第52話 いらないだろ、もう
「……ルティ、遅いですね?」
不機嫌そうなマコトが、一向に開く気配のない扉を見ながら呟いた。
暗殺者に狙われたのはアカリやフランツだとわかっているからこそ、マコトも大人しく残ったのだろうが、ルティアナが狙われないという確証はない。だからこそ不機嫌なのだろう。
「……城の中だ。そこまで心配しなくてもいいだろ」
「心配しなくてもよくても、心配なものは心配ですよ。大事な人のことですから」
マコトの黒い目は言外に「わかるでしょう?」と告げているようだった。大事な人がいるなら、と言いたげなその目がなんとも居心地悪く、フランツはマコトから目を逸らした。
――ああそうだ、とフランツはひとつやらねばならないことを思い出した。
「アカリ」
名を呼べばアカリの丸く黒い瞳は、どうしたと言うようにフランツを見上げる。
「指輪、もう必要ないだろ」
旅の前にお守りに、とフランツが渡したそれは、魔除けの効果があるだけで人間の害意からは守ってくれない。
――だから返せ、とフランツは手を出した。
「なんで」
アカリの左の親指につけられた金の指輪。アカリはそれを隠すように拳を作った。その仕草に、フランツは眉を寄せる。
そんなものを向こうへ持ち帰ってどうする。こちらの世界のものを持っていることで、帰還の際に妨げになったりしたらどうする。
――帰るというのなら、この世界の名残など持たないほうがいい。
「いらないだろ、もう」
「いるとかいらないじゃない。これ、あたしにくれたんじゃないの? あたしがもらったものをどうして今更返さないといけないの」
誕生日プレゼントだったんじゃないの、と挑むような強い眼差しでアカリは言う。そのつもりだった。渡したときは。
ちょうどその時がちゃりと扉が開いて、戻ってきたルティアナが二人の様子を見て呆れたようにため息を零した。
「……また喧嘩でもしたの?」
ルティアナの問いに「別に」と短く答えてアカリは黙り込んだ。ルティアナが他の一行を見ても彼らは肩をすくめるばかりだ。
「大神官の謹慎は解かれてないわ。大神官の代わりは、ゼストができるかしら?」
「はい、大丈夫です」
普段は使わない銀の杖を持って、ゼストはしっかりと答えた。しゃらん、と杖が鳴る。
「結局、大神官は何がしたかったんだ?」
ギルベルトが立ち上がりながら首を傾げる。
序盤に旅を妨害していたのは、聖女の末裔であるルティアナを排除したかったから。聖女を手に入れたところで、聖女が生まれ変わりなんて言われる人物がいたのでは影響力に翳りを見せる。
聖女の保護をと騒いでいたのはアカリを元の世界に帰らせないためだろう。
「彼はゼヴィウス公爵家を再興させるために聖女が必要だったみたいね」
「まさかあのジジィの嫁にってか?」
ギルベルトが気持ち悪そうに顔を顰める。大神官の年齢はアカリの父親よりも上だろう。
「大神官本人か、その血縁者かどうかはわからないけど。民衆の好きそうなラブストーリーでもしたてるつもりだったのかしら。どちらにせよ、アカリに近づけなければいいのよ」
守護の魔法の儀式が終われば、アカリの役目は終わる。元の世界に帰ってしまえば大神官も手は出せない。
先代聖女の恋物語を手本にでもしたつもりなのだろうか。腹立たしい話だ。
アークライト公爵領が豊かなのは領民の努力とそれを支援してきたアークライト家の力があってこそだ。聖女の末裔だからって土地が勝手に豊かになるわけじゃない。
アカリは握りしめたままの拳を見下ろす。
「……行こうか」
旅が終わる。
アカリの異世界での日々の終点も、もうすぐそこだ。
*
大聖堂の中は静謐さに包まれていた。
四つの聖具が、アカリの手によって運ばれる。王国を守る聖具はすべて揃ったことになる。
ゼストは藍色の長いローブに銀の杖、額には銀のサークレットがついている。まだ少年であるにも関わらず、その姿は頼もしくもあった。
アカリが丁寧に聖具を台にのせる。最後のひとつをのせると、マントの裾をさばき、スカートの裾を持ち上げて令嬢のように一礼した。
――しゃらん、とゼストが杖を鳴らす。
しゃらん、しゃらん、しゃらん。他の魔術師たちも呼応するように鳴らし始めた。大神殿のなかに、それは清廉として響き渡った。
「『王国の剣、王国の盾』」
ゼストの声にはじまり、守護の魔法は始まった。
この場には魔術師の他、ルティアナたち旅の一行と、国王陛下、王妃、アークライト公爵をはじめとした貴族がいる。
以前のゼストならこんな大役は緊張してしまって、とても務めることはできなかっただろう。
「『黎明の約束、古より続く堅固なる守護の力。守りたまえとこしえに。護りたまえとこしえに』」
もとから伝えられた呪文に、魔術師たちによってさらに強固な効果が加えられている。長い呪文も終盤となったとき、ルティアナは一歩踏み出した。
ざわりとざわめく周囲に目もくれず、ルティアナはゼストの隣に立つ。魔術師たちはさすがの集中力で呪文を途切らせることはなかった。
ゼストが呪文を中断する。しゃらん、と音は鳴り続けている。
ルティアナはゼストに微笑みかけて、彼の握る杖に触れた。
「『王国の剣、王国の盾。我が身に流れるる聖女の血をもって新たなる契約を今ここに誓う』」
ルティアナの呪文にこたえるように聖具は光る。
ゼストがしゃらん、と杖をまたひとたび鳴らす。
「『王国の剣、王国の盾。魔を退けよ、悪を退けよ。あるべき地、あるべき場所でその聖なる力を解放せよ。王国の剣、王国の盾。守りたまえ、護りたまえ』」
聖具がまとう光は強くなり、目が眩むほどだった。しゃらん、しゃらん、しゃらん、と終わりを告げるように音が止むと、聖具は光をまとったまま開け放たれた天蓋から空へのぼりそれぞれの神殿に向かって消えていく。
残されたのは、聖杯のみ。最初に集めた聖具だ。
――しん、と静かな大神殿のなかで、ルティアナはひとり聖杯に歩み寄った。白く細い指先が聖杯に伸ばされると、ざわりと誰もがざわめく。
聖杯は、ルティアナを拒むことなく受け入れた。
「……この国の、この世界のことは、この世界に住まう人間が背負うべきものです」
聖杯を持ち上げて、ルティアナは広い大神殿のなかで胸を張り堂々と宣言する。
「これより我がアークライト家は、先代聖女の子孫として、聖具の守り役となります」
*
『ならば陛下、わたしの無茶を受け入れてくださいます?』
ルティアナは笑みを浮かべて国王に問う。
『今回の騒動は、もとより無関係の異世界の乙女を巻き込んで計画されたものです。聖具に触れることができる。この特権ともいえるべき役目を、我が家が担うことをお許しいただけませんか』
国になんのしがらみもない人間が、重要な役目を負うからこそ、その人間を掌握しようと大神官は動いた。それがもともとこの国の人間が役目を担えば、同じことは起きなくなる。
『それは、アークライト家が妬まれ狙われる可能性を高めるぞ』
『もとより恨み嫉みは買っております。この王国でその任につく理由をこじつけられるのは、我が家だけだと思いますが』
聖女の末裔。それが今使えるアークライト家の価値だ。
一部の貴族からはもとから妬まれているし、神殿からも恨まれている。アークライト家にしてしまえば今更だろう。
そして、それだけの人間を敵にしてもアークライト家ならば役目をこなせる。それだけの力がある。
『親に相談も無しに、おまえは……』
『そろそろちゃんとしたお役目を担う頃合いでしょう? どのみち神殿は再編が必要になります。そこにアークライト家が割り込んでもよろしいのでは?』
先代聖女の一件以降、アークライト家は表舞台から姿を消していた。しかし今回ルティアナは旅の一行として認められている。そろそろアークライト家が動き出すべきときだ。
『……良いのか、ルティアナ』
『良いもなにも、わたしからお願いしておりますわ、国王陛下』
ルティアナは誇らしげに笑った。
『異世界の乙女はアカリが最後。もう、この世界には必要ありません』
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