第18話 その時はわたしを守ってね

 ラウゼン伯爵家での一件以降は平穏なものだった。

 王都へと急ぎながらも、道中に出くわした魔物を倒して進むというものなのでルティアナの出る幕はほとんどない。のんびりとしたものだ。


「召喚の準備は進んでいるのかしら」

 宿屋の一階にある大衆食堂(夜となった今はほとんど酒場だ)でのんびりとした口調でルティアナは呟いた。

 ざわざわと騒々しい場所での食事にも慣れた様子で、ルティアナはぱくりとパンをちぎって口の中に放り込む。

 王都への道筋は、順調すぎるくらいに進んでいるので、明後日には無事に王都に到着する予定となっている。

「最後に受けた文の内容ではあとは吉日を選ぶのみ、とあったな」

「それはつまり我々の到着を待つための言い訳ですわよね」

 聖女一行に聖女がいないのがおかしいのと同じく、一行がいないところに聖女がいるのはおかしい。だからルティアナたちは一度王都へ戻らなければならないのだ。

「引き継ぎらしい引き継ぎなんてありませんし、わたしは城へ行かなくてもよい気がしますけど」

 王都に着いたらアークライト家の別邸に行って身なりを整えた上で城へ行かなければならない。正直言ってめんどくさいのだ。

「城に聖女が戻った、という形がとれなくなるだろう」

「空の馬車でも使えばいいじゃないですか」

 どうせルティアナがドレスに着替える以上、馬に乗ったまま行けるわけがない。当然馬車に乗っていくことになるので、それならば中身が空でもそのなかに聖女が乗っていたのだ、と言えば済む話ではないだろうか。

「……お嬢様、その髪だとまず旦那様からのお説教がはじまって、使用人たちの悲鳴が響き渡って、奥さまはしくしくとずっと泣き崩れると思いますけど」

 にっこりと微笑みながらマコトが屋敷に戻ったときの反応を告げた。的確すぎてルティアナも言葉に詰まった。さらに兄までいたりしたら最悪だ。

「王都のお屋敷には旦那様しかいらっしゃらないでしょうから、まだマシでしょうね?」

 おそらく今回に限って言えばルティアナの母まで王都にやってくる必要ないので、領地の屋敷の留守を任されるはずだ。つまり相手にするのは父だけになる。そこまでの読みまで正確だから、本当に長年の従者は優秀すぎて困る。

「……マコト、まだ怒ってるわね?」

「何の話ですか?」

 マコトがこんな意地悪を言うのは、ルティアナが怒りにまかせて髪を切り落としたのを怒っているゆるぎない証拠だった。こうなると尾を引くのがマコトである。

「……もちろん城へは行くわよ。とても面倒ですけど」

 言ってみただけだ。引き受けた以上は最後まできっちりとやり遂げる。

 ルティアナは残っていたスープを飲み干すと、そのままがたんっと少し乱暴に立ち上がった。既に上の階に部屋がとってある。

「それじゃあ皆様、おやすみなさいませ」

 女性のルティアナはもちろん一人部屋だ。今回は大部屋の空きがなかったので男性たちも二人と三人に別れている。

 艶やかに微笑んで、ルティアナはそのまま一人部屋へと戻った。

「……なんだ、珍しいな。喧嘩か」

 ギルベルトがパンをかじりながら呟いた。

「……ルティアナさんが髪切ったの、マコトさん相当怒ってますよね」

「あれは常識的に考えてもどうかしている」

 マコトをちらり、と見ながら呟くゼストに対してリヒトは呆れたように呟いた。マコトは笑顔のまま無言である。怖い。

「髪を切った本人はいっそ、すっきりした顔をしているけどな」

 フランツの呟きに、誰もが頷いた。ルティアナは髪が短くなってからというもの頭が軽いし邪魔にもならないし、いいことだらけだと上機嫌である。

「髪は女の命っていうもんだけどな」

「……お嬢様は、ご自身の黒髪が嫌いなので」

 静かだったマコトがようやく口を開いたかと思ったら、すっと立ち上がる。

「なんだ? 姫さんとこか?」

 マコトが寝支度を手伝うのはいつものことだったので、喧嘩していてもそこはやはり過保護なままなのかとギルベルトは笑う。

「違いますよ。疲れたので早めに寝ます」

 ルティアナも基本的なことは一人でできる。苦手だったのは嫌いな黒髪の手入れくらいなもので。今となっては寝支度のためにマコトを呼ぶ必要はない。

「ふぅん?」

 それじゃ、と部屋に戻るマコトを見送りながら残った四人は顔を見合わせた。

「普段べったりなだけに喧嘩していられると空気が悪いな」

 フランツの苦笑に、誰もが小さく頷いた。




 ベッドに入る前に、ルティアナは短くなった髪に櫛を通す。

 ここまで短くなると、以前のようにひどく絡まることはなくなった。切り捨てた髪は既にアークライト家に送り、それで鬘を作ってもらっている。

 荷物の確認や整理も終えて、ルティアナはひとつため息を吐きだしてから灯りを消した。

 ベッドにもぐりこんで、そのまま目を閉じる。宿屋のベッドは、ルティアナが育った屋敷のものと比べれば粗末なものだが野宿よりもずっと快適だ。


 灯りを消して一時間ほど経っただろうか。

 ぎしり、と床を踏む音がする。扉の鍵は、閉めていたはずだった。


「――悪いな。恨まないでくれよ」


 低い声と同時に、ルティアナの口はごつごつとした大きな手によって塞がれた。見開かれたルティアナの目に、暗闇の中で短剣を握るギルベルトの姿が映る。

 詠唱できなければルティアナは魔法を使えない。そして長年習い続けてきた護身術も、相手がギルベルトのような腕の立つ相手ともなれば無意味だ。

 ルティアナの青い瞳が、毅然とギルベルトを睨みつける。

 ギルベルトは苦笑しながらも迷いのない目で、短剣を振りかざした。



「ねぇ、マコト。たぶん旅の仲間のなかには、わたしのことを殺そうとする人がいると思うわ」


 天気の話をするみたいに、そんな物騒な話題を口にしてきたルティアナを前にしてマコトは困惑した。

「ど、どうしてそうなるんですか?」

 旅の一行たちは仲が良いとまでは言えないが、悪くはない。殺意を抱いている人がいるなんて、とても信じられなかった。

「アークライト家って、貴族には妬まれがちだし。教会からなんて目の敵にされているし。心当たりがありすぎるのよね」

「いや、だからって……」

「聖女代行ってとんでもない『しぼうふらぐ』だって言ったのはマコトでしょう?」

 何を今更と言うように微笑むルティアナに、マコトは言い返せなかった。

 何かの代わり、誰かの身代わり。

 そういうものは、大抵危険が付きまとうものだし、物語のなかでは本物に疎まれ殺されたり、本物の代わりに死んだりするものだ。

「だからね、マコト。その時はわたしを守ってね」



 ――その短剣がルティアナを傷つけるよりも前に、ギルベルトの腕は別の誰かに掴まれる。その人物の気配に気づけなかったギルベルトが咄嗟に反撃しようとしたときには、腕を捻られベッドにうつぶせに倒されていた。


「こんな夜更けに夜這いですか、ギルベルト様」


 闇よりもなお黒いその目が、殺気を隠さずにギルベルトを見下ろしていた。口元に笑みを浮かべ、いつもと変わらぬ声色で問うルティアナをギルベルトは見上げる。

「……気づいていたのか」

 ギルベルトが苦笑いを零して、低く呟いた。ベッドからひとり下りたルティアナは、その問いに対してふわりと微笑んだ。

「どこからどこまでのことかしら? あなたがわたしを殺そうとするだろうということ? それとも今夜仕掛けてくるつもりだったということ?」

 顎に手を添えて、ルティアナは首を傾げる。

「全部気づいていましたわ。聖女召喚の準備が整い、あとはその時を待つだけとなった今、わたしは用済み。……もしわたしが口を滑らせるなり言いふらすなりして『聖女には身代わりがいて、それがアークライト家の娘だった』と何も知らない人間に広められては困る人たちがたくさんいることも」


 ――だから、ルティアナが余計なことをする前に抹殺するために一行のなかにはその役割を担わされた人間がいる、と。

 ルティアナは最初から、知っていた。


 そして、実行するなら王都に着く前にしなければならない。そうでなければ『魔物に襲われた不慮の事故だった』という便利な言い分が使えなくなるからだ。

 けれどあまり王都から離れていては、民の目に映る一行のなかから『聖女』の姿が消えてしまう。もう間もなく王都――今夜はまさに絶好のタイミングだった。

「マコトと喧嘩しているように見せて隙を作れば、確実に釣れるだろうと思ったのよ。見事にひっかかってくれてうれしいですわ、ギルベルト様?」

 ルティアナは微笑む。

 その微笑みに、ギルベルトは頬を引き攣らせた。すべてルティアナの手のひらの上で踊らされていただけだったなんて、とても笑えない。


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