第42話 そこに立派な番犬がいるだろ

 カーライル公爵領に入るとほどなく、二つ目の神殿に到着する。

「今回は宝玉だっけ?」

「そうね」

 馬車を止めると、前回同様ルティアナは神殿には入らず外で待っていることになった。カーライル公爵領内の神殿だからと、今回はギルベルトに代わってリヒトが護衛につく。

 神殿の造りはどこも似ている。大きなステンドグラスから零れる光は眩く、奥の台座には古めかしい木箱があった。

 聖杯のときよりも箱は少し小さい。しかし同じように組紐で結われているし、箱を開けてみれば宝玉は絹に包まれている。

 絹の中から現れた宝玉に、アカリはどこかやっぱり、と思った。

「……これたぶん勾玉ってやつだよなぁ」

 アカリが宝玉と言われて想像するのはダイヤモンドやルビーなどの宝石だった。

 独特の形は教科書で見た事があるし、神社のお守りでも見かける。石の種類はわからないが、深い青色のようだ。

 聖女が日本人だからなのか、聖具はとても日本っぽいものらしい。

 確認を終えるとアカリは手早く宝玉を箱にしまい、蓋を閉じる。振り返った先にあるのは、きらきらとした眩いばかりの眼差しだ。この神殿の神官は比較的年若く、聖女という存在を無条件に崇拝しているように見える。

 うぐ、と表情を強ばらせたあと、アカリはそれらの視線を無視するようにフランツに駆け寄る。ひとつ目の神殿のときに比べたらマシだが、それでもやはり居心地は悪い。

「戻るぞ」

 くしゃり、とフランツがアカリの頭を撫でる。それがすっかり癖になっているということに、フランツ自身は気づいていないのだろう。撫でてくれる大きな手がとても心地よいものだと、アカリは覚えてしまった。

 こんな風に、旅が続いていけばいい。そんなことを、少しだけ思ってしまうくらいに、異世界での旅路はアカリにとって大事なものになっていた。



 カーライル公爵領を抜けたあと、一行はそのまますぐにヘルツェル公爵領に向かう。東西南北にわかれる公爵領を巡るのはなかなか骨が折れるが、旅はおおむね順調だ。

「街の中でも警戒しろよ。そろそろ治安が悪くなってくる」

「ヘルツェル公爵領はそんなに荒れてるの?」

 ギルベルトの注意に、ルティアナは眉を寄せた。わざわざ彼が口にしなければならないほど治安が悪いというのは同じ四大公爵家としては嘆かわしい話だ。

「それなりに。公爵も領地を細やかに見ているほどの余裕はないらしいからな」

 もとよりヘルツェル公爵家は魔術師を多く輩出した名門だ。しかし近年は魔力の高い子が生まれずに、埋もれている。

「旧ゼヴィウス公爵領はさらに悪い。特に嬢ちゃんやゼストは気をつけろよ」

 若い女性や子どもは何かと事件に巻き込まれやすい。もともと単独行動などはしていないが、用心は重ねておいたほうがいい。

 しかし一人だけ用心すべき人の名前があがらなかったことにアカリは目を丸くした。真っ先に名前が出てくると思ったのに。

「ルティの心配はしないの?」

「そこに立派な番犬がいるだろ」

 馬車の中では相変わらずルティアナの隣にしっかりとスペースを確保しているマコトのことだ。ギルベルトにしてみればちょっとした嫌味のつもりだったのだろうが、マコトはしれっと聞き流している。

「ちょっと、マコトを犬呼ばわりしないでくださいます?」

 聞き流さないのはむしろルティアナだ。

「そっちがキレんのかよ……」

 呆れたようにギルベルトが呟いて、少しすると街が見えてくる。




 街に着くとすぐに宿屋の部屋を確保する。

 ギルベルトの言っていたとおり、あまり治安がいいとは言えないようだ。昼間から酔っ払いがふらふらと歩いていたり、どことなく空気が不穏だった。

 馬車の中に積んだままの荷物にはゼストが盗難防止用に魔法をかけておく。聖具に関しては部屋まで持ち込んでおいた。こちらは盗もうにも常人は触れることができない。

「とりあえず、食材の買い出しに行きましょうか。他に買ってくるものはあります?」

 買い出しに行くのはいつもルティアナとマコトだ。料理を担当しているマコトが行くのが妥当だし、そうなると当たり前のようにルティアナもついて行く。

「特にはない」

「大丈夫です」

 消耗品の確認は一番マコトが細かくチェックしている。個々人で必要なものもついでに買ってくることが多いが、今回は特にないらしい。

「ルティ、傍を離れないでくださいね」

「子どもじゃないんだから大丈夫よ」


 アカリはいつも留守番組なのだが、ルティアナとマコトが出かけたあと、窓の外を見ながら思わず「いいなー」と呟いた。宿の部屋は女性と男性でわかれて確保してあるが、留守番のときは大部屋である男性の部屋に集まるのが常である。

 アカリの場合、街の中で迷子になったら大変だし、聖女であることがバレてもまずい。宿屋で大人しくしているのが正解なのだが、さすがに暇だ。

「……少し出てみるか?」

 羨ましそうに外を見ているアカリに気づいて、フランツが声をかける。

「え、でも危ないんじゃ……」

「ちょっと見に行くくらいは平気だろ。まだ日暮前だ」

 フランツからの誘惑に、アカリの気持ちも揺れる。止めてくるだろうかとギルベルトやリヒトをちらりと見たが、その目は「行ってきたらいい」という感じしかない。

「……じゃあ、ちょっとだけ……」

 結局アカリは誘惑に勝てなかった。


「ねぇ王子、あれなに?」

 街を歩きながら、アカリがフランツの袖をひっぱった。アカリの黒髪は外套のフードを深く被ることで隠されている。

「吟遊詩人だろ」

「ははー……すごいファンタジーだ」

 あの楽器で戦い始めるの? とアカリは見当違いなことを言い出したので吟遊詩人はなんたるかを説明すると、不満げな顔をされた。

「ゲームでは吟遊詩人のお兄さんも戦ったりしてるけどな。後半で敵に寝返るか死ぬかどっちかだけど」

「随分ひどい扱いだな」

 ゲームが何かは以前アカリから教えられた。結局フランツにはよく分からなかったが。

 こうして並んで歩いていても、アカリはなんてことないただの女の子だ。フードを目深に被っているせいで視界が悪いのか、フランツの服の袖をきゅっと握りしめている。

「ほら、手」

 そんなところを掴んでいるくらいなら手を繋いだほうが楽だろうに、と手を差し出す。

 アカリは黒い目をきょとんと丸くしたあとでおずおずと手を重ねた。

「残念なイケメンのくせに……」

 くぅ、とアカリが小さく文句を言っているようだが、アカリとの旅も長くなってきてフランツは聞き流すようになっていた。残念はどういうことだ、と思いつつもイケメンの意味が分からない。

「王子ってなんか手馴れてない? 実は遊び人なの?」

「失礼な奴だなおまえは。エスコートには慣れてる。常識だからな。まぁこれはエスコートともいえないか」

 子どもの手を引いて歩いているようだ、とフランツは笑うのでアカリは頬を膨らませた。ここ最近特に子ども扱いが増えている。

「子どもって言いたいの……っと、ごめんなさい」

 人混みのなか人とぶつかってばかりのアカリを、フランツは庇うように引き寄せる。引き寄せた肩は小さい。

「天気が崩れそうだな、宿に戻るか」

 フランツが空を見上げて呟いた。少し前まで青空だったが、今は薄い灰色の雲が空を覆い始めている。風に湿り気があり、雨の気配を教えていた。

「そうだね……あ」

 ――ぽつり、ぽつりと雨粒が落ちてくる。

「遅かったか」

 チッと舌打ちして、フランツはアカリの手を引いた。ただの通り雨なのだろうか。雨脚は急激に強くなった。

「う、わ、わ」

 アカリの被るフードがみるみるうちに重くなっていく。フランツの金色の髪もすっかり濡れてしまっていた。

 一旦宿まで戻ることを諦めて、表通りから外れた店先で雨宿りする。

「フードとりたい……」

「やめとけ」

 じっとりと湿ったフードは髪が濡れるより気持ち悪い。しかし人混みから離れたとはいえ人目のある場所でアカリの黒髪を晒せば瞬く間に注目を浴びるだろう。

 空を見上げても、まだ雨は止む気配がない。

「聖具もあと二つかー……。王子は旅が終わったらどうすんの?」

 何気ない質問だった。少なくともアカリにとっては。

 雨が止むまでの間の世間話程度のつもりだった。

「さぁ……どうだろうな」

 しかしフランツは曖昧な笑みを浮かべて、答えてくれなかった。

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