第9話 まぁ、ちょっとした魔除けですわ
旅も既に三日目の夜を迎えている。
最初の二日は無事に街に宿泊できたが、三日目ともなるとさすがに無理だった。市街地から離れた魔物の多く出る地域に向かっているのだから当然といえば当然である。
野営の準備はほぼギルベルトとマコトがやった。その間にリヒトが弓で鳥を仕留めて、ゼストとフランツは枯れ枝を拾ってくる。そしてマコトが調理する(マコトは鳥をさばくこともできた)といった具合で、ルティアナはまったく出番がない。
せいぜい出来ることといったら
癖のあるメンバーだが、無駄に紳士なのでルティアナが何かしようとしても必要ないから休んでいろ、と断られてしまう。
「最初に向かうのは北東のルエルの森でしたわね」
はむはむ、とマコトの作ったサンドイッチを頬張りながらルティアナは確認した。
「そうです。アークライト家の領地から出ますからね。道中で魔物に襲われる可能性があがります。気をつけてください」
リヒトが同じようにサンドイッチを食べながら、全員に注意する。こうして食事をしながら今後の流れを確認することが多いので片手で食べられる食事は重宝される。
「ああ、そうそう。これを皆様に差し上げます」
ごくんと最後の一口を飲み込んで、ルティアナは荷物からごそごそと何かを取り出した。
ルティアナの手のひらにおさまるほどの大きさの袋だ。丸く膨らんでいて、首やどこかに下げられるように紐がついている。
「なんだこれは」
そのなかのひとつの青い袋を受け取ってフランツが不審そうに眺めた。まだルティアナのことを信用できないらしい。中にカエルでも仕込んでおけば良かったかとルティアナは思った。
「香り袋です。うちの領地にしか咲いていない野草を調合してます。まぁ、ちょっとした魔除けですわ」
アークライト家の庇護下にある土地には、何故か国内でも見たことのない花が咲いている。そして、何故かアークライト家の領地は魔物による被害が少なく、そもそも魔物の目撃例も少ない。
これから一行はアークライト家の領地を出る。だから魔物との遭遇率は上がるのだ。
「効くのかこれ?」
ギルベルトも信じられないといった顔で見つめている。無理もない。領地に咲く花と魔物との因果関係は、正式には立証されていないからだ。
「魔物が近づきにくい、程度の効果はありますよ。それはうちで実証済みです」
これは旅のことは関係なしに、ルティアナの好奇心によって試された。
花と魔物、もしかしたら関係あるのでは、と家庭教師に告げ、さらに薬草について詳しく学び、その上で調合した香り袋の中身に使った鼻を燃やして煙を焚いた。
その煙を厭うて、その時珍しく領地の外れに姿を現した魔物は逃げていったのだ。
「そういうことなら、ありがたく使わせてもらいます」
「……ありがとうございます、ルティアナさん」
リヒトが薄紫の香り袋を取り、最後に残っていた赤い香り袋をゼストが受け取りながらふんわりと微笑む。かわいい。
「ぎゅってしても」
「……お嬢様」
やめてください、とマコトに諌められてルティアナはしぶしぶ大人しくなった。ゼストは困ったように微笑んでいる。
「すげーな、姫さん。あのゼストをもう懐柔してやがる」
いい子いい子、とゼストの頭を撫でているルティアナを見ながらギルベルトが笑った。
天才少年、稀代の魔術師――そう呼ばれるゼスト・クラウスは人見知りも激しく極力他人とは話さない無口な少年だったはずなのだが。
ギルベルトやリヒトの、ルティアナの評価は早々に改められた。
普通の公爵令嬢としてはおかしいのかもしれないが、馬に乗れることも野宿を厭わないことも、大衆食堂のような騒がしいところでの食事も気にしないことも、たいへん助かっている。
正直ごちゃごちゃとわがままを言われたら、と頭を悩ませていた。
野宿にあたっての食事だって、今日はパンがあったからマシだが、これからは保存食で済ませることもある。それを前もって告げた時、ルティアナは「それはもちろん、当たり前でしょう?」となぜそんなことを聞くんだという顔をしていた。
「この調子なら明日には次の街に着くだろ」
「そうすればルエルの森はすぐそこですね」
地図を眺めながら明日の予定を確認しているフランツたちを眺めながら、ルティアナはふあ、と欠伸を噛み殺した。
「――お嬢様、疲れたでしょう。そろそろ休みますか?」
いち早く気づいたマコトが毛布を持って声をかけてくる。ルティアナも体力があるほうだが、さすがにこのメンバーのなかではゼストと並んで体力が尽きるのは早い。
ゼストが魔除けの魔法を周囲にかけているので、夜になって全員が眠ってしまっても魔物に襲われる心配はない。安心して眠れるのは良いことだ。
「……そうね、早めに寝て明日に備えるわ」
マコトから毛布を受け取り、それに包まる。ルティアナ用にと準備された毛布はサイズもちょうどよく、肌触りは極上だ。
「おやすみなさい、マコト」
いつものように、すっかり習慣になったおやすみのキスをすれば、マコトも苦笑まじりにルティアナの頬にキスを返す。
「おやすみなさい、お嬢様」
もたれかかることができるように、とマコトはルティアナの隣に座り自分の肩を枕代わりに差し出す。
「…………おまえら、何やってんだ」
一部始終を見ていたほかの四人を代表して、フランツが口を開いた。
――何を? と首を傾げてからマコトは自分の失態に気づいた。
あまりにも当たり前のことになっていて、ルティアナもマコトも周囲の目があることを忘れていた。いや、ルティアナは誰かに見られていようが構わない気もするが。
「いや、あれは、あー……お嬢様の小さい頃からの癖というか」
「いちゃいちゃするなら見えないとこでしろよー」
「そういうんじゃありませんから!」
ギルベルトが飛ばしてくる野次にマコトも声を荒らげる。
昨日は宿屋に泊まったし、女性であるルティアナは当然一人だけ別室だったので恒例のおやすみの挨拶を見られることはなかったのだ。
「寝る前の挨拶くらい誰だってするでしょう」
騒ぐこと自体が理解できないとでも言いたげに、ルティアナは眠そうな声で告げる。
「へぇ、じゃあ姫さん俺にも」
「寝言は寝てからおっしゃってくださいな」
なぜギルベルトにおやすみのキスをする必要がある。
「あ、ゼストにならするわよというかむしろしてくれても」
「お嬢様困ってます、困ってますから」
むしろ俺も困ってます、とマコトは正直に言いたい。マコトもすっかり癖になっていたから習慣とはおそろしい。
「……おまえら、少しは周りを見ろよ」
はぁ、と呆れたようにフランツがため息を吐き出す。今だって当然のようにルティアナはマコトの肩にもたれている。
「空気の読めない王子に言われたくありませんわ」
眠気も高まっていて、ルティアナも些細なことでムッとなる。
「お嬢様、寝ましょうか。おやすみなさい」
ここでフランツとルティアナの口論が始まれば寝る時間がなくなる。
これはまずい、とマコトが強引に割って入り、立ち上がりかけたルティアナの頭をそっと自分の肩に押し付けて、ぽんぽんとやさしくなだめる。
むう、とルティアナは膨れていたが、疲れもあって目蓋はすぐに落ちていく。しばらくすると、マコトの肩にもたれてすーすーと小さな寝息をたてていた。
「猛獣使いか、おまえは……」
「お嬢様は猛獣じゃありませんよ」
かなりお転婆でちょっと変わっているだけで、という言葉は飲み込んでおく。
「似たようなもんだ」
フランツは呆れたように吐き出して、毛布を引っ張り出している。その様子に他のメンバーも寝る準備を始めていた。
マコトは肩にもたれるルティアナのぬくもりに苦笑しながら毛布をかぶる。
こうしてルティアナが無防備な姿をマコトに見せることは、嫌でも慣れてくる。
慣れているけど、慣れない――というのはおかしな言葉だが、まさにその通りで、この状況で眠れないほどマコトは純情ではないけれど、まったく意識せずにいられるほど悟りも開いていない。
ああでも、彼女の寝顔を他の男には見せたくない。純粋な独占欲ゆえに、そう思ってしまう。
眠るルティアナの頭を肩から自分の膝に移動させる。横になったほうが身体も休まるはずだ。ルティアナは一度眠るとなかなか起きない。
さらりとした黒髪を撫でて、マコトはゆっくりと目を閉じた。
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