、おまえが聖女召喚そのものに疑問を抱いている理由がわかってきた気がする」
なんのことだ、とは口に出さなかった。ルティアナは、叶うことなら聖女など召喚されない方がいいと思っている。
だからこそ魔除けの効果が見込める野草を、旅の合間にあちこちに広げているし、聖女召喚の仕組みも散々調べた。
「聖女だなんてそれらしいことを言ったところで、やっていることは国家ぐるみの誘拐ですもの」
ルティアナの冷笑に、その場はしん、と静まり返った。マコトだけが苦笑いを浮かべている。
「だから、アカリは必ず帰します。こんなことに巻き込んだ我々ができることは、それだけですもの」
「……わかってる」
噛み締めるように呟くフランツを見つめて、ルティアナは口を開いた。しかし声は飲み込んで、すぐに口を閉じる。
本当に? と問うたら、フランツはいったいどんな顔をしただろうか。
アカリが眠っている間に馬車はカーライル公爵領に近づいていく。そこにはリヒトの生家があるはずだ。
ルティアナの膝枕で十分に癒されたアカリはのそのそと起き始める。景色はがらりと変わっている。
「……お風呂に入りたい」
野営となると身体を拭くことはできるが、入浴はもちろん叶わぬ夢だ。大きな宿屋となれば浴槽があるが、それもこの世界ではあるほうが珍しいほうらしい。
「さっきの神官のおじさんたち、気持ち悪かったからさっぱりしたい……」
「今日は街に着くのは無理だろうなぁ」
ギルベルトが御者台から呟く声が聞こえた。
「この先に小さな泉ならあるはずですよ。そろそろ野営の準備も必要ですから、そこの近くにしては?」
リヒトが地図を見ながら、目的地となる泉を指さした。あと数十分もすれば着く距離だ。
「水浴びでもいい! ありがとうリヒトさん!!」
万歳をしながらアカリのテンションは上がっている。元気になったようだとルティアナは微笑みながらリヒトを見た。
「このあたりの地理に詳しいんですね? まだここはカーライル公爵領ではないでしょう?」
「ここの領主とは縁戚関係ですから、たまに来るんですよ」
リヒトはさらりと答える。ルティアナは領主の名を思い浮かべながら、納得した。確か、リヒトの母方に連なる貴族だ。
「カーライル家の屋敷には寄るか? 公爵はいなくても奥方はいるだろう」
フランツが気を利かせてリヒトに問う。ルティアナほど図々しくない限り自分からは言い出せないだろう。
「進路からそれますし、必要ありませんよ」
リヒトは静かな口調で、きっぱりと断った。
「母からはあまり目立つなと言われてますから」
「そりゃ珍しいな」
ギルベルトがわざわざ御者席から会話に参加してくる。
「へぇ、珍しいんだ?」
アカリが首を傾げる。貴族様のあれこれはやはり女子高生にはわからない。日本には出る杭は打たれるなんてことわざもあるから、目立っていいことばかりではないと思うのだが。
「生粋の貴族にしたら聖女の旅に同行できるのはこの上ない名誉だぞ。うちの息子は大活躍してるんですってアピールするもんだろ」
「そういう意見もありますわね」
にっこりとルティアナが肯定とも否定とも言えない発言でまとめる。
「……まぁ姫さんやおまえんとこは関係ないのかもな」
アークライト家やカーライル家は参加を義務付けられている立場だ。名誉という意識が薄れても無理はない。
「兄より目立つと母がうるさいんですよ」
「リヒトさんにはお兄さんがいるのか……」
「というより、一応は身の危険もある旅だから長男は外されるだろうさ」
ギルベルトがアカリの言葉に付け加える。
「あ、そっか。王子にもお兄さんがいるんだよね。なんか意外」
「そうか?」
「面倒見良いから、お兄さんなのかと思ってた」
フランツが面倒見良いのは、アカリに対してだけだ。しかしそのことをわかっていながら、他の誰も口には出さなかった。
それから、一時間ほどで野営する予定だった泉の傍に到着した。
「ルティも行こうよ」
「え?」
ぐいぐいと腕を引かれてルティアナは目を丸くする。水浴びには心惹かれるが。
「わたしは見張り役になるつもりだったんだけど」
ここは野外だ。魔物の危険もあれば、一部紳士ではない男性による覗きの危険もある。
「……誰かおっさんを縛り付けておいて」
アカリも覗きの可能性に気づくと冷めた目でギルベルトを一瞥した。
「だから俺はその真っ平らな胸には興味ない!」
「貧乳言うな! つまりはルティの胸には興味あるんでしょ!」
何と言ってもふわふわふにふにである。アカリですら羨ましくなるほどのお胸である。
「あって悪いか!? 健全な男として当然だろ!?」
「……機能不全になりたいですか?」
マコトが冷ややかな微笑みを浮かべてギルベルトの喉元に抜き身の剣を押し当てた。
「まて! 冗談だろうが!」
「冗談に聞こえなかったからこっちも本気で殺るんですよ」
ギルベルトの悲鳴が聞こえたが、もちろん誰も助けになど行くはずもない。
「あー……まぁ、魔物の危険もあるし、誰かはついて行ったほうがいいか」
めんどくさそうにフランツが呟いた。
「じゃあリヒトさんにお願いします」
「え、いや俺が」
ギルベルトを締めたマコトが当然のように声をあげるが、アカリは両手でばってんを作った。
「マコトさんはルティ限定で下心あるからダメ。それとおっさん捕まえててくれないと困る。ゼストくんには刺激が強そうだし、一番紳士なのはリヒトさんだもん」
「かまいませんよ」
リヒトはまったく表情を変えずに請け負った。リヒトが覗き……というのはかなり無理しても想像できない。
「覗きは厳禁だからね! 破ったら……」
「破ったら?」
フランツが半笑いで問いかけると、アカリとルティアナは顔を見合わせた。
「……沈める?」
ちょうど水があるし、とアカリは真剣そのものだった。
欲望の前には恥じらいも消え去るのか、アカリは躊躇うルティアナをよそに堂々と泉に浸っていた。
「ひゃー!冷たい!」
紳士なリヒトはルティアナたちから目視できる距離にいるが、ご丁寧に背を向けている。
「アカリ、あまり長く浸かると風邪をひいちゃうわ」
これが露天風呂だったらそんな心配もいらないのだが、水である。長く浸かっていたら身体が冷えるだろう。
「ぱぱっと髪を洗っちゃおう」
身体は拭けるからまだいいが、髪を洗うのは入浴やこういうときでないとできない。
「やっぱり気持ちいいわね」
手早く髪を洗い、さっと泉で汗を流したルティアナは早くもタオルで身体を拭いていた。
「そうだね。なんかあの神殿の人たちの目線がじっとりぎっとりって感じで、気持ち悪かったからぱっぱとすっきりしたかったんだよね」
「……嫌な思いをさせてごめんなさいね」
「ううん。王子もちゃんとフォローしてくれたし。ほら、あたしはただの一般人だからさ。あんなに見られるのってそうそうないし」
だから余計に緊張しただけだよ、とアカリは笑った。
「そういえば、王子の名前は出さなかったわね?」
「何が?」
アカリは泉から出て、ルティアナからタオルを受け取る。水に濡れた肌は風が吹くと少し寒い。
「見張り役のとき」
「えっ……だってさすがに、王子に見張りなんてさせるわけにいかないじゃん」
「随分気さくに接しているから、あまり気にしていないんだと思っていたわ」
くすくすと笑うルティアナを尻目に、アカリは着替えやすいワンピースをすっぽりとかぶった。あんなんでも王子なのだ。さすがにアカリだってそのあたりは弁えている。
「リヒトさん、見張りありがとうございました!」
見張り役を務めていたリヒトのもとへ駆け寄ってアカリは笑った。
「待たせてごめんなさい」
「もっとのんびりするかと思ってましたよ」
言外にもう少しゆっくりしてもよかったのに、と言われているようでアカリは嬉しくなる。
やさしくされると胸がぽかぽかするのは、きっと世界が違くても共通なのだ。
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