第53話 ばいばい、フランツ

 儀式を見守っていた貴族たちからは徐々に動揺が生まれていた。

「突然、聖具になにを――!」

「あまりにも勝手な行動なのではありませんか!」

 ルティアナの行動に不満を露わにする者が出てくるなかで、一人の衛兵が大神殿に駆け込んできた。

「大変です、大神官さまの姿が消えました!」

 その知らせに、ルティアナは目を見開いた。このタイミングで、どうして大神官が。

 周囲がざわめくなか、ルティアナは大神殿の二階、展望席でキラリと何かが光るのを見た。本能的にそれが何かすぐに分かる。――矢だ。

「アカリ!」

 キラリと光った矢は、アカリに向けられているように見えた。ルティアナが叫んだ時には矢は放たれている。

 矢がアカリを射抜こうとするなかで、隣にいたフランツが抱きしめるようにかばった。剣を抜く余裕はなかった。

「――王子!」

 アカリの悲鳴が響く。フランツの左腕を矢がかすめた。突然のことに貴族たちは悲鳴をあげ、一刻も早く逃げようと必死になっている。

「騒ぐな、かすり傷だ」

「かすり傷って……し、止血しなきゃ」

 何か縛るもの、と探した末に、そんなちょうどいい布があるはずもない。

 アカリはセーラー服のスカーフをとって震える手でフランツの傷口に巻いて縛った。赤いスカーフはみるみるうちに血を吸いこんでいく。

 矢が再びアカリやフランツのもとへ降るが、それは見えない壁に阻まれた。続けてルティアナのもとへ向かってきた矢は、途端に消し炭になる。

 しゃらん、とゼストは杖を握りしめて敵を睨みつけた。

「この場で、俺に敵うと思わないでください」

 大きな魔法を使ったあとだとしても、この場でゼスト・クラウスに敵う魔術師などいない。

 衛兵たちが慌ただしく武器を持つ男たちを捕らえ始める。そのときだった。


 ――リィン、と音が響いた。


 それは、鈴の音に似ていてまったく別のもののにも思える不思議な音だった。

「やったぞ……! ついに始まった……! 聖女の道はもうすぐ閉じる!」

 衛兵に捕らえられた神官の一人が叫ぶ。リィン、リィン、と、それは悲鳴のように鳴り響いている。

「まさか! アカリのものは何一つ他人の手には――」

 ルティアナが驚き声を上げた。帰還の道は、向こうの世界のものを送り返す必要がある。アカリが持ってきたものはひとつ残らず彼女が今、身につけている。

「でも確かに帰還の魔法が発動してます……!」

 魔法の発動の気配を感じ取っているのだろう、ゼストが慌てた様子で声を上げる。ルティアナが小さく「まさか」ともう一度呟いた。

 そんなことありえない、ありえないはずなのに。

「……じゃあ、あたし、帰れないの……?」

 迷子のように怯えて途方にくれたアカリの声に、ルティアナは唇を噛み締めた。そんなことあってはならない。誰かの思い通りになんてさせない。

 ゼストはぐっ、と杖を握りしめてルティアナを見た。

「行ってください、早く!」

 ゼストの声と同時かそれよりも早いか、フランツはアカリの手を取り駆け出した。そのあとにギルベルトやリヒトも続く。

 どこからか湧水のように出てくる妨害者は、ゼストが魔法で容赦なく吹き飛ばした。

「ゼスト……!」

「俺は、ここに残りますから、ルティアナさんも早く!」

 避難していない国王や王妃には防壁を、衛兵には補助の魔法を、邪魔するものには鉄槌を。ゼストは息をするように数え切れない魔法を駆使する。

「ルティ!」

 マコトに手を引かれてルティアナも駆け出した。




 ――リィン、リィン、とその音は止まない。

 マコトに手を引かれて走り、すぐにフランツたちの背を見つけた。フランツは追いついたルティアナを一瞥して、走りながら叫ぶように問う。

「なぜ魔法が発動している!?」

「わかりません! 先代聖女が向こうの世界から持ち込んだものは、すべて向こうに返されてます!」

 この世界にある向こうの世界のものは、アカリが持ってきたものだけだ。だからルティアナはアカリに何度も注意した。

 決して、なくさないように、と。万が一にも、こんなことが起こらないように。

「だが――」

 現実に、帰還の魔法は発動している。フランツが走りながら言葉を零す。なぜ、という問いが止まらなかった。

「……ランドセル……」

 半ばフランツに引きずられるように走っていたアカリが、はっとして呟いた。

「……マコトさんの、ランドセル……! 背負ってこの世界に来たって言ってなかった!?」

 マコトもすぐにその時の会話を思い出して唇を噛んだ。ついこの間のことだ、まだ記憶にも新しい。

「気づいたときには持ってなかったから、てっきり向こうにあるのかと思っていたけど……」

 マコトがこの世界に落とされたのは、下校中だった。しっかりと背負っていたそれが、簡単に失くすとも思えない。だが突然見知らぬ世界に落とされたマコトは、所持品の有無なんて確認している余裕はなかったはずだ。

 マコトのランドセルがひっそりとこの王国にあったとしたら、それは間違いなく帰還の魔法の鍵となる。

 リィン、とまた音が耳を貫いた。

「この音は!?」

「異世界のものとはいえ、十年もこの世界にあったものですよ。それに、今回召喚されたアカリのものでもない。もしかしたらそれで魔法が上手く発動できていないのかもしれません」

 帰還の魔法についてはさすがのルティアナも詳細はわかっていない。

 まるでやめろというように、音は鳴り響く。同時にアカリに早く、早くと急かすようでもあった。

「なら嬢ちゃんが間に合う可能性は充分にあるな」

 励ますようにアカリの肩を叩き、ギルベルトは剣を抜いた。

「リヒト、付き合え!」

「もちろん」

 後方からは武装した男たちが追ってくる。叫び声が背に投げつけられて、その距離は少しずつ縮んでいた。リヒトもギルベルトに同意して、細身の剣を抜いた。

「おっさん! リヒトさん!」

 足止めするつもりなのだ。アカリはフランツに手を引かれながら叫ぶ。リヒトが微笑んだ。

「先に行け! あとで追いかける!」

「先にって……!」

 アカリが二人の背に声を投げかけても、二人は振り返らなかった。じゃあな、とギルベルトの声がした。剣と剣がぶつかり合う音が、遠くなっていく。




「こっちだ、こっちの方が早い!」

 アカリの手を引きながらフランツは入り組んだ城の庭を駆け抜ける。

 召喚の間が近くなればなるほど、リィンと響く音が大きく強くなっていくのが分かる。

「――いたぞ!」

 近づいてくる追手の声に、マコトは舌打ちして剣を抜いた。足音は一人分ではない。最低でも五人はいるだろう。マコトとルティアナは目を合わせると、頷いた。

 この先に進むべきなのはアカリであって、ルティアナではない。

「王子、アカリ、先に行ってください。わたしとマコトで追い払います」

 マコトとルティアナが立ち止まると、走り続けるアカリとフランツとの間にはみるみるうちに距離が開いていく。

「そんなっ……ルティまで!」

 アカリの声が遠くなる。フランツは速度を緩めなかった。それでいい、急いでアカリを召喚の間まで連れて行かなければならない。

 迫ってくる足音が近い。けれどマコトがそばにいる限り、ルティアナは少しも怖くなかった。いつだってそうだ。彼と一緒にいるのなら、怖いものなんてない。

 ルティアナはマコトと背中合わせに立ちながら「そういえば」と笑った。


「あのね、この面倒事が終わったらマコトに言いたいことがあるの」


 ――聞いてくれる? と微笑むルティアナに、マコトは苦笑いを零した。

「ルティ、さっきから死亡フラグたてまくりですよ」

 その言葉にルティアナはくすくすと笑った。

「そうね、しぼうふらぐよね」

 死亡フラグ、なんてなんだか懐かしい言葉に感じている。先程からルティアナが口にしてきた言葉は、確かによくある死亡フラグだ。けれどそれがなんだというのだ。

「でも、大丈夫よ」

 すっとルティアナが細い指を持ち上げて狙いを定めた。その先には武器を持った男がいた。

「だって、マコトがいるんだもの。――ね?」

 艶然と微笑んだルティアナは、目の前の敵を排除するために容赦なく呪文を紡ぐ。




 ――リィン、リィン。


 耳に染み込むような音に、アカリはああそうだ、この音は風鈴の音に似ているんだ、と思った。なつかしい、アカリの育った世界の音。郷愁を呼び起こす切ない音だ。

「召喚の間……!」

 息を切らしながらアカリははじめてこの世界にやってきた、その場所を見た。幸い、邪魔をするような者はいない。

「アカリ、急げ!」

 奮い立たせるようにフランツはアカリの腕を引いた。力強いその手は、諦めてしまいそうなアカリをしっかりと走らせている。走り続けて、アカリの息はもう途切れ途切れだ。

 アカリの手をしっかりと握り、フランツは剣を抜いて召喚の間の扉を蹴破った。

 扉が開かれた途端に、反響する音はアカリを包み込むように強くなった。耳鳴りにも似たその音に、アカリは息を呑んだ。

 幾何学模様を描いた鉱石は、魔法に反応してきらきらと輝いている。

 部屋にはたった一人、大神官が立っていた。もう呪文は紡いでいない。けれど光の柱は依然としてそこにあり、まるでアカリの到着を待っていたかのようだった。

「遅かったようですね。――まもなく道は閉じる」

「ふざけるな!」

 フランツが吼えた。アカリを引っ張っていた手は離れていく。フランツは剣を手に大神官を取り押さえた。


「アカリ、早く!」


 光の柱は、アカリの帰る道は、いつ閉じてしまってもおかしくない。

 アカリは締め付けられるように痛む胸を押さえながら光の柱へと歩み寄る。途中で転びそうになって靴が脱げた。立ち止まって靴を履いている暇なんてない。

 眦が焼けるように熱い。息がまともにできない。頬を伝って涙が顎から落ちていったのに気づいて泣いていたのだと気づいた。


 ――こんなさよならを、望んでいたんじゃないのに。


 光に手を伸ばす。目映い光の向こうにぼろぼろになった黒いランドセルが見えた。

 アカリが光の柱に触れた途端に、それは大きく膨らんで瞬く間にアカリを包み込んだ。

「――アカリ!」

 ルティアナとマコトが駆けつけてくる。フランツが取り押さえていた大神官を、ルティアナが魔法で拘束するのが見えた。

「……もっとちゃんと、皆とさよならしたかったなぁ」

 笑おうとしたけれど、うまく笑えなかった。光の向こうで、ルティアナと目が合う。

「ルティ、マコトさん……本当に、ありがとう。おっさんと、リヒトさんと、ゼストくんにもありがとうって伝えて」

 本当は、もっとちゃんとお礼を言ってお別れするつもりだった。

 笑顔で、涙を見せずに、胸を張って、ありがとうと一人一人に言うつもりだった。何度も何度も頭の中で練習していたのに。全部台無しだ。

「――王子」

 青い瞳が、アカリを見た。

 光が眩しい。すごく邪魔だ。もっとしっかりと、顔を見たいのに。

「やくそく、守ってくれてありがと」


『ちゃんと守る。ちゃんと帰してやる』


 たくさんフランツに守られた。最後の最後まで、フランツがいなければアカリは動けなかった。ありがとう、と繰り返す声が震えた。涙と光の洪水で視界がぐちゃぐちゃだ。

 眩しい。向こう側が見えなくなってくる。

「ばいばい、――――」

 フランツ、とはじめて呼ぶ名前は、胸を締め付ける。手を伸ばしても光はアカリの手を向こう側へと通してくれない。

「アカリ」

 低い声がアカリの名前を呼んだ。すぐ近くに気配があるのに、とても遠い。

 唇が震えながら言葉を紡いだ。

 次の瞬間には目も開けていられないほどの光が溢れて、アカリは思わず目を閉じる。瞼越しにも強い光が溢れて、溢れて――眩さが落ちついた頃にそろりと目を開ける。


 そこにあったのは、見慣れた六畳一間の自分の部屋だった。

 ベッドの上に投げ出された鞄に、スマホ。カチコチと壁掛け時計が鳴り響いている。


 おそるおそるスマホに手を伸ばした。日付を確認する。

 小さな液晶に映し出された日付は、アカリの誕生日だった。時刻はアカリがいつも家に帰ってくる時間より、三十分ほど経っている。

 夢だったんだろうか、と思うなかで、胸元から消えた赤いスカーフと、隣に転がるぼろぼろのランドセルが目に入る。

夢ではなかった。

夢などでは、なかった。


 うあ、と喉の奥から声が漏れる。

 ぼたぼたと涙が落ちて立っていられなくなる。膝から崩れ落ちて、そのまま床に顔を擦り付けるようにして泣いた。


 長峰ながみね朱莉あかりは、こうして元の世界に帰った。

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