第10話 それなら『指きり』しましょう?

 目蓋越しに眩い光を感じて、ルティアナは目を覚ました。

「ん……」

 マコトに寄りかかって眠っていたはずなのに、いつの間にかマコトの膝を枕にしていた。

「お嬢様、目が覚めましたか?」

 見下ろしてくる黒檀の瞳を見上げて、ルティアナは何度か瞬きをする。これはあれか、膝枕というやつか。

「……いつからこうなっていたのかしら。ごめんなさいマコト、足が痺れたでしょ?」

 むくりと起き上がりながら謝ると、マコトは微笑みながら「いいえ」と答えた。

「これくらいで痺れたりしませんよ。さ、向こうの川で顔を洗ってきてください」

 荷物からタオルを出してマコトはルティアナに渡した。気づけばギルベルトとフランツ以外は目を覚ましてテキパキと動いている。

 早く身支度を整えて手伝おう、とルティアナは急いで顔を洗う。

 冷たい川の水はまだ寝ぼけていた頭をすっきりさせた。朝特有の澄んだ空気を吸い込んで、うん、と背伸びして、ルティアナは野宿で固まった筋肉をほぐす。

「あ……おはようございます、ルティアナさん」

「おはよう、ゼスト!」

 戻るとゼストがまだぎこちなく笑いながら挨拶してくれたので、ルティアナは思わず抱きついた。ぎゅうぎゅうと思いっきり抱きしめていたら、すぐにマコトによって引き剥がされる。……まるで猫が首を掴まれ持ち上げられているような体勢だ。

「……主に対してこの振る舞いはどうなの」

「見てください、ゼスト様が驚いて固まってます」

 マコトの指摘どおり、ゼストは頬を赤くしてカチコチに固まっていた。あら、とルティアナは目を丸くする。ここまで驚かせてしまうとは思わなかった。

「朝の挨拶なら俺は大歓迎だぞ?」

 起き出したギルベルトが髪をかきあげながらにやにや笑う。

「わたしはまっぴらです」

 ギルベルトはない。絶対にない。大きいし硬そうだし汗臭そうだし。抱きついたところでルティアナはちっとも楽しくないではないか。

 ……マコトは背が高いし筋肉もしっかりついているが、抵抗なく抱きつける。だって汗臭くないし。マコトだし。

「……俺に抱きつかないでくださいよ」

 ルティアナがじぃっとマコトを観察していたので察したのだろう、さっくりと実行前に釘を刺された。

「小さい頃はぎゅってしても怒らなかったじゃない」

「怒りましたよお嬢様が聞いてなかっただけで」

「マコトも大きくなったから、前と違うのかしらと思って」

「そりゃ違いますよ、だからって抱きつかないでください」

 ダメだと言われるとどうしてもやりたくなるのがルティアナという人間だが、ルティアナ以上にルティアナを理解はしているマコトは見事によける。

「姫さんは抱き心地よさそうだよなぁ、特に胸とか――ぶっ」

「ギルベルト様も早く顔を洗ってきてついでに頭を冷やしてください。朝食にしましょう」

 マコトがギルベルトの顔にタオルを投げつけて、さもなくば川に沈める、と冷ややかに睨みつけた。

 リヒトが呆れたように「俗物だな」と呟いて、目を覚ましたフランツも頷いている。ギルベルトの味方はさっぱりいなかった。



 ルエルの森は、王国の北東にある鬱蒼とした森だ。森の奥は何人も足を踏み入れたことのない、原初の森と繋がっている。学説では原初の森のさらに奥に、魔物の住処があるのではと言われているが立証されていない。

 だんだんと魔物との遭遇率は高くなったが、そこはやはり精鋭部隊だ。ギルベルトが一撃で斬り伏せたりリヒトが弓であっさり射抜いたり、団体様はゼストによって焼き尽くされた。


「魔物っていうのも、なんなんでしょうね。魔王とかわかりやすいのがいてくれればいいんですけど」

 冒険モノといえば勇者で魔王だ。魔王を倒せば、はい平和というわかりやすい仕組みになっているものだが、この世界では違うらしい。


「魔王って……物語の読みすぎだわ」

 ――と、いうことになるらしいのだ。


 マコトはルティアナの髪を梳きながらそんなもんか、と思った。漫画では定番だったのに。

 無事に今夜は宿屋に泊まることができたので、マコトは屋敷にいた頃と同様にルティアナの寝支度を手伝っている。明日にはルエルの森に到着する予定だ。

「魔物とは世界を循環する魔力を必要以上に吸収し変異した生き物、とされているわ。魔王なんてお話のなかの悪の象徴であって、実際にいるわけないのよ」

 その土地によって宿る魔力は差があるものだが、人の手の加わっていない土地は総じて強い魔力を宿す。なので人里離れた辺境には魔物が多い。

「本来は討伐なんてしなくても魔物は魔物の領域で生きているけど、魔物の数が増えればそれだけ人の土地にあぶれてくる。だからこうして数十年に一度、聖女が必要になるのよ」

 国の東西南北の四ヶ所には浄化の力を宿した聖具が祀られている。その力で魔物を遠ざけているのだが、それも永遠の力ではない。力が弱まれば補強しなければならなくなる。

「王都では聖女召喚の準備を進めているんでしょうね」

「そうね、これで失敗したら笑えないわね。国民は聖女はもういると思っているんだから」

 鏡に苦笑するルティアナの顔が映った。既に聖女の召喚は大々的に公表されている。ルティアナは聖女代行の役目として街ではフードを被り、その瞳が青いことを隠していた。

 フードからこぼれ落ちる黒髪を見るだけで、誰もが聖女さまと喜んでいた。……ちなみにマコトも、面倒なことになりそうなので帽子を被って黒い髪を隠している。

 それにしても、それなら聖女なんてわざわざ異世界から呼ぶ必要はあるのだろうか、なんてマコトは思った。

 聖具の力を回復させるために、王都の大神殿に運び、また元の場所に戻す――聖女に任されているのはたったそれだけだ。

「聖具に触れられるのは聖女だけなのよ」

 マコトの心を読み取ったように、ルティアナが口を開いた。鏡越しに目があって、マコトはそんなに顔に出ていただろうか、と笑った。

「俺は、お嬢様が無事ならそれでいいですけどね。明日はくれぐれも危ないことしないでくださいよ?」

「しないわ。してないでしょう? ちゃんと大人しくしてます」

 あのお転婆のルティアナが大人しくしているなどと言っても、当てにならない。じとり、と鏡越しにマコトが見つめるとルティアナは「もう」と口を開いた。

「疑ってるわね、その目。あ、それなら『指きり』しましょう?」

 ルティアナが子どものように笑いながら、小指をマコトに向けて差し出す。指きりも、マコトがルティアナに教えたことだった。こちらの世界にはない習慣だ。

 こうして二人で何か約束するとき、ルティアナは思い出したかのように指きりをねだる。

「『指きりげんまん、嘘ついたら針千本のーます、指きった!』……ね、約束」

「はいはい、指きりしましたからね」

 マコトは釘を刺しながらルティアナの手をとり、その手のひらに触れる。柔らかく滑らかなルティアナの白い手は、旅に出て少しだけ荒れてきていた。それがなんだかいとおしくて、マコトはルティアナの手を撫でる。

「おやすみなさい、お嬢様」

 いつもの挨拶を口にして、マコトはルティアナの手のひらにキスをした。

 え、とルティアナが目を丸くしているうちに、マコトはくすくすと笑って部屋から出て行く。


「……なんで、手のひら?」


 いつもの挨拶の、いつもと違うマコトの行動にルティアナはほんのりと頬を赤く染めながら、自分の手のひらを見下ろした。




 ――ルエルの森は、その入り口からして人を拒むように薄暗く淀んでいた。

「さっそく何匹かいるな」

 フランツが剣を構えて低く呟く。ギルベルトやフランツも、いつでも応戦できるように構えていた。

「奥に入るより、ここまでおびき寄せたほうがよさそうですね」

 戦いの気配がすれば魔物は集まってくる。血の匂いや魔力に引き寄せられているようだった。既にいるのは三、四匹だが、すぐに倍以上になるだろう。

「マコト、今回はわたしよりも魔物の掃討を優先して」

 傍で剣を構えていたマコトに、ルティアナは告げた。今まで魔物と遭遇したとき、マコトはルティアナのそばを離れなかった。

「……お嬢様」

 より危険な状態なのに、ルティアナのそばを離れるなんてありえない。マコトが不満を露わにすると、ルティアナは笑った。

「マコトが前に出て魔物を倒してくれるほうが早く済むわ。結果的にはわたしの安全に繋がる話だけど?」

 魔物をさっさと排除すればいい話だ。それにマコトは戦力になるのだから、しっかりと働くべきである。

「……わかりました」

 マコトは苦い表情で、ひとまず頷いた。たぶん手加減なしに本気で戦うだろう。ルティアナが意見を曲げないということを知っているから、マコトは言うとおりに前線で戦うしかない。その苛立ちをすべて魔物にぶつけて発散するつもりなのだ。

「……ゼストも、わたしに防御の魔法は使わなくていいわよ?」

「え……」

 気づいていたのか、という顔だった。今までも、魔物との戦闘中はゼストがルティアナに防御の魔法をかけていた。魔法の使えないマコトは気づかないだろうが、ルティアナにはわかった。

「魔物を一掃するときにはゼストの力が必要になるんだから、他のことにまで力を使うことはないわ」

「でも、ルティアナさんが……」

 じわりじわりと魔物の数は増えてきている。ゼストが渋ったが、ルティアナは笑顔でそれもねじ伏せた。

「いいから。戦うことに集中して?」

 ルティアナがそう告げた瞬間、魔物が動き出しギルベルトたちもそれに応戦した。ゼストが反論する間もなく、戦いが始まる。

 マコトは剣を握り締めながら心中穏やかではなく、今すぐ叫びたい衝動を堪えていた。


 ――自分から死亡フラグたててどうするんですかお嬢様!!


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