第34話 まぁそこが可愛いところですけど

 朝食の席についたまま、ルティアナは部屋に通された三人のうちの真ん中に立っている男をじとりと睨みつけた。


「……こんな時間にやってくるのは非常識ではなくて?」


 午前中はのんびりと過ごすことの多い貴族の感覚で言うなれば、まだ早朝と言っても過言ではない。訪問に適した時間でないことは明らかだった。

「あんなどこに敵が潜んでるのかわからん場所にいつまでもいられるか!」

「ゼストとリヒト様、お疲れ様でした。昨夜はたいへんだったでしょう?」

 ギルベルトの文句をさらりとかわしてルティアナは二人を労う。

「無視か!」

「おっさんうるさーい! ごはんがおいしくなくなるでしょ黙ってよ」

「アカリに一票」

 もぐもぐとパンを食べていたアカリやフランツが騒ぎ立てるギルベルトに横槍を入れる。

「ゼスト、怪我はない?」

「大丈夫です」

 こくりと頷くゼストを見て、嘘をついているようでもないのでルティアナはほっとした。

「リヒト様もお怪我ないようで」

「もちろん。こちらは問題ありませんでしたか?」

「ええ、幸い何も」

「おいこら姫さん俺には何もなしか」

 リヒトやゼストに声をかけているルティアナの行動に、ギルベルトが頬を引きつらせた。嫌がらせにしてもあからさますぎる。

「さきほどのうるさい声で無事なのは嫌でもわかるというものでしょう」

 ふん、とルティアナが答えるとギルベルトも苦々しい顔で大人しくなったが、それも全員で朝食を食べ始めるとアカリやギルベルトが騒ぎ始めて賑やかになった。




 朝食も食べ終えて外へ出ると、アークライト公爵家には相応しくない、なんの飾り気もない幌馬車が、堂々と待ち構えていた。

「……これは?」

 フランツが馬車を指差して問う。

「見てわかりませんか? 馬車です。馬に乗れないアカリをわたしが乗せてもよいのですけど、馬での移動に慣れていないアカリには辛いでしょうし、何より聖具を集めるのであれば馬車のほうが楽でしょう?」

「で、なんでこれなんだ」

「我々が使うような馬車では目立つだけでしょう。クッションもたくさん用意させましたから多少はマシかと思いますけど?」

「わーすごーい映画みたーい」

 アカリは楽しげに馬車を見ている。馬車を見たことないのか、とフランツは驚いているようだったが、マコトの世界のことを聞いているルティアナとしてはアカリの反応は仕方ないと分かる。マコトもこの世界のものをよく物珍しそうに見ていたものだ。

「ところで御者は」

 本来既に乗っているはずの御者席は空だった。フランツが首を傾げると、ルティアナは何を言っているんだろいう顔でギルベルトを見た。

「あら、適任がいるではないですか。ねぇギルベルト?」

「俺か!!」

「しっかりきっちり働いてくださいな。自分のしでかしたことを忘れたわけじゃないでしょう?」

 ルティアナとしては、当然ギルベルトには償いとして馬車馬のごとく働いてもらうつもりである。幸い体力は有り余るほどある。

「脅迫じゃないのかこれは!」

「自業自得じゃない?」

 アカリはこちらの世界の服を着ている。昨日まで着ていたセーラー服は、アカリ用のかばんの底に大切にしまっている。誰であっても人に渡さないように、とルティアナにも固く言われている。

 馬車の中に乗り込むと、案外広々としている。ルティアナ乗り込むと隣にマコトが腰を下ろした。

「寄りかかって寝てもいいですよ?」

 こんなに傍にくっついて座る必要なんてないのに、と思っていたルティアナは、マコトの言いたいことを理解した。枕にしていい、ということらしい。

 今までと変わらずに甘やかしてくるマコトの心のうちを探るように、ルティアナはマコトの黒い瞳を見た。

 従者としてではなく、ただのマコトとして。ただの、ひとりの男の人として、彼はルティアナに優しくするし溶けそうなほどに甘やかす。

 ――つまり、それは。


「……一時間だけ眠るわね」


 ことん、とマコトの肩に頭を預けてルティアナは考えることをやめる。これ以上掘り返すと、ルティアナも戻れなくなる。ルティアナはそっと目を閉じた。

 主として相応しく振る舞ってきた。けれど同時に、マコトはルティアナにとって無条件に甘えることができる従者だった。

 しかし、主でも従者でもない、ただのルティアナと、マコトとして接することは――思えば幼いあの日、従者になるかとマコトに問うた時以来なのだ、と気づかされる。




「……ん?」

 がたがたと揺れる馬車のなか、ルティアナは背中も頭もあたたかいものに包まれていた。未だに夢のなかへ戻ろうとする頭はそのぬくもりに縋ってルティアナをまた眠りへと誘う。

「もう少し寝ていていいですよ」

 寝かしつけるようにルティアナの背を撫でる手を、無条件でマコトだと思う。頭の上から落ちてくる声も彼のもので、ああそうかマコトか、と思ったあとでルティアナは覚醒した。


 ――隣で寝ていたはずなのに、どうして頭上から声が聞こえるんだろう。


 ぱちりと目を開けると、ルティアナはマコトの膝に座らせられ、胸に頭を預けるようにして眠っていた。

「……わたしはいったいいつ移動したのかしら?」

 寝相は悪いほうではないはずだ。というより、寝相でこんなところに移動するだろうか。マコトの膝を枕にしてしまったことはあるが、これはさすがにルティアナの意思ではない――と思う。

「ああ、けっこう揺れて危なかったのでこっちに移動させたんです」

 しれっとマコトが答える。マコトはすっかり従者精神が染みついているんじゃないだろうか。

「いやー……暑いねぇ……」

 手を扇代わりにしてぱたぱたとさせながらアカリがあらぬ方向を見て呟く。

「このくらいは序の口だぞ」

 もはや見慣れているのかフランツもゼストも顔色一つ変えないが、アカリは遠い目をしていた。リヒトの無表情っぷりを見習いたいくらいには頬が赤い。

「ルティ?」

 マコトの手が、ルティアナの短い髪の毛先をもてあそんだ。完全に抜け出すタイミングを見失って、未だルティアナはマコトの膝に座ったまま、抱きしめられるような形で動けずにいる。

「……マコト、手をどけてほしいんだけど。もう起きるわ」

 まるでルティアナが離れることを拒むように、マコトの腕はルティアナの身体を包み込んでいる。

「揺れるし危ないですよ?」

「アカリやゼストが普通に座っているんだから、わたしだって平気よ」

 ルティアナより小柄な二人が平然と座っているのに、どこに危険があるというのか。リヒトなんて読書しているしフランツもわりと好きに動いているようだった。

 けれどマコトはルティアナを離さない。

「……マコト?」

「はい」

 ルティアナが催促するように名前を呼ぶと、マコトは嬉しそうに微笑んだ。

 その二人の様子を見ていたアカリが「うひゃー」といたたまれないように顔を赤くして、フランツのもとへと逃げる。とりあえずマコトとルティアナから意識を逸らさなければこのあまったるい空気にあてられる。

「王子、よく平気だねぇ……」

「あいつらとはなんだかんだで一番付き合い長いんだぞ、嫌でも慣れる」

「王子もたいへんだねぇ……」

 なんだかんだも苦労していそうだとアカリは笑う。

 どのくらい一緒に過ごしたら慣れるだろう、とアカリはフランツが確認している地図を見た。地図に描かれた国は、まったく知らない形をしている。


 マコトの異変には、いくらなんでもルティアナも気づいた。いや、さすがにここまでくると気づかないわけがない。

 目を背けるために夢の中へと逃げたのに、目を覚ました途端に現実がルティアナに襲い掛かってくる。

「……覚悟しろって、つまりこういうこと?」

「ルティはときどき本当に鈍感でバカだけど、わりとすぐに学習しますよね」

 にっこりと笑うマコトは、さっぱりルティアナの発言を否定してくれない。

「まぁそこが可愛いところですけど」

 にっこりと、はにかんだ笑顔は今にも砂糖か蜂蜜か吐き出されるんじゃないかといいくらいに、甘い。ひたすら甘い。

「――っ!」

 誰だこれは! と叫びたくなる衝動に耐えながらルティアナは無理やりマコトの腕の中から逃げ出した。狭い馬車の中だが、それでも一応の距離をとる。

 馬車は失敗だったかもしれない、とルティアナは若干後悔した。逃げ場がない。馬に乗っていればそもそもこんなことにはなっていないのに。

「こんなところではこれ以上口説きませんよ?」

「く、口説いてたの?」

 にっこりと笑うマコトに、ルティアナは顔を真っ赤にして口籠っていた。

 アカリがおいおい、と笑う。

「あれを口説かれていないと認識するルティがすごい」

 アカリの声はしっかりルティアナの耳に届いているのだろう「う」と彼女はますます顔を赤く染め上げた。

「……そして動じないリヒトさんもゼストくんもすごい」

「いつものことなので」

 リヒトは本から顔を上げずに答えた。そうか、いつもか。

 ルティアナが「そんなわけないでしょう!?」と必死で否定しているが、他の誰もが訂正しない。自覚がないのはルティアナだけでマコトはいちゃついていると認識していたらしい。

「ゼストは集中しているとわりと周りが見えないからな」

 こんなに騒がしくなってもゼストは魔道書に噛り付いていた。


 がたん、と音を立てて馬車が止まる。


「おい、そろそろここらへんで野営の準備するぞ」

 ギルベルトの声に、アカリは外を確認する。木々の合間からは青空が見えた。時刻としてはまだ夕暮れ前だが、日が暮れてしまうまでにやることがたくさんあるのだろう。一行はそろそろと馬車から降りた。

 ふわりとアカリの黒髪を撫でる風は森の空気をはらんで湿り気があり、それでいて緑の香りがした。


 

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