第43話 恋のひとつやふたつ、俺だってしてるさ
ルティアナとマコトが買い出しを終えて戻ってくると、部屋にいるはずの人物が二名ほど足りない。
「アカリと王子は?」
ルティアナが持っていた小さな荷物を起きながら問いかける。買ってきた大半の荷物はマコトが持ってくれたのでルティアナは身軽だ。
「嬢ちゃんが外に出たそうにしてたから、少し前に出かけたけどまだ戻ってきてないな」
「雨が降ってきたのに……大丈夫かしら」
雨はちょうどルティアナとマコトが宿屋に着いた頃から降り始めた。おかげでルティアナはほとんど濡れていないが、今外にいるならびしょ濡れだろう。
フランツと一緒ならアカリの身に危険はないだろうと思うが、同時に別の不安が膨れる。
ルティアナが表情を曇らせていることを、マコトは見逃さなかった。マコトがお茶でも淹れましょうかと話題を逸らそうとしたとき、バタバタという足音とともにアカリとフランツが帰ってきた。
「ただいまー」
「おかえりなさい。すっかり雨に降られてしまったのね」
ルティアナはタオルをアカリに渡して苦笑する。
「小雨になってきたから走ってきた」
あはは、と笑いながらアカリがフードをとる。アカリの黒髪は毛先がしっとりと濡れているが、そこまで被害はなさそうだ。
むしろびしょ濡れのはフランツのほうで。
「着替えてくる。――隣、借りるぞ」
着替えとタオルを持ってフランツが部屋を出る。隣はアカリとルティアナの部屋だ。
「一応アカリの心配もしたらどうなのかしら」
見るからにフランツのほうが濡れていたとはいえ、女性に冷えは大敵だ。
「あたしは濡れたのコートくらいだし平気だよ」
もともと旅装の外套は生地が厚めだ。すっぽりとフードを被っていたからか、外套以外はそれほど濡れていない。
マコトが淹れてくれたお茶を受け取りながら、アカリは空いているベッドに腰かけた。
「……旅が終わったらさ、皆はどうするの?」
お茶を飲みながら、アカリがぽつりと呟く。
「なんだ嬢ちゃん、急に」
「ん、ちょっと」
先程フランツに問いかけたとき、あれはおそらくはぐらかされたのだと思う。なぜはぐらかしたのか、アカリにはわからなかった。
アカリが口籠もると、ギルベルトはニヤリと笑った。
「俺は別に元の生活に戻るだけだが、他は大変だろうなぁ」
「たいへんって?」
「縁談だよ縁談。特に婚約者もいないし、争奪戦だろうな。特に第二王子なんていい物件だし」
ギルベルトの言葉に、アカリが絶句した。縁談。えんだん。
「……え、えんだん」
ぽかんと口を開けて、どうにかそれだけ口にする。アカリの間抜けた顔に、ギルベルトは面白げに笑った。
「あいつも無駄に顔はいいから人気あるんだぞ?」
「――ギルベルト」
ルティアナが少し怒った顔でギルベルトを窘めたが、本人はどこ吹く風である。
「え、えっと……やっぱりあたしも着替えてくるね!」
「アカリ!」
着替えるもなにも、隣の部屋ではそれこそフランツが着替えている最中だろうに、止める暇もなくアカリは飛び出していった。
その背中を見送ったあとで、キッとルティアナがギルベルトを睨みつけた。
「ギルベルト! どういうつもりですか!」
「別に? 若いもんの恋路を応援してるだけだが」
「恋路って……! そんな無責任なこと!」
開き直ったようなギルベルトに、ルティアナが歩み寄り手を振り上げるが、それよりも先にギルベルトが苦痛に顔を歪める。
こんなときにルティアナの身を守るためにかけた魔法は邪魔だ。一発殴らなきゃ気が済まないのに。
フランツとアカリの様子を見ていれば、二人がいつか恋に落ちるんじゃないか――ということは、誰でも想像がつく。
もしかしたら、フランツあたりは自覚しているかもしれない。
けれど誰もが触れなかった。触れていいとは思えなかった。そこをギルベルトが、本人にはわからぬ形で土足で上がり込んだのだ。
彼らの恋の行先が幸福であるとは限らず、傷ばかりをつけるものになってしまうのではないか。ルティアナはそれが不安だった。
「姫さんがそんなに騒ぐことでもないだろうよ。あいつらもガキじゃないんだ、どうなろうが自己責任だよ」
「だからって……! アカリは帰るのに……!」
「それもだよ姫さん。あんたは最初から嬢ちゃんを帰すと決めて、周囲にもそう言ってきた。それはフェアじゃないんじゃないのか?」
フェアじゃない、というギルベルトの強い言葉に、ルティアナは反論を飲み込んだ。
「自分の従者には選べるようにと選択肢を与えておきながら、嬢ちゃんには初めから『帰る』道しか用意しない。それは正しいことなのかね?」
ギルベルトの言葉は容赦なくルティアナの胸を刺す。
異世界から呼ばれた聖女を、無事に元の世界へ帰す。それがアークライト家の人間として、先代聖女の子孫として、何よりマコトの主として、やらなければならないことだと思ってきた。
だからアカリは真綿で包むように守って、必要以上のことを教えないで、彼女が迷いなく元の世界へ帰れるように導いてきた。それが傲慢と言われたらそうなのかもしれない。
それでも。
「……たとえ正しくないんだとしても」
手近にあった鞄を掴み、ルティアナは思いっきりギルベルトの顔に投げつけた。直接殴れないのだからこうする他ない。
「こんな障害を抱えた恋なんて、あとから辛くなるだけだって嫌というほどわかっているからこうしてるのよ!」
ギルベルトの顔には飛んできた鞄が見事に命中し、彼は当たった勢いのままベッドに倒れた。
「あなたには、そんな気持ちは分からないでしょうけどね!」
ルティアナは涙まじりに叫んで、部屋を出て行く。マコトがちらりとギルベルトを一瞥して、すぐにルティアナのあとを追った。
残されたゼストは困惑して、閉まった扉とギルベルトを交互に見ている。
「……恋のひとつやふたつ、俺だってしてるさ」
ルティアナに投げつけられた鞄は、ギルベルトの顔を隠すように乗ったままだ。
「あー……くっそ、いてぇなぁ……」
小さな呟きは、虚しく部屋に響いて消える。
「……ゼスト、冷やすものをもらってきてくれますか」
おろおろとしていたゼストに、リヒトがいつもと変わらぬ声音で告げた。ゼストはこくりと頷き、部屋から出ていく。
「……なんだよ、笑いたきゃ笑えよ」
不貞腐れたようなギルベルトにリヒトは「笑いませんよ」と返す。
「理解しかねますけどね。自分が叶わぬ恋だからといって、他人の恋路に横やり入れるんですか」
「叱りたいならあとにしろ」
今は聞いている余裕はない、とギルベルトはリヒトによって奪われた
*
――王子に縁談。
ギルベルトの言葉をアカリは頭の中で何度も繰り返していた。
そりゃそうだ。だってここは異世界なんだから、結婚適齢期が晩婚化の進んだ現代日本と同じであるはずがない。
ましてはフランツは王子なのだから、本当なら綺麗でかわいい婚約者がいてもおかしくない。おかしくない、はずなのに。
ぼんやりとした頭でアカリは部屋の扉を開ける。少しだけでもいいから、横になろう。ぐるぐると考えすぎてしまう頭を休めたかった。
「……おい」
「へ?」
女子部屋から低い声がしてアカリは顔を上げる。そこには上半身裸のフランツが、呆れ顔でアカリを見ていた。
「んひゃあ!?」
声を上げ、アカリは慌てて後ろを向く。そうだ、フランツは着替えてくるとこっちの部屋に来たんだったと思い出す。
「また寝ぼけてんのかおまえは」
着替えを堂々と覗かれたにも関わらず、フランツは怒った様子もなく笑った。
「いや寝てないし寝ぼけてないし」
「いいから。とにかく扉閉めろ」
ええ、はい。むしろ出て行きますよ、とアカリが言う前に剥き出しの腕が背後から伸びてきて、開いたままだった扉を閉めた。
アカリは驚愕のあまり目が飛び出すかと思った。
――まて! あたしを出せ!
「アカリ?」
耳元をかすめる、首筋を撫でるような低音の声に腰がくだけそうになる。腰がくだける、とはこういうことだったのかとアカリは十六年生きていて初めて知った。
「ふ、服着てよ。女の子の前でそのカッコはどうなの」
目のやり場がなくて、アカリは仕方なく扉をじっと見る。すぐ傍に半裸の異性がいるというのは心臓に悪い。
「ああ、忘れてた」
熱が離れていったところで、アカリはほっと息を吐いた。
いや別に半裸くらいどうってことないはずなのだ。プールとか、海水浴とか、男の人たちは惜しげもなく上半身を晒してるものだし。
しかしアカリはすぐに振り返ることができずに、細く長いため息を吐き出しながらこつん、と扉に額をつける。
「おまえなんか変じゃないか?」
「いや王子に変とか言われたくないし」
アカリは年頃の女性としてまともな反応だったと思う。文句を言いながら振り返ると、フランツと目が合った。
窓を打ち付ける強い雨の音が部屋のなかにまで響いてくる。
熱を帯びた青い瞳に自分の顔が映っていて、他のものは何も見えていないくらいにしっかりとフランツはアカリを見ている。
魔法にかかったみたいに、アカリもフランツから目が離せなかった。吐き出す吐息か、どちらのものなのかどうかも分からない。それはひたすら熱く甘く、脳が痺れそうな感覚に陥る。
怖い。この先にある感情を暴いたら、きっとアカリは元の自分に戻れなくなる。そんな気がした、そのときだった。
「あなたには、そんな気持ちも分からないでしょうけどね!」
隣の部屋から、壁さえぶち抜く勢いで怒鳴り声が聞こえる。それはアカリもフランツも馴染みのある声だ。
「……る、ルティ?」
「……なにやってんだあいつら」
フランツが訝しげに扉へ向かう。ドアノブに手をかけたところで振り返りアカリを見た。
「着替えるんだろ? ちゃんと鍵閉めろよ。おまえみたいなアホが入らないように」
アカリの髪はフード越しの水分でしっとりしている。
そうだ、着替えようと思ったんだった。すっかり忘れていた目的を思い出す。
――ぱたん、と扉が閉まる。
アカリは一人きりになった部屋のなかで、扉をじっと見た。雨音がまるでアカリを落ち着かせるようとするみたいに音楽を作る。
頬が火照る。
心臓はもうずっと早鐘のように鳴っている。
あう、とアカリは声を漏らしてずるずるとその場に座り込んだ。
「顔があつい……」
それは風邪や体調不良による発熱などではないということくらいは、アカリにもわかっていた。
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