第33話 お守り代わりにでも持っておけ
ルティアナの部屋は広い。
現代日本の一般的な家庭で育ったアカリからすれば別次元だ。六畳のごちゃごちゃした自分の部屋を思い出して、あれはここでは物置レベルなんじゃないか、とアカリは思う。
「城からの連絡、まだこないわね」
窓の外を眺めてルティアナが呟いた。月と星くらいしか夜を彩るものはない。街灯はアカリが知るものよりもずっと優しい光で、もっとも華やかである王都からであっても星はよく見えた。
「そうだね……大丈夫かな」
「三人とも強いから、あまり心配はいらないわ」
コンコン、とドアが鳴った。
侍女はもう下がらせている。ルティアナとアカリは目を見合わせて首を傾げた。誰だろう。
城からの連絡はゼストが誰にも邪魔されないように魔法を使うと言っていたから、使者などくるはずもない。
「どなた?」
代表して、部屋の主であるルティアナが応える。
「俺だ」
扉の向こうから聞こえてきたのはフランツの声だった。しかも名乗らないあたりが根っからの王子であるということを強調していた。声だけで誰でもフランツだとわかる、という自信があるのだろう。
「……王子。こんな時間に淑女の部屋にくるなんてどういう神経していらっしゃるんですか」
「いいから開けろ。すぐすむ」
フランツの横柄な態度にルティアナは眉を顰めた。友人と認めていないこともないが、フランツのこういう態度はいかがなものか。
旅の間あれだけ女性に対する振る舞いには気をつけろと言ったのにもう忘れたらしい。
「王子? どうしたの?」
警戒心無くアカリがさっと扉に歩み寄り、ルティアナの制止する暇もなく扉を開けた。
「……開けろと言った俺がいうのもどうかと思うが、おまえはもう少し用心しろ」
夜着姿のままのアカリに、フランツが呆れたようにため息を吐いた。ルティアナはガウンを羽織って、そしてアカリにも同じくガウンを羽織らせる。
「あたしだって人は選ぶよ。おっさんだったら絶対に開けない」
「ギルベルトには手厳しいな」
「当たり前でしょ。それで? どうしたの?」
首を傾げるアカリに、フランツは微笑む。どうやら用があったのはアカリのほうらしい、とルティアナはさりげなく二人から離れた。
「手を出せ」
「手?」
素直に差し出されたアカリの手のひらの上に、フランツはころんと指輪を落とした。
「やる」
「……指輪?」
アカリの手のひらに落ちてきた金色の指輪は、内側には何か文字が刻まれていて、外側は唐草模様のようなデザインに彫られている。
「守護の魔法がかかってる。俺のお下がりで悪いが、お守り代わりにでも持っておけ」
「……え、でも……なんで?」
指輪を渡すだけなら、明日でもいいだろうに、どうしてわざわざ今? とアカリは問う。ルティアナに小言を言われてまで今アカリに渡さなければならない理由が、フランツにはないはずだ。
しかしフランツはあー、と少し言葉を濁しながら、やがて観念したように口を開いた。
「……誕生日だったんだろう、今日」
優しい響きのフランツの声に、アカリは驚いて何も言えなかった。ひゅ、と言葉どころか息までも飲み込んでしまう。
なんで、とアカリの唇が動いても声にならない。
「『十六歳になった』って言っていただろ。……俺の勘違いだったなら悪いが」
アカリは指輪を握りしめて、じわりじわりとこみ上げてきた涙を飲み込もうとした。
――そうだ。今日は、アカリの誕生日だった。
眩い光に包まれたのは、アカリがちょうど高校から家に帰ってきたときだった。おねえちゃんがケーキを作って待っていてくれて、着替えてくるから、と言い残して。
きっと本当だったら、いつもよりちょっと豪華な夕飯を食べて、ケーキを食べて、おねだりしていたプレゼントを開けて喜んでいたはずだった。
そういうことに全部蓋をして、それでも拗ねて『十六歳になった』なんて言い方をしてみただけなのに。
「……ありがと、王子」
へらり、と泣き笑いになりながらアカリが言う。その顔にフランツがなんとも言えない顔になって、乱暴にアカリの頭を撫でた。
「ちゃんと守る。ちゃんと帰してやる。……だから今日はさっさと寝ろ」
明日には旅に出る。
うん、とアカリが素直に頷いたところで、窓をコツコツ、と叩く音がした。
「知らせがきたわね」
窓の向こうにいたのは、夜の闇と同じ色をした鳥だった。ルティアナが窓を開けてその鳥を指にとまらせると、ゆらりと鳥は形を変え、一枚の紙のようになった。
「目標捕縛。こちらの被害はなし。……だそうよ」
「そうか」
ルティアナが手短な内容を読み上げると、それは再び鳥の形に戻った。まるでルティアナの言葉を待っているかのように嘴でルティアナの指をつつく。
「返信までできるようになってるの? さすがゼストね」
ルティアナにはここまで高度な魔法は使えない。くすりと笑ってルティアナはフランツを振り返るが、返信は適当にしろといった顔を返された。
「『お疲れ様、念のため朝まで用心を忘れずにね』」
鳥に話しかけるように告げると、それは頷くような仕草をしてまた夜の闇のなかへ羽ばたいていった。
「さて、じゃあ一安心したところでそろそろ寝ましょうか。王子、いつまで淑女の部屋にいるつもりです?」
「もう戻る。じゃあ、何かあれば……」
「分かってますからさっさと部屋に戻ってください」
呆れた様子のルティアナに苦笑して、フランツはまた一度アカリの頭を撫でた。
「おやすみ」
まるで子どもにやっているようだ、と思いながらアカリは同じようにおやすみ、と返した。
――ぱたん、と扉が閉まる。
「うわー……ぶかぶかじゃんコレ」
試しにとフランツからもらった指輪を左の人差し指にはめてみたが、男物の指輪はアカリにはゆるすぎる。
「親指ならちょうどいいんじゃないかしら?」
「あ、ほんとだ」
ルティアナに言われたとおりにアカリが左の親指にはめてみると、少しだけゆるいが落ちるようなことはなさそうだった。
「……誕生日おめでとう、アカリ」
「えへへ、ありがとう」
照れ臭そうに笑うアカリは、フランツからもらった指輪をそっと撫でていた。
ルティアナはなかなか寝付けずベッドの上でごろりと寝返りを打つ。隣で少し前からアカリはすーすーと規則正しい寝息を立てている。
今日一日でいろいろあって疲れているはずなのに、眠気はやってこない。どうしてだろう、とルティアナは若干焦りを覚えながら目を閉じた。
……ああ、そうだ。
マコトにおやすみのキスをしてないんだ。
旅の間だってフランツたちに呆れられてもほとんど忘れてなかったのに。
だからこんなに落ち着かないのだろうか。寝心地のいいベッド、慣れた自分の部屋。明日からまた野宿や宿での生活なのだから、しっかり休まないといけないのに。
眠らなければと思うほど頭が冴えてしまう。こんなときは羊を数えるんだと教えてくれたのもマコトだった。
ぎゅっと心臓が痛む。
自分で決めたくせに、と毒づきながらルティアナはきつく目を閉じた。一匹、二匹、と羊を数え始める。
結局ルティアナが眠ったのは、夜明けまであと二時間ほどしかない頃だった。
*
「お嬢様、朝ですよ」
柔らかな日の光を瞼越しに感じる。
「……マコト?」
十分な睡眠のとれなかった頭はぼんやりとして正常に働かない。隣のアカリはまだ眠っている。
「まぁ、寝ぼけていらっしゃるんですか。珍しい」
くすくすという笑い声に、ルティアナは目を覚ました。さ、お二人とも起きてください、と声をかけてきたのはステラだ。
「……ステラ」
「おはようございます、お嬢様。隣の聖女様を起こして差し上げてくださいね」
さっきから声をかけているんですが、なかなか起きなくて、とステラは笑う。
そうだ。マコトはもう従者ではないのだから、彼がルティアナを起こしにくるわけがないのだ。
「アカリ、朝よ?」
ゆさゆさとアカリの肩をゆすって声をかけるが、アカリは眠そうに「んんー……? 目覚ましまだ鳴ってないじゃん……」とよくわからないことを呟いて布団に潜った。
「アーカーリ!」
ルティアナが声を大きくして名前を呼ぶと、ふああ?! とアカリが飛び起きる。
「うええええ寝過ごした!? 今何時!? 遅刻!?」
アカリはぼさぼさになった黒髪をかきあげてベッドの傍らを探り、そして周囲を見ると固まった。
「あー……寝ぼけた。そうだここ、あたしの部屋じゃないじゃん……」
バスも電車もない、とアカリは小さく呟く。高校へ行くんじゃないんだから、遅刻も関係ない。
「アカリ、おはよう」
「おはよ、ルティ」
ふああ、とあくびをしながらアカリがもそもそとベッドから這い出てくる。
「さーさー、お嬢様方! 早く顔を洗って着替えてくださいませ!」
ステラに急かされて、ルティアナとアカリは慌てて準備を始めた。
「おはようございます、ルティ」
マコトとフランツは先に二人を待っていた。
「おはよう、マコト」
朝食の席でおはようと言うなんて今までなかった。だってマコトはルティアナを起こしにきて、髪を梳くのが一日のはじまりだったのだから。
「……ルティ? 昨日はちゃんと休みました?」
「どうして?」
にっこりとルティアナは笑顔を作って、問い返す。作り慣れた誤魔化すための笑みはたいていの人が騙されてくれるけど、マコトは例外だ。
「少し顔色が悪い気がするんですけど」
「気のせいよ」
少し寝不足なのは事実なのだが、それに気づくマコトもマコトだ。アカリやステラたちにはまったく気づかれなかったのに。
「え、まさかあたしいびきかいてた!?」
「アカリは静かにぐっすり寝ていたわよ」
羊を百匹数える頃にはアカリの健やかな寝息が羨ましくなるほどだった。
早く食べましょう、とルティアナが席につくと、タニアがおずおずとルティアナに声をかけてくる。
「……あの、お嬢様」
「どうしたの?」
「ええと……お客様が……」
言葉を濁すタニアに、ルティアナはお客様の予想がついた。はぁ、とため息を吐き出して「ここまで通して」と告げて、ついでに三人分の朝食の追加を頼んだ。
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