第32話 今日はなんと、はんばーぐなのよ!

「まったく人使い荒いよな姫さんは!?」

 今日ばかりはゆっくり休めると思っていたギルベルトは囮作戦に駆り出されてひたすら文句を口にしていた。

 しかし将軍家に帰っていれば、トーマスの件も含めて将軍からきつく問い詰められていたはずだしお叱りを受けていただろう。囮作戦とどちらが良いかと言われると微妙なところだが。

「あなたは当然でしょう。働いてください」

「おいおい、おまえちゃんと聞いていたよな?脅されていた俺に同情はないのかよ」

「あまりありませんね。素直に将軍閣下と陛下に訴えれば良かったでしょう」

「すみませんね脳筋なもんで!」

 開き直ってギルベルトが喚いているが、リヒトは部屋の中で先程からだんまりと黙り込んでいる塊を見る。

「同情すべきは、むしろ彼のほうかと」

「あー……」

 リヒトの声に、ギルベルトはそろそろ、とゼストを見た。

 ゼストは自前の赤い髪を黒髪の鬘の中に押し込め、白くて厚手の、しかし胸元と裾にはふんだんにレースがあしらわれた大変可愛らしい格好をしている。

 小柄な少年であったがゆえに、ゼストは無情にも囮役となってしまった。

「いいんです……ルティアナさんの安全のためですし」

 ひらひらとした夜着に居心地悪そうにしているものの、ゼストはしっかり囮をやるつもりらしい。

「狙われてんのは嬢ちゃんだけどな」

 嬢ちゃん、とはアカリのことだろう。

 ルティアナを姫さんと呼んでいることと比べると扱いが随分軽い。アカリは本物の聖女なのに。

「だって俺がやらなきゃ、ルティアナさんが囮になるって言い出しかねませんでしたから」

 ゼストがきっぱり断言する。鬘から除く琥珀色の目は確信していた。そしてリヒトも思わず苦笑しながら頷いた。

「それは……否定できませんね……」

 むしろルティアナが囮になると言い出さなかったことのほうが意外なくらいだ。

「偶然とはいえ、鬘を作ってて良かったよなぁ」

 黒髪の鬘なんて、この世界ではそうそう作れない。ルティアナが髪を切り捨てた時は何をしているんだと驚いたが、結果的には役に立っている。

 ギルベルトが思わずゼストか被っている鬘に手を伸ばすと、ゼストはさっとその手をかわした。

「あ、触らないでください」

「……なんでだよ」

 空ぶった手が虚しい。

 中途半端な位置で持ち上げられたままのギルベルトの手は、下げることもできずにそのままだ。

「なんというか、無機物になったとはいえもとはルティアナさんの髪ですし、減る気がします」

 ゼストは真顔だった。どうやら本気でそう思っているらしい。

「減らねぇよ!」

 ルティアナ本人には近づくことすらできず、鬘すら触ることが許されないってどんな扱いだとギルベルトは声を荒らげるが、ゼストは断固としてギルベルトの手を跳ねのける。

「そろそろ寝室へ移動して寝たフリを初めてください。我々は隠れましょう」

 二人のやり取りを呆れたように見守っていたリヒトが中断させる。いつまでも盛り上がっていたら作戦が始まらない。



 日が暮れたあとの夜の闇に紛れるように、フランツがこっそりとアークライト家の屋敷に戻ってきた。

「……王子、本当に来たんですか」

「その心底迷惑そうな顔はやめろ」

 黒い外套を脱いでフランツがため息を吐き出した。リヒトやギルベルトへの伝達も無事に済んで、聖女になりすましたゼストは早々に就寝の準備をしているらしい。

 ルティアナとアカリが全力で選んだ、シンプルでかつレースのあしらわれた可愛らしい夜着を着て。

「……あの姿のゼストをこの目で見ることができないのが残念だわ……」

「ルティ、心の声が漏れてます」

 それはもう、絶対に可愛いに違いないのに、とルティアナが悔しがっているところでマコトもいつも通りにつっこんだ。

 ルティアナは昔から何かとマコトのことも着せ替え人形にしたがったのだが、その趣味が近頃包み隠すことなく全開だ。

「じゃあ、わたしたちは夕食にしましょう。明日出立なのだから、今夜はしっかり休まないとね」

 囮作戦の結果は、ゼストが魔法を使って教えてくれることになっている。こちらは待っているしかない。


「今日はなんと、はんばーぐなのよ!」


 ふふん、と胸をはるルティアナに、アカリが「へ?」と驚いた。

「こっちにハンバーグってあるの?」

「ない。というか知らん」

 首を傾げるアカリに、フランツが即答する。なんだそれは、と警戒心が丸出しだった。

「昔、マコトから調理法を聞いて再現したのよ。かれーらいす、も興味深いんだけど、どうも難しくてできないのよねぇ」

 今晩の夕食は、アカリが泊まるのであれば、とルティアナが料理長にリクエストしたのだ。

 これが領地の屋敷ならばもう少し料理の種類も増えるのだが、王都の調理人たちはそこまで品数を覚えていない。

 なぜなら王都の屋敷にマコトは来たことがなかったからだ。完全にルティアナの道楽で向こうの世界の料理を作らせていたわけである。

「カレーはスパイスが大変そうだもんね。なんだっけ、ターメリックとか、コリアンダーとか? ちょっと前にテレビでみたんだけどな」 「たーめりっく。こりあんだー」

 キラリと目を輝かせてルティアナはカレー作りのヒントを頭の中でメモする。カレーのことをまだ諦めていないらしい、とマコトは苦笑した。

「ころっけやおむらいすとも悩んだんだけど、はんばーぐでよかった?」

「ハンバーグ、好きだよ。他にもいろいろ作れるんだ……愛されてるねマコトさん」

「否定はしません」

 ここでマコトが否定しても空々しくなるだけだ。ルティアナがここまですることがマコトのためなのは、誰が見ても一目瞭然である。




 公爵までいるとアカリが緊張するだろう、ということで四人での夕食になった。

 ハンバーグはアカリからもお墨付きをもらえるほどには再現度が高いらしい。

 アークライト家の料理人はデミグラスソースを使っているが、向こうの世界には『おろしはんばーぐ』や『ちーずいりはんばーぐ』なるものもあるのだと教えてもらった。なかなか奥が深い。

 そのことにもまたルティアナは嬉しそうに胸を張っていた。


 そのあとの入浴も、本来ルティアナは侍女の手伝いがあるが、アカリが「いやいや手伝いとかありえないから!」と断固として拒否したので二人で入った。

「……ルティってお嬢様だけど、わりとたいていのことは自分でできるみたいだよね」

 広い湯船は二人が入っても余裕がある。アカリが髪を洗うルティアナを見てしみじみと呟いた。ルティアナは短くなった自分の髪を洗いながら「そう?」と笑った。

「侍女がいなければ着替えも何もできません、なんて恥ずかしいじゃない。もちろん普段から自分でやってしまうと彼女たちの仕事を取り上げてしまうから、場合によりけりね」

 旅に出る前から、自分のことはある程度できるようにしていた。そのこともあって旅では役に立つことが多くある。着替えも、入浴もそうだ。

「えらいねー。あたしなんて家の手伝いも全然しないのに」

「偉くはないわね。本来の貴族の娘なら淑やかにして、少しでも良い縁談に結びつくようにすべきでしょうから」

 髪についた泡を洗い流して、ルティアナも湯船に浸かりながら苦笑した。

 縁談。

 アカリにはまだ遠い言葉だ。

「……ルティは、結婚するの?」

 アカリが肩まで湯につかって、縁に顎を乗せながらルティアナを見上げて問いかけた。一歳しか年齢は変わらないのに、やはり育った世界が違うんだなと思い知らされる。

 ジョシコウセーは、現実的な結婚の話より目の前の恋バナのほうが盛り上がるものだ。

「――さぁ、どうかしら。わたしはわりと特殊な立場の人間だし、下手に結婚すると騒動の種にもなりかねないから」

 アークライト公爵家自体が、聖女の子孫として強い利用価値を持っている。その一族の娘であり、黒髪であるルティアナはどんな貴族も欲しがった。けれど、手を伸ばすだけの地位を持つ者は少ない。

「えぇと、ほら、たとえば王子とか」

 アカリがとりあえず思いついたフランツをたとえに挙げる。

「フランツ王子? それはとっくの昔に白紙になったわね」

「あ、あることはあったんだ」

「今、力のある公爵家でちょうどいい年齢の令嬢といったらわたしくらいしかいないのよ。それだけの話」

「……なんで白紙に?」

 アカリは首を傾げる。王子の結婚相手に求められる身分がどの程度必要なのか、アカリは知らない。男爵とか伯爵とか、その差すらわからないのだ。

「王子が初対面でわたしにいも虫を投げたから、かしら。やり返したら王子はわたしのことが苦手になったみたいだし」

「うわ、虫を投げてくるなんてサイテー」

「わたしはカエルを投げ返してやったわ」

 ふふん、と自慢げなルティアナにアカリは引き攣った顔で「カエルかー……」と呟いた。虫もカエルも、どちらも投げつけられたら悲鳴をあげるだろう。


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