第39話 最近のマコトはずるいわね
ひとつ目の神殿はアークライト公爵領を出てすぐ、隣接する森の入口に建てられている。屋敷を出立しても昼頃には到着できる距離だ。
移動する馬車の中でルティアナは神殿に到着したら、と口を開いた。
「わたしは外で待っていたほうがいいでしょうね。王子は行かないと駄目でしょうし」
「護衛はギルベルトとゼストか」
「そうですね」
近接戦に対応できるギルベルトと、魔法を使われた時に対応できるゼスト。二人は絶対にアカリの傍にいなければならない。
「護衛って……神官ってそんなに皆物騒なの?」
お坊さんや牧師さんのような人達だとイメージしているアカリには、ルティアナたちがここまで警戒していることに驚いてしまう。
アークライト公爵領に入るまでの間に襲ってきた魔物が、人為的なものかもしれないということはアカリには伝えていないからだろう。
「現状、敵か味方かと言われると敵の可能性が高いな」
「これまでのこともトーマス一人の計画とは思えませんし、やっぱり大神官も絡んでそうですよね」
きっぱりと言い切るフランツに、困ったように告げるルティアナ。それだけでアカリの中の神官たちに対する警戒心は上がった。
「え、それ危なくない? 大丈夫なの?」
「アカリはまだ狙われているでしょうけど、命の危険はありませんから大丈夫ですよ」
聖女であるアカリを殺そうなどと考える神官はいないだろう。アカリの不安を払拭しようと微笑むルティアナに、アカリが「そこじゃない!」と食いかかった。
「ルティには命の危険があるってことなんじゃないの!?」
「わたしというより……正確にはアカリと王子以外はどうでもよいと思われているんじゃないかしら」
一番目障りなのはトーマスの計画を潰したルティアナだろうけれども。
「いや、マコトは狙われてるかもな。教会のお偉方は異世界人に興味津々だろ」
フランツのセリフに眉を顰めたのは、当本人のマコトではなくルティアナだ。
「……教会はいいかげんうちを敵に回すことの意味を知ったほうがよろしいんじゃないかしら?」
殺気立ったルティアナに、マコトがどうどう、と抑える。しかしその顔は誰がどう見ても嬉しそうににやけていた。
「おい、着いたぞ」
ギルベルトの声が聞こえると同時に、馬車は止まった。
「よし。とにかく、さっさと用を済ませるぞ」
こんなところに長居は無用だとフランツはアカリの腕を引いて神殿に連れて行く。
「ちょっと! 急がせなくても歩けるし! ルティ! すぐに戻るね!」
「聖具を取りに行くだけならあいつらだけでもいいんじゃないのかねぇ」
首筋を掻きながらギルベルトがフランツとアカリのあとに続き、ゼストもその後ろにとことことついて行った。
「……こちらに残るように言っておいてなんですけど、もしリヒト様も行きたいのであれば向こうについていってもかまいませんよ?」
アカリの護衛としてはギルベルトとゼストさえいれば問題ないだろうとリヒトの名は挙げなかったのだが、ルティアナと一緒に待機していても楽しいものでもないだろう。
「いえ、こちらのほうが気が楽です。性根の腐った神官の相手など面倒ですし」
「……リヒト様もなかなか良い性格していらっしゃいますよねぇ」
普段は澄ました顔をしているが、時々ぽろりと素が出ている。リヒトの素はわりと口が悪い。
「貴女ほどではないかと」
くすくすとルティアナは笑って「それもそうですね」と否定しなかった。ルティアナも自分の性格が一癖も二癖もあるのは自覚している。
「むしろ、こちらがお邪魔かと」
ふ、と笑みを零すリヒトにルティアナは首を傾げる。しかしすぐに隣に寄り添うように立っていたマコトを思い出した。
「……お邪魔って、そんなことは」
「わかっていらっしゃるなら二人きりにしていただきたかったですね」
恥ずかしげもなくさらりとマコトが言うものだからルティアナは言葉が出ない。
「マコト……」
悪びれないマコトに、ルティアナはため息を吐き出す。従者ではないマコトからの甘い雰囲気は、どうにもいたたまれないのだ。
「それなら、気を利かせて向こうへ行ってますね」
リヒトは気を利かせてその場を離れる。行かないでいいのに、とは口に出せず、ルティアナとマコトは二人だけ残された。
「……最近のマコトはずるいわね」
「ずるさで言ったら、ルティのほうが上だと思いますけどね」
そのとおりのことを言い返されて、ルティアナは何も言えず苦笑した。
この世界に残るとマコトが明言してくれたなら、きっとルティアナは迷いなくマコトに甘えられる。与えられるものをすべて喜んで受け入れる。
けれどそれがまだないから、ルティアナは曖昧なままの距離を保っている。自分の返事ひとつでマコトの決意が固まると知りながら、その最後の一撃を与えずに。
明らかな約束なしにはどちらも動けない。
どちらかが一歩踏み出すには、踏み出すだけの勇気が、いる。
*
神殿に入ると、今か今かと聖女を待ちわびていた神官たちがずらりと並んでいた。
皆が頭を垂れている光景はどこか作り物めいていて気味が悪い。呼吸の音すら聞こえないほど静まり返った神殿の中で、自分の心臓の音だけがやけに響いているように感じる。
「……王子」
アカリは思わず歩を止めてフランツの腕を掴んだ。
フランツはアカリを見下ろして、その怯えた様子に気づく。くしゃりと頭を撫でると、アカリの肩を抱き寄せた。
「面をあげろ。聖女が怯えている」
凛としたフランツの声に、神官たちはゆっくりと顔を上げた。しかし彼らに表情はなく、アカリはますますフランツにしがみついた。
生きているのに、死んでいるような目をしている。それが異様で、アカリは悲鳴を飲み込んだ。
「……通常の業務に戻れ。別に俺たちは歓迎されたいわけでもない。国防のため聖具は聖女の手に預けてもらう。それまでは結界を張って対処しろ。すぐに警護の騎士がくる」
「すべて御心のままに」
中央に立っていた神官が答えると、立ち並んでいた神官たちは散り散りに消えていった。
「……聖具って、あれかな?」
大きなステンドグラスが、陽の光を受けてキラキラと七色の光を零している。奥の台座に安置されている、木箱のようなものが見えた。
「ああ、そうだ。箱の中に入っているから、一度開けて確認してから持って行く」
たった、それだけだ。
そう思ってもアカリはなかなか動けない。神官の姿はほとんどなく、残っているのはフランツに応えたたった一人だ。衣装も他と違うので、おそらくこの神殿の責任者だろう。
しかしあちこちから、アカリをじっとりと凝視するような視線を感じた。
「アカリ」
低い声が、アカリの名を呼ぶ。
肩に触れる手がぽんぽん、と励ますように優しく宥める。見上げると、青い瞳が大丈夫かと問うているようだった。
アカリはその瞳を見つめ返したあと、ぱんっと自分の両頬を叩いた。
「……よし!」
ひりひりとした頬の痛みが、気持ちをしゃんとさせる。
近づいてみても、聖具と呼ばれるそれはただの箱に見える。
――いや、ただの木箱というよりも。
「……なんか、日本の博物館にありそうな……?」
木箱の蓋には、なにか書かれている。おそらく墨のようなもので、漢字のように見える筆跡。日本史の資料なんかで見たことがある文字だけど、現代日本人のアカリにはすぐに解読はできなかった。
木箱を包むように結われた紐は、着物に似合いそうなもので、いわゆるリボンなどとはまるで違う。
組紐とかいうやつだっけ、とアカリは思った。
聖具に触れて死んだだの寝たきりになっただのという前情報がアカリの頭に浮かんで、持ち上げた手が止まる。
もし、自分が聖女ではなかったら。聖女ではないと認識されたら、どうなるだろう。
手のひらにじっとりと汗をかいた。
だって、アカリはただの女子高生で。なにひとつ特別なものは持っていない。
何かの間違いだったらどうしよう。触れることができなかったら。役に立たなかったら。触れようとして、聖具に拒まれたら。
『別にあたしトクベツな人間じゃないんですけど。ものすっごい一般人。特技とかもないし』
『――それでもおまえが、聖女なんだ』
アカリはぐっと拳を握って、手を開く。指は震えているけど、ちゃんと動いた。
そっと組紐に触れて引っ張る。それはするりと簡単に解けた。
空気がざわつく。やはり感じている視線は勘違いではないらしい。けれどアカリはそれらを無視して、蓋に触れる。滑らかな木の蓋を持ち上げると、そこには布に包まれた聖具があった。
布は絹のようだった。滑らかな肌触りが心地いい。
「聖、杯?」
持ち上げたそれは、アカリの予想していたものとは全然違った。金色とかで、優勝カップみたいな形なものだと思っていた。
むしろこれは、時代劇なんかでお酒を飲む時に使うやつを大きくしたやつみたいな――と考えていたところで、おお、とどこからか感嘆の声が聞こえる。
その声にアカリはハッとして、聖杯を再び布に包むと箱にしまう。そっと蓋をして、元のように組紐でしっかりと結んだ。
「それじゃあ、これは持っていきますね」
木箱をしっかりと抱えるとアカリは宣言した。そそくさとフランツのもとに駆け寄って、その背に隠れる。
神官たちは、何も言わなかった。
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