第54話 あなたも祝福してくれるかしら
眩い光の洪水がやむと、そこにあったはずの光の柱は消え、少女はいなくなっていた。
あれほど鳴り響いていた音は、ぱったりと止んでいる。魔法の名残で淡く光る鉱石は徐々に輝きを失って、その部屋はなんてことないただの部屋に戻ってしまう。
フランツはアカリが消えた場所を見つめて、立ち尽くしている。その背に、ルティアナはかける言葉がなかった。
「姫さん――!」
ようやく駆けつけてきたギルベルトとリヒトを止めて、転がったままの大神官をギルベルトに外へ出させてそっと召喚の間を出る。
「無事だったか」
「当然でしょう」
ほっと息をつくギルベルトも、特に怪我はないようだった。リヒトは召喚の間の状況を思い返す。そこに、アカリの姿はなかった。
「彼女は……帰ることができたんですね」
「ええ。……だから少しそっとしておきましょう」
誰を、などとわざわざ説明しなくてもギルベルトもリヒトも素直に頷いた。
ばいばい、フランツ。
アカリがおそらくはじめて、フランツの名を呼んだ瞬間、彼の目は悲しげに歪んだ。乞うように手を伸ばしても、二人を隔てた光は触れ合うことを許してくれなかった。
傷が癒えるには、時間がかかるだろう。
アカリが帰ったあと、大神官は沈黙していた。大人しく縛られ、衛兵に連れて行かれる。
ルティアナたちの足止めをしてきた者たちは神官か、あるいはゼヴィウス公爵家に連なる者だろう。それも捕らえられている今、彼らの仕組んだことはすべて明るみに出る。
ルティアナたちはその場から移動するかどうか悩んだが、フランツが未だに召喚の間から戻っていないこともありこのまま一息つくことにした。
「……すっかり忘れていたけど姫さんすげぇことやったよな」
「聖具のことかしら?」
ギルベルトがああそれだよ、と苦笑いで頷く。
「たいしたことではないわ。魔法で聖具に触れる対象を制限しただけだもの」
「けれどそれが可能だと知れた今、他の人間が同じことを考えてもおかしくありませんよ」
リヒトの言い分はもっともだが、それでもルティアナは大丈夫、と笑った。
「あの魔法はすべての聖具に同時にかけなければならないし、そのためには聖具を集める必要があります。けれどそれができるのは……」
「アークライト家の人間だけ、だと」
「ええ、それに、研究次第では個別に守護の魔法も強化できると思うんです。それが可能になれば聖具のすべてが集まることはもう二度とありません」
魔法が薄れ、再び守護の魔法をかけなければならなくなるまで数十年、それまでに強化の方法は見つけるつもりだ。
「話を聞いたときはびっくりしすぎて心臓が止まるかと思いました……」
ゼストが疲れたようにため息を吐き出す。事前にゼストにはそれが可能なのか聞いておいたのだ。
「ふふ、だってゼストには確認しておきたかったし、協力してほしかったから」
「そんなこと思いつく姫さんがこえーよなぁ……」
呆れたような顔で呟くギルベルトに、ゼストやリヒトがしっかりと頷いた。
「だって、そうすれば聖女は必要なくなるでしょう?」
異世界から無関係の少女が召喚されることはなくなる。
ああそうだ、とルティアナは笑った。
「アカリがありがとうって、伝えてって」
光の向こうでぼろぼろと泣きながら、それでも笑顔を作ろうとしていた。大切な友人をルティアナは忘れることはないだろう。
「……そうか」
ギルベルトがやさしく微笑んだ。リヒトもゼストも、その言葉を噛みしめているようだった。
「……おまえら、まだいたのか」
それから少しして、フランツが変わらぬ顔で戻ってきた。その目がわずかに赤いことは、誰も気づかないふりをする。
「おまえを待っていたんだろうが。今日は飲むぞ、付き合え!」
ギルベルトはがっとフランツの、肩を組んで呆れるフランツを強引に連れて行く。ギルベルトなりの慰め方なのだろう。
男たちが酒盛りだ! となるとさてそれではどこで、という問題になった。
この際城でいいじゃないかとルティアナは思うのだが、それでは寛げないとギルベルトが文句を言いだして、なぜか王都のアークライト邸が差し出された。
酒盛りというよりは、フランツを慰めるための口実だ。そう考えればルティアナも反対する気にはなれなかったし、屋敷の料理人に申し訳ないと思いながらも料理を頼んだ。気前のいいことに酒はほとんどギルベルトが買いこんで持ってきたのだ。
夕刻から始まった宴会は、夜が更けても続いている。
すっかり出来上がったギルベルトは、それでも足りないとどんどんフランツに飲ませているし、珍しくリヒトやマコトも付き合ってそれなりの量を飲んでいた。
さすがに城ではここまでの醜態は晒せない。気を紛らわせるにはこれくらいのほうがいいのかもしれない、と思いつつルティアナはそっと部屋を出た。
少し、外の空気を吸いたい。部屋の中が随分と酒臭くなってきたので。
「ルティ」
庭に出たルティアナのあとを、すぐにマコトが追いかけてきた。普段とは比べようもないけっこうな量の酒を飲んでいた気がするのだが、足取りがしっかりしている。ルティアナは匂いだけで酔いそうだったのに。
「ちょっと散歩に出ただけよ」
「今日あんなことがあったんですから、心配します」
騒動を起こした者たちは捕らえられたが、それでも残党がいるかもしれない、とマコトは渋い顔をする。だとしてもここはアークライト家の屋敷だ。警備は万全である。
「そういえばルティ、言いたいことってなんだったんですか」
この面倒事が終わったら言いたいことがあるの、とルティアナは言った。ルティアナの言う面倒事というのはすべて終わったと考えていいのではないだろうか。
「ああ、あれね」
ルティアナはすっかり忘れていた、という雰囲気で呟く。
にっこり、とルティアナは笑った。月光に照らされたルティアナの頬はほんのりと赤く染まっていて、照れくさそうにマコトへ手を伸ばす。
「マコト、わたしと結婚してくれる?」
マコトの思考が停止した。
ぱちぱち、と何度か瞬きして、ルティアナの言葉を反芻して、口を開く。
「――はい?」
聞き間違いだろうか、と思うのも仕方ない。いや、思っていた以上に自分は酔っていたのだろうか、とも思う。
確かにあのタイプの死亡フラグで『あとで言いたいこと』なんて、たいていは愛の告白かプロポーズと決まっているけれど、そんな可能性はさっぱり頭の中になかった。
「わたしと、結婚してくれる?」
ルティアナはご丁寧にもはっきりと聞こえやすいように、もう一度告げた。
その言葉を理解したマコトの顔がみるみるうちに赤くなっていく。夜の暗がりも意味をなさないくらいに赤いだろうとマコトは腕で顔を隠した。
「な、ちょ、ルティ!?」
「なぁに?」
きょとんとルティアナは何がおかしいのかとでも言いたげな表情で首を傾げていた。
「な、どういうつもりですか突然!」
時と場所を考えてほしいというかそれは俺のセリフです! と言うべきか。
「だってほら、わたしのせいでアークライト家の血筋は聖具を守るための役目を負うことになるわけで、血筋を絶やすわけにはいかないんだもの。それなのにわたしが結婚しないというのはどうかと思うの」
「いや、それはそうですけど――」
「血筋を残すってことは子どもを生まなくちゃいけないわけでしょう? そうなると、マコト以外と結婚なんてごめんだもの」
待ってくださいなにそんなに可愛いこと言っているんですか――といろいろ口走りそうになりながらマコトは頭の中で整理した。
「……こっちがちゃんと旦那様に許しを得てからプロポーズしようとかいろいろ考えていたっていうのに、どうしてこう、この人は……」
もう、とマコトは頭をぐしゃぐしゃと掻きながら零す。
「マコト?」
「ちょっと待ってください。とりあえず、今のは聞かなかったことにさせてください」
こっちの予定が滅茶苦茶ですよ、とマコトは溜息を吐き出して、ルティアナの手を取り跪く。本当なら花束くらい用意したかったのに。
マコトは恭しく、ルティアナの手を持ち上げ、そっと口づける。
「どうか俺と結婚してください、ルティ」
だってどうしても、プロポーズだけは譲れない。
この世界で手を差し伸べられて、居場所をもらって、そしてこの世界に残る意味も与えられれた。それなのにプロポーズまでルティアナにされるというのは我慢ならない。マコトにも男としての矜持というものがある。
ルティアナの青い目がマコトを見下ろして、丸くなる。しばし見つめ合うこと数秒、どちらからかくすりと笑った。
「もちろんよ!」
ルティアナはマコトの首に抱きついて嬉しそうに笑った。耳元ではしゃぐようなルティアナの声に胸が詰まって、その細い身体をしっかりと抱きしめた。
「……まぁ、旦那様からの許しは得てないんですけどね」
マコトは貴族でもなんでもない。由緒正しきアークライト家の令嬢と結婚できるほどの地位はないのだ。マコトの気持ちなんてダダ漏れだし、そう邪険にされることはないと思うが、どういう反応かは予想できない。
苦笑するマコトにルティアナは「あらそんなこと」と鼻で笑う。
「反対されたら、駆け落ちしちゃえばいいのよ」
ルティアナのとんでもないセリフに、それもそうか、と思ってしまうマコトも、かなりルティアナに毒されているのかもしれない。
「……おまえらだと本気でやりかねないな」
「しかも下手に旅に慣れているので絶対に見つからないでしょうね」
背後からフランツの呆れたような声と、ゼストの嬉しそうな声がして、二人は振り返った。酒盛りしていたはずの男たちが全員揃っている。
「……あら、どこから聞いていたのかしら」
「おまえがプロポーズしたあたりから」
フランツの答えに、マコトは気づかなかった、と羞恥で震える。
「気づかれないように魔法で姿と気配を隠していましたから!」
一世一代のプロポーズを邪魔するわけにはいきません、というゼストの心はたいへん嬉しいが、それならそっとその場から去ってほしかった。
「ご婚約おめでとうございます」
くすくすと笑いながらリヒトに祝福され、ゼストは目をキラキラと輝かせている。
「よーし! 祝杯だ祝杯! 飲むぞ!」
「まだ飲む気ですか!? 俺を巻き込まないでください!」
ギルベルトがマコトをがっしりと捕まえて引きずっていく。その姿を見ながらルティアナはくすくすと笑う。
不思議なものだ。旅のはじまりには、こんな風に祝福してくれるとは思っていなかった人たちなのに。
部屋へと戻る男たちのあとを追いながら、ルティアナは夜空を見上げた。
「あなたも祝福してくれるかしら」
ねぇ、アカリ。
ここにはいない友人の名前を小さく呟いて、ルティアナは眩しそうに月を見つめた。
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